☆御朱印2冊目最終4社確定行程☆一部変更
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- 2019/06/26 17:11:21
愛宕神社
1603年、慶長8年、徳川家康公の命により防火の神様として祀られた。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建されました。
都区内で一番高い位置にある神社で昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失したが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣拝殿などが再建され、現在に至る。
上野東照宮
上野公園に鎮座する神社です。 東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山の他、全国に数多くございます。 当宮は出世、勝利、健康長寿に特に御利益があるとされ信仰されています。 金色殿(社殿)などの豪華な建造物は、戦争や地震にも崩壊を免れた貴重な江戸初期建築として国の重要文化財に指定されており、国内はもとより、海外からも多くの方がお参りされます。 1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立されました。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。 1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
大光寺 (正泉寺より変更)
大光寺の創建年代等は不詳ながら、本土寺千葉県柏市の過去帳に「八日大高寺(大光寺)延徳二(1490)庚戌五月アビコ」とあり、室町時代には創建していたといいます。小金大勝院を隠居した秀恕法印が、江戸時代中期に法流開基となったといいます。とらっち☆彡が青春の1ページを過ごした場所(千葉我孫子市)に変更になり移動した為時間がかってしまい時間オーバー
成田山新勝寺
真言宗智山派の仏教寺院であり、「成田山新勝寺」又山号のみで「成田山」と呼ばれている。
本尊は不動明王で、成田不動、お不動さまなどといった通称で親しまれてきた。開山は平安時代の天慶3年(940年)と伝えられる。(市川海老蔵の屋号成田屋はこれに由来する)
参詣者数において関東地方屈指の寺である。初詣の参拝客数は、社寺としては、明治神宮に次ぐ全国第2位(千葉県内第1位)、寺院に限れば全国第1位の参拝客数である。
雨がひどくなる前に帰宅でよかったです