関ケ原
- カテゴリ:グルメ
- 2019/06/03 21:37:16
昨夜は、テレビで放送された映画「関ケ原」を見た。親から最初に買ってもらった文字だけの本は豊臣秀吉の伝記だった。それ以来、家康より秀吉の方が好きなので、西軍が負ける関ケ原の戦いは少し寂しい。
映画の原作は、学生時代に読んだ司馬遼太郎の小説だった。ステレオイプに人物を描いていると感じたが、それ以上に、真実を覆い隠そうとしていると思った。今では、学会の常識となっているが、関ケ原とは、うどん好きとそば好きの世紀の一戦だったのである。
タウン研究所の調査によると、うどん好きを標榜する県は、福岡、広島、岡山、香川、京都、滋賀、奈良、富山である。
https://j-town.net/tokyo/research/results/232170.html?p=all
福岡:小早川秀秋、立花宗茂
広島:毛利輝元
岡山:宇喜多秀家
京都:前田玄以
滋賀:石田三成
奈良:増田長盛
富山:前田利家→利長
西軍の主将、副将と主要メンバーが揃っている。疑問点は、大谷吉継の越前福井が入っていないと思うかもしれないけど、福井は香川に次ぐうどん好きである。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-928.html
うどん屋の店舗数が、香川、福井、山梨の順であるように、山梨は「ほうとう」や「山田うどん」を有するうどん派である。一方、新潟は「へぎそば」を有する蕎麦派である。なぜ、信玄と謙信が何度も川中島で戦ったのかということは歴史の謎であるが、うどん好きの信玄と蕎麦好きの謙信の喧嘩だったのである。
徳川家康も三河にいた頃は、鯛の天ぷらが大好きで、てんぷらうどんでも天ぷら蕎麦でも、麺には拘りがなかった。天正壬午の乱で信州を領国に組み入れた頃から、蕎麦に目覚め、関東に移封されたことが決定的になり、蕎麦派の盟主となった。
関ケ原の戦いは、きつねうどんの豊臣と天ぷら蕎麦の徳川の戦い、まさしく、赤いきつねと緑のたぬきの覇権をかけた戦いだったのである。
歴史を遡れば、空海が唐から日本にうどんを伝え、広まったのが平安末期。白くつやつやした麺は貴族趣味の嗜好と一致し、うどんを支配し台頭したのが平清盛。それに危機感を抱いたのが黒っぽい蕎麦文化の坂東武者。源平の合戦である。
蕎麦派の徳川幕府は徹底的にうどん派を弾圧する。うどん派の拠点であった福井は越前松平藩、讃岐は高松松平藩と松平家が治め、その中でもうどんのメッカであった、越前小浜藩や讃岐丸亀藩は、戦国一うどん嫌いであった京極高次を配置した。
徳川幕府の蕎麦支配に反旗を翻したのが、西国諸藩である。佐幕派は蕎麦派、勤皇派はうどん派の別名であるが、四国の坂本竜馬はうどん派を糾合することに成功した。しかし、それ以上に偉いのは、蕎麦とうどんが争っている場合ではない、真の敵はパンであると大政奉還に導いた勝海舟や老中阿部正弘である。
このように、我が国の歴史は、うどんの歴史と言っても過言ではない。
ちなにみ、関ケ原で西軍うどん派が負けたのは、小早川秀秋が寝返ったからではない。讃岐を治める生駒親正が東軍蕎麦派についたからである。
生駒親正が蕎麦派についた理由は、未だ明らかになっていないが、戦国時代、讃岐うどんは、信長一押しの「伊勢うどん」や「味噌煮込みうどん」、信玄の「ほうとう」など他地方のうどんの後塵を拝していた。
蕎麦派の東軍に加担することにより、他地域のうどんを一掃し、讃岐うどんが全国を制覇することが真の狙いであった。生駒親正の思惑は的中し、うどんと言えば讃岐うどんとなったのである。
きつねもたぬきも縄文時代には日本列島に生息していたと思いますので、長い戦いかもしれません。縄文後期の遺跡に蕎麦の花粉が確認されているので、蕎麦は縄文人にしましょう。小麦も2000年前には確認されていますが、弥生時代からにしましょう。有史以前から列島を巡る戦いは繰り広げられています。
あずささん
秀吉の晩年はひどいですが、あの時代は血筋や家柄がとても大事だったと思うので、その中で立身出世したのはすごいと思います。まだ貧しく、大学に通えるのが裕福な家庭だけだった時代には、秀吉は憧れだったのだと思います。勝海舟の老年は自慢ばっかりする煙たがられる爺さんだったみたいですね。上杉鷹山の言葉、「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」は耳が痛いです。
みーぴこさん
敵方ですね。しかし、みーぴこさんは横浜、ラーメン派の中立でしょう。自分もそばを食べます。土曜日はざるうどんでした。蕎麦屋さんにうどんと蕎麦があれば、蕎麦を頼みます。郷に入っては郷に従え、長野に行けば美味しいお蕎麦を食べたいです。
たまちゃん
本当は、うどんも蕎麦も普通には食べていないのでしょう。三菱美術館に行けば、蕎麦には違いありませんが必ずガレット。原宿に行けば、小麦粉に違いはありませんが、チョコバナナクレープ。たまには、かけうどんやざる蕎麦を食べてほしいものです。新国劇には立ち食い蕎麦がないから無理かな。
スズランさん
不思議ですね。僕が仮説を立てましょう。本当は交通の便がいい日本の中心。東西のものが入り混じり境界線は曖昧になるはずだけど、名古屋人が変だったんです。食べ物の好みのオリジナリティーがありすぎて、そこで断裂して、東の物は西にいかず、西の物は東に行けなかった。見えない食文化の壁ができてしまったのです。
一度、山田うどんに行ってみたいけど、まだです。山田うどんの特徴はセントラルキッチン方式、お店でうどんを打っている丸亀との違いです。どちらがいいというわけではないですが、山田うどんのポリシー、早い・安い・うまい・腹いっぱいに惹かれています。
オレンジ先生
ありがとうございます。うどんはご飯のようになんでも合いますね。焼きうどんにしても、みそ汁に入れても美味しいです。季節によって、夏はざる、冬は鍋焼きもいいですね。疲れて、料理をさぼりたいときは、釜揚げうどんがお勧め。茹でるだけです。
蓮さん
冷やしうどんは、ぶっかけのことかな。冷たいうどんに、きゅうり、大根おろしをのせて、麺つゆをかければできあがりです。ぶっかけには、ショウガが合います。香川名物、しょうゆ豆を添えると、もう完璧なうどん定食になります。さらに、押しずしを添えるとプレミアムディナーです。
環謝さん
一度、はなまるのサラダうどんを食べたけど、サラダはサラダ、うどんはうどんで食べた方が美味しいと思った。はなまるのサラダが安くて、、、、と思ってHPを見たらサラダが無くなっていた。ゲソ天もメニューにない。好きだったのに。
aiさん
うどんかそばに絞らなくてもいいのです。両方とも好きで大丈夫。香川の人は讃岐うどんが好きだし、秋田の人は稲庭うどんが好きで、それでいいのです。みんなが同じになったら、面白くないし、切磋琢磨できなくなってしまいます。
ゆりかちゃん
たくさん、感想を書いていただいてありがとう。堀尾吉晴が主人公の小説を読んでいますが、秀吉没後は、圧倒的に前田利家に人望があり、家康は足元にも及ばなかったと書かれていました。蕎麦派にうらみはありませんが、うどん派から宗旨替えした利長はゆるせません。母親とうどんのどちらが大事かと言いたいです。高校の同級生に利長という軟派ものがいました。今年の正月の同窓会で会いましたが、髪形が高校生の時と同じアイドルカットのままです。やっぱり利長は許せません。
分け目になってるのが多いんですよね。
味噌とかネギ、丸餅と角餅、カレーの豚と牛等
面白いですね(*^^)v
(蕎麦でなく)「うどんの歴史」と断言し、讃岐うどんが最終的な勝者とは、さすがです。
私は源平でいうと源氏派、織田・豊臣・徳川でいうと、なんとなく江戸時代がいいので徳川派、
ということは、蕎麦派になりそうですね。実際はどっちも好きです♪
うどん・そば・米がパンに脅かされている今の時代、
勝海舟たちの先見の明は確かでしたねw
私は・・・どちらかと言えば お蕎麦派です^^;
でもwおうどんは、いろんなアレンジが出来ていいですよねぇ~
山梨の人が言ってました。
「ほうとうは、うどんではなくて 独立してる」だそうです。
決まった食事しかしなかったから長生きしたってきいたことあります
歴史上の人物は教科書で習うのはあんまり信用してなくて
秀吉もすごいこといっぱい成し遂げたと思うけど
『利休にたずねよ』読むとひどい奴だって思うし
勝海舟が好きだって言う人に会うと
ほんとは船酔いして何にもしてなかったって知ってる?って
言いたくなります
好きな人は?って聞かれたら
小栗上野介 上杉鷹山 隈研吾
最後は建築家だけど(;^ω^)
前回の『本能寺金平糖説』といい、独創的な歴史解釈ですね~^^
まさか、関ケ原の動機がうどんVS蕎麦の論争だったとは(笑)
きっと沖人さん以外、誰も思いもつかない斬新な発想だと思います。
大爆笑で読ませて頂きました♪
沖人説に基づいて、関ケ原の戦いを考察すると、隠された真実が見えてきますね。
うどん派に入っている富山の前田家は、豊臣秀頼の傅役を任されるほどのうどん派重鎮でしたが、利家が亡くなり、息子の利長の代になると、家康の策略によりあっさり蕎麦派に鞍替えしてます。
母・芳春院を江戸に人質に出すほどなので、完全に蕎麦の魅力の前に屈服したとみて間違いないでしょう。
もしかしたら、芳春院さんは夫の利家存命中は遠慮してたけど、大の蕎麦好きで、江戸蕎麦が食べたいと、自ら進んで行ったのかもしれません。
うどん派の主要メンバーといえば、福井の大谷吉継が欠かせませんが、北陸方面軍のうどん大使的な立場だった彼は、蕎麦派に鞍替えした前田家を封じ込めるため暗躍してます。
詳細は長くなるので割愛しますが、それが功を奏して、前田利長の弟の利政がうどん派となり、利長は動くに動けず、関ケ原に間に合いませんでした。
徳川秀忠軍を足止めした真田家のような活躍ですね。
その大谷吉継が治めた福井が、香川に次ぐ第2位のうどん店舗数を誇り、偏差値70なのも頷けます。
もっと驚きなのは、福井の2倍近い差で圧倒的1位の香川の店舗数にびっくり!
前田家や真田家にしろ、家族の間でもうどん派と蕎麦派に分かれた御家も多く、日々の食卓は天下分け目の大戦だったかもしれません。
うどん県民の沖人さんの御家では、きっとそんな骨肉の争いは起こらず、平和な食卓で何よりです^^
関ケ原のうどん派敗因の決め手は、生駒家でしたか。
まさか戦場にいるのかいないのか、わからないくらい影が薄い存在が、勝敗を左右していたとは…
讃岐うどん恐るべしですね!
大政奉還の真の目的に、目から鱗すぎて笑いが止まりませんv
とても面白い歴史講釈をありがとうございました。
沖人さんの面白過ぎる発想を、次回も楽しみにしてますね(*^^*)
日本の歴史がうどん?www
うどんでは讃岐うどんが一番好きですが、うどんと言えば讃岐って、怒る地域もあるでしょう(;'∀')
うどんとそば、どちらも大好きなので一つには絞れないなぁ。。。
おうどんは何しても美味しいですよね♪
サラダうどんもこれからの季節にはいいですよ~(*゜▽゜)ノ
好きです^^
山梨のほうとうも好きですが、最近は吉田のうどんもメジャーになってきましたねw
吉田のうどんはまだ食べたことがないですが・・・(ノ∀`)アチャー