Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


きらきら、板橋区赤塚の郷土資料館その2

仮想タウンでキラキラを集めました。

2019/02/05
キラキラ
集めた場所 個数
ビーチ広場1 3
教会広場 3


きらきら、ビーチと教会…。

今日も、前回の続きの文章を貼り付けます。
ごめんなさい、
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
時刻は午前3時30分すぎ。
でかけてきます。

………


(2月4日のつづき)

 だいぶ寄り道してしまったが、いよいよ板橋区立郷土資料館へ。隣接した板橋区立美術館は、工事中で閉鎖している。溜池では釣りをする人たちが見えた。
 池のほとりの建物が、目当てのところだ。こんな素敵な場所だったのか。

 HPなどから、企画展の概要を。
 「私たちが暮らしている“いたばし”には、いつから人がいたのでしょうか? 南関東では、およそ四万年前の生活の跡が最も古い時代と考えられ、西台後藤田遺跡では、同最古級の資料が見つかっています。この他にも、岩宿遺跡に次ぐ国内で二例目の発掘調査事例となった茂呂遺跡など、旧石器時代を研究するうえで重要な遺跡が数多く調査されてきました。また、旧石器時代に続く縄文時代でも、一時縄文時代最古とされた稲荷台式をはじめ、縄文時代前期の標識資料とされた四枚畑式など、考古学的に知られる遺跡が数多く存在しています。更に、四葉地区の遺跡では居住内貝塚と共にイノシシを模したと考えられる獣面把手や縄文土器が出土しています。こうした旧石器時代と縄文時代の遺跡や出土資料から得ることのできる情報を元に、区における人の生活の始まりとその内容について紹介します。」
 そのほか、縄文後期では小豆沢貝塚、赤塚城址貝塚などがあったとか。特に赤塚城址貝塚は、この郷土資料館の隣接地だ。赤塚と名のつく場所に、貝塚があったなんて…。
 つい、展示品も、赤塚のものに目がいってしまう。ほぼ完全な姿で残っている土偶、注口のある土器、堀之内式土器…。そのほか四葉地区の遺跡からの出土の土器が充実していたと思う。
 また縄文土器たちを見ることができたなあと、会場内で思う。大雑把なことを書いてしまうが、多摩地区のもの、石神井で見たものと、見た目というか、印象が似ている気がする。石神井は、隣の区だし、近くだから、そうかもしれない。時代もなにも、考えなしに書いてしまうが、派手さがあまりない。けれども、しっくりとくる。なじみやすいといえばいいのか。おだやかに、時の向こうから、よりそうように、土器たちがそこにあった。
 企画展の会場内では写真撮影が禁止されていたので、常設展の縄文コーナーで写真を撮った。

 そのあとで、中庭に移築保存されている、古民家へ。旧田中家住宅という。江戸時代後期の建物だとか。こちらも、現在の家の近くの次太夫堀公園民家園などの建物を思い浮かべてしまう。そういえば、うちも崖下にあたるけれど、崖のうえは、縄文の遺跡があったのだっけ…。
 ということで、名残惜しかったが、貝塚があったという赤塚城跡のほうへ。美術館の南側の山を登る感じ。ここは桜がきれいだったり、さらに南にゆくと梅林があったりするので、その時期に来たことがあった。もっとも桜の時期は、赤塚のここではなく、川越街道をはさんで、練馬区にある光が丘公園にいっていたので、あまり来たことがなかった。梅祭りも開催されていたので、梅林に何回か来たことがあったのだった。
 そんなところに、貝塚が…。ただ遺跡を示す碑の類いがないので、どこなのかわからない。持ってきていたガイドブック(『武蔵野の遺跡を歩く』)に東北斜面と書いてあったが、ガイドブックの地図をみると、逆のかんじだ。しばらくうろちょろして、要領を得ないまま、もしかして…と思えるところを、写真に撮った。あとで家に帰って郷土資料館でもらってきた企画展のチラシをみると、小さく「旧板橋区史より 赤塚城址貝塚」という地図が載っていて、そこについている印で、ようやく貝塚の跡がわかった。もしかして…と思えたところ、そして、古民家にいったときに見上げた斜面、このあたり、なんだか遺跡っぽいなあと思ったあたりが、それだったので、ちょっとうれしくなった。
 赤塚の駅についたのが午後一時近く。貝塚を探している時は、午後三時すぎ。だいぶ西に日が傾いていた。
 帰りは、また赤塚の駅のほうへ歩きはじめたのだが、早朝バイトをしてきてのことでもあって、けっこう疲れていた。バス停があったので、ふと時刻表をみると三十分に一本ぐらいの本数なのに、まさに今が到着時刻だった。正確には一分前。もう出たのかな、そしたらしょうがないと、思案していたらバスがきたので、つい乗ってしまった。行く先は赤塚ではなく、ひとつ向こうの成増駅。成増は住んでいた頃から隣駅だったが、そんなに頻繁に訪れたことがないので、バスの走る道も、知らないところだった。帰りも赤塚を通って、感慨にふけりたいなと思ったが、まあ、しかたない。成増駅についた。ここも考えてみれば、久しぶりの場所だ。おいしく頂いた回転寿司の店がまだある。
 副都心線から千代田線、千代田線直通の小田急線へ。途中『縄文時代の歴史』(山田康弘著、講談社現代新書)を読む。郷土資料館では、さきほどみたばかりの製塩土器についての記述があって、驚いた。海水を煮て塩を作る土器。塩をつくることに特化している、文様がまったく描かれていない土器なので、つい素通りしてしまったのだが、ここでこの記述に出会ったことが、やはりえにしのようで、うれしかった。
 小田急線で自宅最寄り駅に降りる。この崖上のあたりが、縄文の遺跡があったのだ、そしてうちのある崖下は、海だったのだ…。近くを流れる仙川の貝層断面をそういえば、こちらは世田谷区立郷土資料館でみたことがあったっけ…。そんなことを思いながら自転車をこいだ。自転車に乗っている場所が、現在住んでいる場所なのだ、かつて赤塚がそうだったように。もう夕焼け、いや日が落ちたのだろう。暮れ残った西の空に富士山が見える。ここが今のわたしの住むところ。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.