Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


ボンを歩いて来ました。


 先週の土曜日は、学校が提供する文化プログラムで
ドイツのボンに行ってきました。

 ボンは、ドイツがまだ東西に分断されていた時、
西ドイツの首都だったのですが、とても小さい街です。

 なぜ、この街に首都が置かれることになったのか、
それはあくまでも暫定首都という位置づけだったからのようです。
ガイドの話によると、フランクフルト・アム・マインやハンブルグなど、
首都に相応しい大きさの都市もあったのですが、
そこを首都としてしまうと、
そのままそこが首都になってしまいかねないので、
暫定首都としてボンを選んだらしいです。

 西ベルリンは、東ドイツの中の飛び地だから、
首都にするわけにはいかず、
かといって、東西ドイツが再統一した時、
ドイツの首都は、やはりベルリンに戻したい。
そんな思惑があったようです。

 でも、ドイツ統一後も、
ボンには、様々な省庁が今も置かれていて、
政府機関のすべてが、ベルリンに移転したわけではないようです。

 ボン中央駅から、歩いて10分も経たない内に、
ベートーベンの像がある広場に着きます。

 ボンはベートーベンの生誕地なので、
彼はこの街のシンボルであり、重要な観光資源でもあるわけです。

 そこから古めかしいミュンスター教会の横を通っていくと、ボン大学。
この大学も、ボンの街を象徴する施設で、
ボンという街は、大学街と言ってもいいかもしれません。

 もともとは、カソリック教会において重要な位置を占める
ケルン大司教の居住地なのですが、ボン大学ができたおかげで、
大学街として発展していったようです。
ボン大学の正面は、昔はお城というか宮殿だったので、
大学としては、とてもおしゃれな感じがします。

 マルクト広場で、ボンの市庁舎を見て、
そこから近くにある、ベートーベン生誕の家を見ました。

特に大きな家というわけではなく、
ベートーベンも生まれた時は、ごくごく普通の
市民階級の子どもだったのですね。

 ベートーベン以前の音楽家は、
宮廷や教会がパトロンとなって楽曲を作成していたようですが、
ベートーベンの頃になると、自分でコンサートを開いたり、
楽譜を売ったりして、その収入で生計をたてるようになっていったようです。

 次に、ボンの旧市街を囲んでいた城壁の一部が残されている場所を見て、
それで、この街の観光名所は、一通り見てしまったことになります。
主要な観光名所の建物を見て歩くだけなら、2時間もかからないでしょう。
いったいどこに、政府の省庁が置かれているのだろうと思うぐらい、
小さな街なのです。

 ですから、街を本当に知るためには、
その街に住まないとわからないのでしょうね。

 ただ、今日は風が強くて寒かった。
レストランに入って、大きなハンバーガーを食べ、
ドイツビールを飲んで、帰りました。




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