伯父が亡くなりました
- カテゴリ:日記
- 2018/09/27 07:07:34
伯母から突然、電話がかかって来て、伯父の訃報を知らされました。
ずっと入院していたとのことで、そういう話は聞いていなかったので、
母がヒステリーを起こし、足が動かないのに、葬儀に行くと叫ぶのをなだめて、
わたしが行くからと、朝、五時起きで、行ってきました。遠方に住んでらしたので。
こじんまりとしたお葬式で、
祭壇の上にかざられた写真は、若いころの伯父で、
見上げると、子どものころ、かわいがってくれた伯父の思い出が浮かびました。
写真や、記録って、大事なんだな。わすれていたことを、こんな風に思い出させてくれるんだな。
そう思いました。
伯母は、気丈な人ですが、
記憶の中の伯母よりも髪が白くなり、肩が細くなり、
来てくれてありがとうと、涙声で礼を言われて、
だまって背中をさすってあげるぐらいしかできなかった。
何年も会っていなかった従兄が喪主で、挨拶をして、
火葬場の待合室で、お昼を食べて、しばらく雑談していました。
囲碁や将棋が好きだったこと。
小さなわたしに、雑貨屋で、小物を買ってくれたこと。
それぞれの、今の家の暮らし。
ぽつぽつ話して、一時間ほどして、
お骨をあつめて、骨壺に入れて、
葬儀場に戻って、お経をあげてもらって、
そのあと、家に帰りました。
遠方なので、弔電だけですまそうかと、一度はそういう話になりかけたのですが、
なんとか顔を出して来ようと、早起きして電車に飛び乗りました。
喪服がなくて、アマゾンに慌てて注文したり、それが結局電車の時刻に間に合わなくて、急きょ代わりのものを抱えていったり(以前に買った、ドレッシーな安物しかなかった。太ってしまってパツパツになっていて、どうしようかと思ったけど、それを持って行った)、
黒いかばんもなくて、こっちもアマゾンに注文していて、配送業者のセンターにきていたので、そこまで取りにいったり(何とかならないかと電話したら、対応してくれた。ありがとう、ヤマト運輸の事務員さん)
いろいろありましたが、
伯母と、従兄に会えて。伯父の思い出を思い出せて。
送る、ということが少しでも、できたような気がしました。行って、良かったです。
泣くのは、できるだけ控えました。
いちばん大変で、泣く権利がある、泣きたいのは、伯母と従兄だと思ったので。
それでも、写真を見上げていると、ふと、泣きたくなることがあって、
とにかく、祈りました。
伯父さんはもう、しんどくない、
無事に、守られて、天国に行ってね、と、
そう祈っておりました。
家へ帰ると、伯母から電話があったとのことで、母が、行ってくれてよかったと、
泣いていました。
少し、話して。夕食のしたくして。母の話を聞いて。
次の日、仕事でばたばたしましたが、
なんとかやってます。
ちょっと文章、乱れがちなかんじですが、報告まで。
お返事ものすごく遅くなった。ごめんね、ありがとう。
きっと、伯母さんたちには、喪失と呆然とする時間を過ごしてると思うんだけど、
わたしはなんだか、伯父さんがいなくなったって気がしなくて。どこかにいるような気がして。
少し悲しいけど、でも、なぜかそう思う。
遠方まで、支度もあわただしくお疲れ様でしたね。
ご生前をしのぶことができる機会でもありますね。
ご冥福をお祈りいたします。
しのさん。大変でしたね。
伯父さまもしのさんが来てくださったこときっと喜んでくださってると思います。
ありがとうございます。知っている人が、いなくなっていくのは、さびしいなあと、あらためて思いました。
やさしい人でした。もっといろいろ、話ができていたらなあ。と思った。
伯父様はお別れの場にしのさんがいらしてくれて嬉しかったと思います。
遠路はるばるお疲れ様でした。
私も今は亡き親族との思い出を大切にしたいです。
伯父様のご冥福をお祈り申し上げます。
合ってなくても亡くなられると寂しいもんです
最後の顔見れただけでもいいと思います
ご冥福を
ありがとうございます。でもわたしのは大したことない。もっと大変だったのは、伯母と従兄ですので、
ふたりが慰められるよう、支えられるよう、祈っています。
お悔やみ申し上げます。