赤色(フィクション対リアル 50:50)
- カテゴリ:小説/詩
- 2008/12/26 22:55:15
今回の記事は、ほぼフィクションです。
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特急列車の車掌となって五年。私を知る人に言わせれば、天職になるそうだ。人を観察するのが好きだから、毎日乗客を見られて楽しいだろう、というのが理由だ。
なるほど、たしかに乗客は多い、特急乗務は検札をする。一日に数百人は乗車券を確認して、一年では何万人かになる計算だ。
しかし、こんなものは人間観察でもなんでもない。同一人物が何回か乗車するかもしれないが、一人一人の事など覚えていない。つまり、観察などしない事が、職務上のコツなのかもしれない。
始発駅を出ると、いつものように検札を始める。たしかに、皆、服装は違うし、背格好も違う。しかし、それらの情報は、不正乗車を防ぐために、座席と乗降駅を確認するために使われる。それはつまり、その都度忘れるべき情報とも言える。私の脳では、バッファに分類される一時記憶でしかない。
突然、私の心臓は高鳴った。目に映ったのは、血だ。
三十代ほどの男性客が、券を差し出したその手の、親指と人差し指のあいだが、赤く染まっていた。
鮮やかな彩度が、血の鮮度を語っている。乾いてはいるが、つい先ほど怪我をしたばかりだろう。
小さな傷だが、生々しさが、何かを主張するように力強い。
それにもまして、その男性が、傷を自覚していないかのように振る舞っているのが恐ろしい。自分の怪我を知らないのだろうか。そんなはずは無い。たった今、券を持った右手だ。わからないはずが無い。
あまりにも無表情で、私は、何もかもが無さ過ぎると感じた。
僕は、いつ付いたかわからない傷を見ながら、記憶を辿る。たぶん、十分くらい前のできごとだ。ボストンバッグの肩ひもを架ける留め具。そこを握ったことが、怪我の原因と考えるのが妥当だろう。
しかし、痛みが無い。確信が持てない。いや、そんなことを考えても意味が無いだろう。それよりも、夜に、髪を洗う時、痛いだろうか。それが問題だ。
あるいは、家へ帰るまでの間、人前で、真っ赤な血を見せて歩くほうが問題ではないか。
いやしかし、それもどうにもならない。どこかで血を洗い流すまでは、そのままにするしかないのだ。
僕は、当面の選択肢を見つけられず、傷を無視する事にした。
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この小説もどきは、僕の少し前に体験した事実を基にしました。