モデルは俺かな
- カテゴリ:小説/詩
- 2019/01/31 19:55:54
へんな貧 高村光太郎(昭和14年12月3日)
この男は変な貧だ。あるときは第一等の料理を食らい、無い時は菜っ葉に芋粥。
取れる腕はありながら、さっぱり取れず、勉強すればするほど仕事は延び、人は呆れて構いつけない。
物を欲しいと思わないが、物の方でも来るのをいやがる。
中程というまい、たづき※を生まれつきの業がさせない。
妻なく、子なきがらんどうの家に、積もるのは塵と埃と木っ端ばかり。
袖は破れ、下駄は割れ、ひとり水を飲んで寒風に立つ。
それでも自分を貧とは思えず、第一等と最下等をちゃんぽんに、念珠のように離さない。
何でも豊かな有難いものが、そこら中に待っているようで、この世の深さと美しさとを身に余る思いでむさぼり見る。
この世に、幸も不幸もなく、ただ前方へ進むのみだ。
天があり地面があり、風があり水があり、そうして太陽は毎朝出る。
この男の変な貧を、この男も不思議に思う。
詩集 「大いなる日に」より
※たづき:生活の手段、生計
高村光太郎の詩集を読んでいたら、誰かさんに似ているような気がして、胸が痛くなった。
マネしちゃいかん。プラトンもアリストテレスも中庸をお薦めしている。中国四書の一つに中庸がある。過もなく、不足もない生活を目指すのです。
寧々こさん
昔は食べるのに精いっぱいですね。詩が書かれたのも、食べることができないので、満州に開拓に出ていた頃です。人様のことを気にしなければ、お金がなくても楽しく過ごせそうな気もします。
ゆりかちゃん
ポジティブシンキングです。鈍感なのかもしれません。怒られても、怒られても、嫌われても、嫌われても、追い求めるのは、鈍感力のなせる技です。悟りを開く前に、天然なのでしょう。
環謝さん
すごいでしょ。20歳代の頃にモデルになりました。来年、僕も100歳くらいになるのかな。300年後は400歳ですね。先は、長いね。
みーぴこさん
読解力がすごいですね。ひょっと、したら高村光太郎は自分自身のことを書いたのかもしれませんね。昭和13年に智恵子と死別し、「智恵子抄」を書いたのが16年。まだ、心穏やかでなかった頃ですね。
たまちゃん
オンとオフのスイッチしかないんだ。ディーゼルエンジンだね。ガスタービンエンジンは出力調整ができるんだけど。そんなことだから、劇場に行っても、熱中するか寝るしかできないんだ。
餅さん
塵と埃はどこから、やってくるのか分からないのですが、必ず積もっているのです。毎日はできませんが、雑巾がけなど掃除は好きです。
mさん
土日だと、一日に2度はコンビニに行ってますね。今日も朝、ゴミを出したついでに珈琲を買って、ジョギングの帰りに、ジュースと煙草とファミチキを買って、コンビニなくなったら生きていけません。
年が明けてしまってたのを思い出しました
第一等と最下等を両方やるのは、
宵越しの金は持たない文化と共通点があるような気がして、
親近感が沸きますw
高村光太郎さんは 『この男は変な貧だ』 と言いつつも
何事にもとらわれず 自分の思うまま、気が向くままに 前方へ進む男性を
不思議に思いながらも ある種の憧れをもっているように感じました。
沖人さん・・・・胸を痛ませないでください^^
この男の人は ある意味普通の人の何倍もの人生を体験できているんじゃないですか?
それてって 凄いことですよね~
それに・・・こういう不思議な男性に惹かれる女性もいるんですよw
高村光太郎さんは 『貧』と言いますが本当は羨ましかったのかもw
なんてジョークは置いといて、高村光太郎さんのこんな詩があったんですねぇ
私も欲はないのは似てるかな
貧…ねぇ…何が貧しいのかってのは色々あるんでしょうね。
作中の「この男」の生活に親近感を覚えちゃったのですか?
沖人さんは古風な人ですね。
さすが兵糧丸を作るだけあります。
沖人さんは、仙人にでもなれそうな生活を送っているのでしょうか。
贅沢三昧な生活よりも、修行僧のようで好感が持てますよ(*^^*)
ぜひ悟りを開いてくださいね。あ、もう開いているのかな。
「この世に、幸も不幸もなく、ただ前方へ進むのみだ」の一文は良いですね。
そんな前向きな生き方を私もしてみたくなりました。
それにしても、なにげなく詩集を読んでいらっしゃるとは、素敵なご趣味ですね(*^-^)
つくづく、私、もうあと少し前に生まれたかった、と思う
真似は出来ないけど素敵な生き方だと思いますw
でもこの先も独り身ってことなのかしら・・・笑