西郷どん 感想文
- カテゴリ:テレビ
- 2018/08/20 16:40:21
西郷どん 第31回「龍馬との約束」
NHK 日曜夜8時~
▼龍馬の薩摩行
今回は、吉之助が坂本龍馬を連れて薩摩に帰国、久光に引き合わせ、長州と手を組む段取りを
進めるよう頼み、下関で桂小五郎と会談する約束を取り付けますが、
直前になって幕府が長州征伐の勅令を出すよう朝廷に働きかけていることが分かり、
会談をすっぽかして京都に向かい、桂も龍馬も激怒するというお話でした。
まずは龍馬の薩摩行きですが、あまり長い間ではありませんでしたが、実際に行ったようですね。
後に妻のおりょうを連れ、日本初の新婚旅行と言われる薩摩旅行のことは有名なのですが、
この時期に薩摩に赴いていたことはあまり知られていないようです。
なのでこの時吉之助と龍馬がどのような話をしたかなど、知る由もありません。
薩長同盟については、知名度で龍馬が周旋したと周知されていますが、
実際は中岡晋太郎の方が活躍したと言われています。
また他にも同じ土佐浪士の土方久元という、名前を知られていない人物の発案とも言われていますが、
これについては私もよく知らないのであまり掘り下げないでおきますw
特に中岡は長州藩士とともに下関戦争や第一次長州征討を戦ったくらい、
かなり長州に肩入れしていましたので、その思いは強固だったのではないかと思います。
龍馬伝を見た時にも思ったのですが、龍馬とは他人が考えたいい策に乗っかりやすい人物なので、
薩長同盟も乗っかっちゃったのかなと思いますw
▼西郷バックレ事件
ドラマでは中岡がまるで伝令の仕事しかしてなかったように描かれていましたが、
実際あの時中岡は、吉之助に下関で桂と会談するよう、説得したと言われています。
吉之助は下関に向かうのですが、大久保から緊迫した書状を受け取り、急遽上京することに。
その時家茂が重たい腰を上げ、率兵入京して朝廷に長州再征の勅許を出すよう迫っていたのです。
大久保らの朝廷工作により、とりあえず朝廷も持ちこたえていましたが、
後に武力を背景にした幕府による威圧的な要求に屈することになってしまいます。
確かにこれは大ピンチ……ですが、桂との会談の約束を反故にしたのはまずかったですね。
薩長同盟の締結がこれによりかなり遅れてしまいました。
確か前にもこれに似たことがありましたよね。
久光が下関で自分を待てと吉之助に命令したのに、吉之助が勝手に先に上京してしまった事件です。
あれで吉之助は沖永良部島に流されることになってしまったのですから、
このへんの判断は甘いなと思います。
まぁでもすぐにフォローはしているので、悪気はなかったのでしょうね。
海江田が吉之助の文を下関に届けるという空約束をしたかどうかまでは、
あちこち調べてはみたのですが、確認できませんでした。
▼中川宮
大久保が岩倉具視から預かった書状を、中川宮ら公卿に届けるというお話がありましたね。
岩倉が言うには、中川宮は自分のような油断ならない人物だそうですが、
私、この中川宮という名前はちょっと記憶がありまして、調べなおしてみたところ、
やはり久光も参加した参与会議が紛糾した時、仲を取り持とうと酒宴を開き、その席で慶喜が
久光たちに暴言を吐き、会議の寿命をかえって縮めてしまったというエピソードの持ち主でした。
ドラマを見ただけですと、ただ金欲しさに岩倉や大久保を慶喜に売った人物に見えましたけど、
彼自身元々公卿の中でも公武合体派の人物で、特に長州とソリが合わず、後に失脚しています。
こういう人物をただイロモノのように描くのはいかがなものかと…。
確か、参与を招いた酒宴にも出ていたと思うのですが、
あの時はどんな人物かすら語られていませんでしたからね。
というか、根っからの公武合体派の公卿に、岩倉は何故文を出したのでしょうか。
元々岩倉も公武合体派だったので、その頃は通じていたからなのでしょうかね。
そのへんの背景が分からないと、中川宮の行動が本当に金銭目的に思えてしまいますよね…。