西郷どん 感想文
- カテゴリ:テレビ
- 2018/05/21 16:23:58
西郷どん 第19回「愛加那」
NHK 日曜夜8時~
▼代官の圧政
今回は、吉之助が奄美の龍郷になじんでいく様子、薩摩の代官による奄美の島民たちへの不正な圧政と、
吉之助ととぅまの結婚までが描かれました。
今回は先にドラマの物語の感想を書いてしまいますね。
しまんちゅたちの看病で、一命を取り留めた吉之助は、やっと本来の自分を取り戻し、
奄美の現状を把握しようとしたり、農作業を手伝ったり、子供たちに学問を教えたりするのですが、
しまんちゅたちには「いずれは薩摩に帰るお方」と、あまり歓迎されていない様子。
そんな中、とぅまだけは吉之助のことがちょっと気になっていました。
そんな時、隣村の村民が砂糖を不正に隠し持っていたと捕まります。
その上龍家でも砂糖を隠し持っていると隣村から訴えがあったという理由で、
佐民と富堅がしょっぴかれて拷問を受けることになってしまいます。
今までの不満が爆発した龍郷の島民たちは、とぅまを先頭に代官所に駆けつけ、
殺されるのも覚悟の上で佐民たちを助けようとするのですが、
佐民に会わせてやるという代官の田中についていったとぅまは、
アンゴになれと言われ追い詰められ、かんざしで自決しようとします。
そこへ吉之助が割って入り、田中を脅し上げてその場を治めます。
田中は怒って藩に報告しようとするのですが、見聞役の木場から、
吉之助の本名を聞かされ、藩に報告するのをあきらめました。
斉彬に寵愛された西郷吉之助の名前は、こんなところにまで鳴り響いていたのですね。
▼吉之助再婚
自分の命を救い、佐民と富堅を助け出してくれた吉之助への愛を確認したとぅまは、
吉之助の庵に出向き、自分をアンゴにしてくれと頼みますが、
吉之助はアンゴにはしない、妻にすると優しくとぅまを抱きしめました。
それから龍家では吉之助ととぅまの婚儀が行われ、2人の新しい生活が始まりました。
とぅまは奄美のしきたりに沿い、新しい名前をつけてくれと吉之助に頼みます。
吉之助は「愛」と名をつけ、奄美のしきたりでそれに「加那」という言葉がくっついて、
とぅまは「愛加那」となったのでした。
一番ドキドキしたのはやはり、とぅまが吉之助の庵を訪ね、服を脱いだところですねw
なんという情熱的な女性なのでしょう。
据え膳食わぬは何とやらと言いますが、あそこで服を着せることができる吉之助はすごいw
思うに、とぅまから見た吉之助の印象って、最初は最低だったんですよね。
それこそ呪うほどにw
最低だとそこから上がるしかないわけですよ。
逆に最高だと下がるしかないので、初対面の異性にはあまり取り繕わない方がいいってことですね。
ただ取り繕わない方がいいといっても限界がありますので、そのラインを下回らないことが重要なのです。
このラインは人それぞれなので、そこが難しいんですけどね。
▼ドライな政治家
さて、前回も書いたように、吉之助はさほどしまんちゅたちに
思い入れをしていたわけではありませんでした。
ですが今回のベースになった史実というのは存在しまして、
砂糖を隠し持っていたのではなく、年貢として取り立てられる砂糖のノルマが
達成できなかった農民たちが拘束され、拷問を加えられていたという事実があり、
吉之助が役人に農民の解放を談判しにいったという話があるようです。
この時の役人は田中某ではなく相良角兵衛と言いました。
吉之助はこの時、流人ではなく幕府から身を隠すために奄美に送られていたので、
扶持米ももらっていたということは前回の感想で書きましたが、
恐らく単なる流人の言うことなら相良も聞く耳を持たなかったと思うのですが、
吉之助が「藩主に報告する」と言ったものだから、農民を解放したらしいのです。
この話だけ聞けば、やっぱり吉之助は情に篤く、しまんちゅたちに同情していたのでは、
と思えるエピソードですが、この時の吉之助の心の内にあったのは、
代官所のやり方が間違っている、ということだったのではないかと思います。
厳しくすれば農民たちは萎縮し、ノルマギリギリの仕事しかしなくなり、
結果災害の被害があればノルマを達成できなくなってしまいます。
しかし農具を丈夫なものに変えたり、たくさん年貢を納めた農民たちには報奨を与えたりすれば、
コスト面でも精神面でも楽になり、増産に結びつくと考えたのではないでしょうか。
あくまで島のことではなく、薩摩藩の、ひいては日本のことを考えていたのでしょう。
ちなみに紀行で大久保に奄美の現状について書状を出したとありますが、
恐らく島の前近代的なシステムにあきれてのことだったと思います。
吉之助自身が「黒糖地獄」を改めるために動いたのは、島を出てから2年後でした。
大河ドラマでは、大体主人公はいい人に描かれるものですが、ドラマで描かれているほど
吉之助は熱い人物ではなく、もっとドライで割り切ることができる人物だったと言えるでしょう。
ま、そのへんは仕方ないですけどね、いつものことですから。
多分だけど沖縄は中国(清)と二重支配のような状態だったから
さすがに薩摩も簡単に手を出せなかったのではないかと想像。
元々は奄美は沖縄側だったと前回の放送を見て知って、長年の疑問が解決したよ~