男たちの安らぎ
- カテゴリ:自作小説
- 2018/12/01 18:59:23
テレビニュースは、外国人労働者の受入で国会が揉めていることを伝えていた。僕は、画面に向かって、「遅すぎるよ」とつぶやき、テレビを消した。大学を出て銀行に就職し、入行してから製造業の融資を専門に扱っていた。
本店採用のエリートと違って、町工場のような中小企業や零細企業を担当した。バブル不況の頃は、零細企業は資金繰りが上手くいかず、綱渡りの連続だった。経営者の資質と技術を見極め、融資だけでなく経営や販売ルートのアドバイスをしていた。苦境を脱し経営が軌道に乗り始めると達成感に包まれた。
バブルを脱すると人手不足と後継者不足が深刻になり、経営上問題のない町工場が廃業に追い込まれていった。慢性病のように回復の見込みがなく、どうすることもできなかった。
頭取が行員への年頭の挨拶で、インキュベ-ダーの役割を果たすと発言すると、製造業の担当者が減らされ、IT関連の起業担当になった。20代や30代の経営者が、少し儲かると外車を乗り回し、六本木で遊ぶ姿を見ると仕事への熱意が失われていった。
小児科医をしている妻も疲れていた。医療の進歩により入院する小児患者が減り、入院ができる施設が減っていた。小児科医も減り、リスクを嫌う実地医家は夜間・休日の診療を行わなくなっていった。大学病院の勤務医をしていた妻は、小児救急も扱っていて、休日も病院から遠く離れた場所には行こうとしなかった。
妻の母が長年煩っていた病が悪化し亡くなった。葬式の後、妻は精神的にまいっていた。小児科医をしていたせいで、母の面倒を見ることができなかった。もう長くないことが分かっていたのに、ろくにお見舞いにも行けなかったと自分を責めていた。
僕は無力で、妻にかける言葉がなく、ただ、傍らに寄り添っていた。四十九日を過ぎた頃、妻に、「お互いに仕事を辞めないか」と言った。妻は訝しそうな顔をしていた。僕も妻も酒を飲まず、付き合っていた頃は、映画を見たり、美術館や史跡を訪ねたあとは、パーラーや喫茶店で、ケーキやパフェを食べながらとめどないことを話していた。妻に、「喫茶店かカフェを開きたいから手伝ってくれないか」と言った。妻は、「分かったわ」と言った。
お互いに、直ぐに仕事を辞めることはできなかったが、毎晩のように妻と店を開くまでのことを話し合った。幸い、資金計画は得意分野だ。子供がいなかったので、多少のリスクを取ることもできた。
しかし、新規開業の飲食店の8割以上が失敗する。どうすれば、魅力的な店づくりができるか、二人の意見が一致するまで話し合った。妻の希望を僕が具体化するような感じで、妻が社長で僕が専務のような役割分担だった。
二人で、調理の専門学校に通い基礎的なことを学んだあと、妻はドイツに僕はフランスに1年間留学に行くことにした。本格的に学ぶのではなく箔をつけるためだった。箔をつけるだけだったら、別々の国の方がいいし、パリとベルリンの距離は東京都と博多より近いから、いつでも会えるわよというのが妻の意見だった。
学生時代、ドイツ語が必修で女性のパティシエの多いベルリンに妻が留学し、第2外国語がフランス語だった僕がパリに留学することにした。留学から戻ると、知人に紹介してもらい妻はカフェに僕は菓子店に見習いに出た。法律に違反しないようにしながら、無給で働くという条件だった。
見習いが終わると夜遅くなったが、二人で、メニューを考えたり、試作品を作ることを繰り返した。二人とも、若くなく、多くの技術を身につけることができないから、スフレに力を入れた。これも、妻の「スフレはショートケーキと比べてカロリーが半分だから、女性に絶対に受けるわ」との意見を採用したものだった。
マンションを売り、中古の住宅を購入し、リフォームした。銀行員時代に付き合いのあった建築業者に話をすると、昔、助けられたと材料費だけの格安で請け負ってくれた。什器も廃店舗からいくらから出てくると取扱い業者を紹介してくれた。
スイーツの店頭販売にも力を入れたカフェは開店当初から軌道に乗った。スフレに特色を出しながら、日替わりで一種類だけ和菓子を出したのも年配の方々に好評だった。元女医と元銀行員が作るスイーツとタウン誌に好意的に取り上げられたのが大きかった。
3年間の不安定な時期を乗り切ると、経営も安定し利益を生み出せるようになった。開業資金を借り入れなしの自己資金で賄えたのが大きかった。そんな時に、ショッピングモールに出店しないかとデベロッパーから話を持ちかけられた。
今の店だけで、二人の生活を賄うことができるし、和菓子の新作を考えることが楽しくて、新規出店に消極的だったが、妻は積極的だった。今の店舗は民家を改造しているので、厨房も中途半端で小さく、メニューに載せることができる品数が少ない。ランチも飽きさせないようにしているが日替わりの3種しかだせない。どうしても皆に受け入れられるようなメニューしか出せない。妻には、そこが不満で新店舗に挑戦したそうだった。
僕は今のカフェの経営に集中して、妻は新店舗の企画に集中することにした。新店舗の資金計画は僕も考えることにした。まっさらの状態から新店舗のことを考えるのは妻にとって、魅力的で週になんども遅くまでデベロッパーや店舗設計の業者と打合せを繰り返していた。
子育て世代に焦点をあてて、子供用のメニューを大人と同じくらい充実させるコンセプトだった。開店すると子供用の少量のメニューが高齢者の方々のニーズに合い、評判の店になった。
住宅街のカフェとショッピングモールの店舗では集客力が桁違いで、利益も大きかった。開店から半年もたっていないのに、別のショッピングモールへの新規出店の話が持ち上がり、そして、会社組織をつくると次々と店舗が増えていった。
いつの間には、妻との関係はパートナーから経営者と従業員のようになり、妻は便利だからと都心にワンルームのマンションを買った。女性経営者としてビジネス誌で取り上げられ、シンポジウムにも呼ばれるようになった。小児科医の頃の飾らない服装から、外に出ても恥ずかしくない外見を整えるようになった。
開店から10年が過ぎ、利益のあがらない住宅街のカフェを閉店すべきでないかいう意見が出るようになった。会社から買い取る形で、もう一度、住宅街のカフェを僕の個人名義にし、会社を辞めた。そして、妻とも別れることにした。
妻への気持ちはつきあい始めた頃と変わっていないが、彼女がワンルームマンションを買ったころから、二人で過ごす時間は無くなっていた。僕は彼女にとって必要な存在ではなくなり、住宅街のカフェが僕を必要としていた。
どこで間違ったのか分からないが、自分のように寂しい男達が安らげる店にしよう。スイーツ好きのおっさんもどこかにいるはずだ。
※おまけ
足利尊氏と足利直義のことを考えていたとき、「菜根譚」の一説が思い浮かんだ。「可興人共艱難 不可興人共安楽 安楽則相仇」人は苦しみを共にできるが、安楽を共にすることはできない。
それを二コタの日記にしたらこんな感じかなと書いてみました。しかし、二コタの皆さんは、「苦しみは半分に、幸せは二倍に」の方でしょう。
菜根譚は、成果を共有することは難しいから気をつけましょうねということだから、男女間のことは、大丈夫かもしれません。
ゆりかさん
カフェ派ですか。僕は、小さなうどん屋派です。出家したらスイーツも禁止になるかもしれないので、俗世間で楽しみましょう。
みーぴこさん
書いたよ
ささめさん
枯れた人が読む処世訓の菜根譚を読む子供はいません。ささめさんは、立派な大人です。
mさん
スイーツを電車に忘れないようにしましょう
まぎまぎさん
私の経験から言うと、歳をとるごとに、一人でいることが苦痛でなくなります。麻痺ですね。
しーちゃんさん
僕の半生は、引きこもっているのでドラマチックなできごとはありません。後半戦に期待します。
さなちゃん
味見はいくらしてもいいので、最低賃金でバイトをよろしくお願いします。
成功しすぎちゃったんですねぇ・・・苦労を分かち合うくらいの方が
夫婦としてはうまくいくのかもしれませんね
沖人さんのうどん屋さんはそこそこに儲かる程度を目指して頑張ってくださいwww
試作品の味見は私におまかせを~笑
沖人さんの半世紀?を読ませて頂きました。
読んで行く中にどうして?・何で?だから?何とも答えの出ない気持ちに成りました。
これからの半世紀に向かって幸あれと願って居ます\(^o^)/
どうしてずっと一緒に居られなくなるんだろう・・・
別れる理由はいろいろですねぇ・・・
もう諦めましたが、終わらない人と巡りあいたかったですねぇ
寂しさを忘れるほどに「ごきげんなおひとり様」でいようと思います^^
苦しみもまるごと、だけど幸せも全部独り占め
すれ違っていったのでしょうか。
世の中にはスイーツ好きな男の人はいっぱいいると思います。
それにお年寄りや小さい子に優しいメニューも素敵です。
菜根譚はささめも好きです。とっても深い言葉が沢山あるので。
最初の部分の、中小企業や町工場のお話は悲しいなぁ・・・
どうか誠実に毎日を戦う人たちが報われる国になりますように。
全然ちぐはぐなコメントでごめんなさい><
同じ内容で 奥様からの目線を読んでみたくなりました。
『いつの間には、妻との関係はパートナーから経営者と従業員のようになり・・・』
この一行の寂しさが何とも言えませんでした。
いつか・・・お互いもっと歳を重ね人生を振り返ったとき 良き友になれるといいのになぁ~
沖人さんは色んな職業の事をご存知なのですね。どこから知識を得ているのでしょう~。
夫婦愛の感動物語だと思ったら、まさかの破局エンドでしたか・・。悲しいですね。
こんな素敵な旦那様がいたら、住宅街の小さなカフェのほうが幸せだったのに・・と私なら思いますが、成功すると人は変わってしまうものなのですね。
出世するより出家したい私には難しいな。
スイーツ男子が集まるお店があったら面白そう~。
しんみりしちゃいましたが、今回も素敵なお話でした(^^♪
足利兄弟を考えて、菜根譚の一説が思い浮かぶ沖人さんは、博学過ぎだと思います。二人を思うと、その一説は心に染みますね。
奥さんの方がどんどん活動的になって、
旦那さんは静かに好きな仕事だけをしたい、なんていうふうに道が分かれていったり。
そうか、安楽を共にすることはできないか。
ま、楽しいから共にしなくても大丈夫なんじゃない?(おいこら