Nicotto Town


まいご活動中!


皆様、有難うございました。


留守中も、暖かいメッセージ有難うございました。
寝る前に、スマホから、コメントだけ拝見させていただいていました。
どれだけ、癒され、励まされたことでしょう。
たくさんの暖かいお気持ち有難うございました。

無事に父を見送ることができました。

2014年の2月12日
最初に脳梗塞で倒れてから、4年半。
長かったような、短かったような…。
不思議な気分です。

最初の病院の対応が悪く、かなり後遺症が残ってしまったので
色々と大変でした。
最初の頃は私は水曜土曜が休みなので、火曜の晩から一泊
金曜の晩から一泊で週に2回泊りがけで父の付き添いに行っていました。
日が経って来ると、こっちがフラフラになってしまって、
少し病状が落ち着いてからは、日曜日に仕事が終わってから、
子供たちと一緒に毎週通っていました。
退院するにも、体が不自由になっているので、階段にリフトをつけたり、
車いすでの移動ができるように家をバリアフリーにリフォームして
和室だった父の部屋は洋室に変えて、ベッドやポータブルトイレを用意し、
あちこちに手すりを付けて、工事が終わってようやく父を家に連れて帰ることができました。
最初の頃は、焼肉さえも一緒に食卓を囲んで食べることができていました。
病院に入院中からの私たちの父へのフルコースは
足湯をして、娘が脚を洗ってやり、
私が拭いて、薬やローションをぬってやり、爪切り。
息子は顔を拭いてやって髭剃り。
実家にいる間は、私は子供たちに父を任せて、店の手伝いや妹と
色々父のことを相談。
そんな生活が4年半も続いていたんですね。

去年の冬にトイレで2回こけてからは車いすを取り上げたので、
オムツを脱いで布団や部屋を汚すようになったので、
毎日看てるきょうだいたちは大変だったと思います。
私なんかは週に一回なので、それらの後始末もたいして苦労だとは
思いませんでしたが、毎日7~8回もそれをやられるいもうとたちは
時には怒り、時には情けなくなって、父に厳しくしてしまったと
こぼしていました。
毎日の介護は、大変です。
睡眠中も呼ばれますし、気が抜けません。
疲れてもきますし、こちらも体調が悪いときなど
「もう、勘弁してくれ!」となります。
私も祖父母をずっと母と一緒に看ていましたので、わかります。
今年の冬あたりからは痰が絡んで食べ物が呑み込めなくなってきて
いもうとは誤嚥に細心の注意を払いながら1時間半をかけて食べさせていたようです。
店を切り盛りしながらの介護でしたので、大変で激やせしています。

5月17日に熱があり、看護師さんの訪問日で
「これは、救急車をよびましょう。」
と言うことになってそのまま入院でした。
最初はH.C.Uに何日か入って、そのあと普通の病室になったのですが、
もう、経口摂取は無理だと、胃ろうを勧められ、最初は鼻からチューブでしたが
手が自由になる父は抜いてしまうので、大変だったようです。
胃ろうも何度もきょうだいで話し合い、叔母とも相談したり、
医療関係の知り合いの話なども聞いて、踏み切りました。

病院に入ってからは寝てるのか起きてるのか、うつうつとした状態が多く、
弱っていく父を見るのは辛かったです。





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