Nicotto Town



誤解

誤解されやすい・・・というテーマで
書いている方がいて、掲示板に書き込もうかと思ったのですが
長くなりすぎそうな気がしたので自分のところで書いてみることにします。
高校の時の話です。
入学後から普通に高校生活を送っていたのですが2年生の2学期後半ぐらいから、なんとなくクラスの人たちに避けられているような気がするようになりました。
あからさまに無視されたり、話しかけると逃げられたりとかそういうんじゃないんです。
なんとなく相手がよそよそしくなってしまったというか、それが確信的に避けられてる!と思えるような状態でもなく、なんかこうすっきりしない、でも、そういうことが続くと自分からは誰にも近づかなくなります。
他のクラスの友達や、部活などでは特に変わったこともなく選択科目の授業なんかの時は普通に話せていましたので自分のクラス内だけなんか変だったのです。
自分が何か悪いことをしたという自覚がまったくありませんでした。

そんな中、校内柔道大会というイベントがありました。
私は、体育はすべて見学でした。なので、柔道大会の日は休もうと思っていたのですが、何故か普通に通学してしまって自分が全く参加しない柔道大会を見学することになりました。
クラスでは、誰とも会話もしなくなっていたので興味もなく、フラフラしていた私は以前から知り合いだった柔道部の後輩(女の子)から声をかけられ、恋愛相談を延々と受けていました。
その間に、クラスの一人が試合中に肩を外したらしくクラスでは結構な大事になっていたようなのです。
「クラスの応援もせずに女の子とずっと話してた」ということが、問題視され、何なんだといわれました。
何なんだと言われても、そこに自分がいても誰も話しかけては来ないし、自分から話しかけても、話題を繋げるような会話もしてもらえない。
そんなところに自分が居なくてはならい理由が私には理解できませんでした。
ただ、これ以上こじれるのは嫌だったので申し訳なかったと謝罪をし、話してた女の子のことは「特に深いかかわりがあったわけでもこちらから望んでそこに居たわけでもない」と自分で言っていて”言い訳がましい”と思うようなことまで言ってしまいました。
結局、高校を卒業するまで、自分が何かクラスになじめなかった理由はわかりませんでした。
高校を卒業した後、私は東京の学校に進学したのですが、同じく東京に進学したクラスメート(男)がいて、深く話をしたことはなかったのですが、私が「佐野元春」のレコードを学校に持っていたことがあり、それを目撃してから、佐野元春の熱狂的なファンだった彼は実は私と話をしたかったとずっと思っていたらしいのです。
そのことがきっかけで、卒業後に東京で時々会うようになったので気になっていた当時の話を切り出してみました。
すると、「お前、昼前に弁当食べていただろう?みんなおなかが空いているの我慢して昼まで待って食べているのに、それすごく不評だったぞ」
と言われました。
ああ、そういえば、私は高校に入るまではずっと病院暮らしでしたのでテレビで見る「早弁」というのにずっと憧れていて、高校に入ったら絶対に早弁する!と変な目標を立てていたので、自分では何とも思っていなかったのです。
「休み時間に弁当を食べるのが悪いことだ」という認識は全くなかったのです。
誰かに迷惑をかけるようなことじゃないと。

自分が考えている「他人に迷惑をかけているわけじゃない」という認識は、それが必ずしも万人がそう思ってくれることではない。

その後、東京ではずいぶん人間の勉強をしましたので、結局のところの自分の好きに生きるしかないという結論に達しました。

自分の好きなように生きる。

ということは、他人から殺されるほど他人の嫌がることはできません。
「生きられない」ですからね。

相手のことをよく見て、相手が何を望んでいるのか嫌がっているのか判断し、自分の振る舞いが妥当なものかどうか常に研鑽する。

その上で、理不尽だと思えることははっきりと口に出して言う。

不要な人間とは極力関わらない。

するとね、誤解ってなんだ?

と思うようになったんです。

誤解されている。
この場合、「ちゃんと自分を理解してもらいたい」という思いが引き金になっています。

そもそも私は、頼んで誰かから理解してもらう必要がない。
誤解している人は、そのままずっと誤解してくれているままで何の問題もない。

私を必要とする人は確かに居て、そういう人たちが何人かでもいてくれたらそれでいいと思うようになりました。

もしかしたら、誰もいなくたっていいのかもしれません。

誤解して私に好意を持ってくれる人だってたぶんいるでしょう、

誤解なんて、その程度のことです。

私が自分自身のことを、あんたはよくやってるって、そう言えれば生きてはいられそうな気がします。


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2019/04/24 11:19
誤解は嫌ですね、6階くらいがいいかな?
5階より見通しが良いですから~。
失礼しましたm(__)m
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2019/04/22 16:57
訪問と返信ありがとうございます。

そうなんですね。
必要としてくれる人は誰もいなくなってもいいのかもと書いていらしたので、ストイックに自分を持っていらっしゃる方で、周りの自分に対する評価はあまり気になさらないタイプの方かなと思っていました。

きっと不必要には求めないってことですね。
私にとっては理想的な姿で羨ましいです。

料理…いいですね!!
美味しいもの作れる人。
美味しいものを美味しいって食べれる人は
やっぱり魅力があるなって(*´ω`*)
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2019/04/22 02:47
その通りだと思います。
私も、好きになってもらいたいと思っていますし
そのための努力は惜しまずにしています。

好きになってもらいたいし、
愛されたいとも思っています。

美味しい料理を食べさせてくれる人を
嫌いになる人はほとんどいないと思います。

なので私は、40歳を過ぎてから調理師の資格を取り
美味しいものを作ることにとても楽しさを覚えています。

それだけに限らす、
人に愛されるための努力は、
これまでもたぶん必死でやってきていると思います。

他人のことはどうしたって自分の思い通りにはできません。
でも、自分のことを他人からみて魅力的な人間に
していくことはできると思っています。

というか、愛されたいなら自分を磨く以外に
方法がないとも思っています。

それ以外の方法で
他人からの愛情を得ようとする人間を
私は好きにはなりませんし、
そんな人から愛されたいとも思いません。

そうならないようにふんばって、精進するのです(笑)
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2019/04/22 02:38
それから。

別の観点から、私個人の思いをお話しさせてもらうと、
誤解から始まっても、お互いに話し合うことで
得られる一体感や喜びが存在するのも事実かなと
思います。

そこで相手の見方を知ることは、自分の糧になりますし、その結果得られた信頼は、強力であると
思うからです。

誤解されることを嫌ってばかりも…もったいない
ことである場合もあるのかなと私は考えています。
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2019/04/22 02:34
訪問と日記のコメントありがとうございます。

高校生の時にクラスのメンバーから避けられてるなと感じた理由は自分では当時は思いつかなかったことだったのですね。
お互いに自分の認識の外にあるところで思い合うと…誤解…となるその例えとしての経験の話とても興味深く読ませていただきました。

そして誤解は「自分を理解してもらいたい」という思いから生じるものだと、その通りだなと思いました。

自分のことやっぱり、嫌いよりは好きでいてもらいたいですし、好きになってもらう効果は心理的にも実質的にも大きいです。
いろんな面で優遇されるから生きやすいなと私は思います。

誤解して好きになってくれる人がいるでしょう。
その言葉にはっとしました。
この場合の誤解はどうかなと思うと、申し訳ないなとか、そうじゃないとは思っても、ネガティブな誤解ほどには拒絶感はないのかなと思いました。

くらもとさんはこの意識も越えて自分をしっかり確立されていらっしゃるので当てはまらないと思うのですが、その前の段階にいる私は、まずは人に好かれたいという気持ちが大きいのかなと思います。

そしてくらもとさんのように乗り越えられたらとても素敵だなと思う一方で、でもやはり、生きていく知恵として、なるべく好意を持たれた方が生きやすいのも事実かなとも思います。
好意を持たれることが主目的となって行きすぎは、返って反感を呼びますし、逆に自分が苦しい。
難しいテーマですけど、自分なりに、自分も相手も傷つけることなく折り合いをつけて過ごせることが理想です。


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2019/04/22 00:06
その通りだと思います。
それができないと、
何が大切で何が不要なのかも分からなくなりますからね。
法律とか、社会通念とか、
人をしばるものは他にいくらでもあるのに
他人にまで縛られる不自由はたくさんです。
アバター
2019/04/21 23:08
とてもシックリくる考えです。

そうなのよ!「自分が思っている自分」と「他者が感じとるワタシ」では
違っていて当然。
自分は自分を好きでいられる姿でまっすぐ生きればよいのです。

第一印象で誰かを評価してしまって終わるのは、とてもつまらないことだし
第一印象とその後の印象の変化を楽しめるような、そんな人間関係がいいなあと思うし。

大人になっても女性の場合、「なんかあの人嫌い!」と一人が言うと
その言葉に大きく影響されて「あの人イヤ!だってみんなそう言ってる」と
自分の感性なしに強い人・大勢の語る印象に引っ張られる他人がけっこういます。
そして「その集合体」の「世相」ができあがっちゃったりする。
自分で評価しろ、観察しろ!って思います。
右往左往するな、と。
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2019/04/21 01:18
いらっしゃいませ。
「失敗」日記の一文を読ませていただきました。
二度失敗するのはバカ。
私もそう思います。そして、私も同じ失敗を何度もすることがあります。
誰に言われるまでもなく、その通りの評価を自分にします。
ただ、取り返しのつかないような失敗は、
たぶんまだしていないのだと思います。
生きていますからね。
他人との関係を修復不能にまで悪化させてしまう。
一緒に居たいと思う人がいても、なぜかうまく付き合えずに
一緒に居られなくなってしまう。
人間関係においては、そういうことがどうしてもあります。
何度失敗しても、自分は変わらないからだと思います。
自分を変えるか、失敗するようなことをもうやらないことにするか、
もしくは、同じことをしていても、
それでも自分とうまく付き合える人が見つかるまで、
諦めずに人とかかわっていくか・・・・
失敗というのは他にも色々とあります。
美味しくないと思ったものを忘れてまた買ってしまったり(笑)
いいじゃないですか。
バカだと思っても。
バカでいいんですよ。
そんなにね、賢くばかりは生きられないんですよ ^^
アバター
2019/04/20 06:04
早弁…。私も高校生の時しましたし、友達もしてました。
よくある光景でした。まさかそういう些細な理由でクラスの
全員がくらもとさんに対してよそよそしくなり、しかも理由を
教えてくれない。ちょっと怖いものがありますね。それでも
くらもとさん、淡々とやり過ごしていて心が強いって思います。
誤解は生きてればだれにでも起こり得ることですよね。私も相手を
誤解してるかもしれないし、相手から誤解されてるかもしれない。
ここの世界でもよくある話です。誤解されてしまったら、機会が
あればそうではないよって説明はしたいけれど、そういう機会が
ない場合はこれからは同じ失敗をしないように気を付けようと
気持ちを切り替えるようにしてます。でもくらもとさんの言うよに
誤解なんてその程度…なのかもしれませんね。そのことであまり
悩むのはやめようと思いました。
アバター
2019/04/19 19:12
来てくれたのですね、
ありがとうございます。
女性同士の場合は、私には入り込めない場合が多いです。
色んなアドバイスはしますけどね、
理屈が通らないというかなんというか(笑)
こういうところで男女の違いを言うと
一部で非難をあびるのですが、(いつもこの断り文句が必要(笑))
男性の場合は、感情的に何かあっても、
それを表に出すのは「格好悪い」「ガキだと思わる」等の
かえってデメリットになることの方が多いので
腹の中で何を考えていようと、普通に挨拶をし
最低限の付き合いをしているものなんですが、
女性の場合は、それがワークタスクであっても
こなせない人が少なくないようですね。
アバター
2019/04/19 19:01
私もきっかけは、なんとなく相手に避けられいる
から始まりました。
挨拶に返しが来ない、外出予定を教えてくれない、私の担当仕事も勝手にやってしまう
なとなど。
上司に話すと、相手がそう言ったかどうかわかりませんが
出来るようになってきた私に脅威を感じてるとか
質問してこないから、悔しいんだ
とか、言われた。
気を遣う相手だ。。。まだ、私は彼女に対して、大人な態度をとりきれない。
これからの課題です。
長々すいません。皆様のコメント等は支えになっております。



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