留萌の街を歩いた後、留萌本線に乗車
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2019/08/15 15:55:18
7月30日の続きです。
ちょうど9時31分に、
留萌発深川行きの列車が出てしまったので、
次の列車12時18分まで、かなり待ち時間があります。
留萌発深川行きの列車が出てしまったので、
次の列車12時18分まで、かなり待ち時間があります。
なので、留萌の街を歩いて、
黄金崎というところにある、
留萌市海のふるさと館まで行ってみることにしました。
黄金崎というところにある、
留萌市海のふるさと館まで行ってみることにしました。
しかし、暑い。
幌延は、薄ら寒い天候だったのですが、
留萌は、しっかり夏です。
霧はすでに晴れ、青空も見えて、蒸し暑い。
幌延は、薄ら寒い天候だったのですが、
留萌は、しっかり夏です。
霧はすでに晴れ、青空も見えて、蒸し暑い。
これまで眠り込んでいるかのような街ばかり通り過ぎてきたので、
それらの街と比べると、
留萌は目覚めている、
この地方の中核都市だけあって、
経済活動が行われているような感じがあります。
それらの街と比べると、
留萌は目覚めている、
この地方の中核都市だけあって、
経済活動が行われているような感じがあります。
もっとも幌延を出発したのは、早朝。
留萌に着いたのは9時半だったので、
街全体が起きているように思われたのもしれませんが。
留萌に着いたのは9時半だったので、
街全体が起きているように思われたのもしれませんが。
留萌は昔、ニシン漁で賑わった港町だったようで、
現在も大きな港が、駅近くに広がっています。
とはいえ、港に停泊している船は、
海上保安庁の巡視船だけ。
街も人通りが少ないのは変わりませんが…。
現在も大きな港が、駅近くに広がっています。
とはいえ、港に停泊している船は、
海上保安庁の巡視船だけ。
街も人通りが少ないのは変わりませんが…。
海のふるさと館の横にあった記念碑を見ると、
1945年8月22日、樺太からの引き揚げ船が、
留萌の沖合でソ連の潜水艦の攻撃を受けて、
沈没したり、大破したりして、
多くの犠牲者が出ていたようです。
1945年8月22日、樺太からの引き揚げ船が、
留萌の沖合でソ連の潜水艦の攻撃を受けて、
沈没したり、大破したりして、
多くの犠牲者が出ていたようです。
宗谷岬と言い、ここと言い、
しっかりと戦争の爪痕が残っている…。
しっかりと戦争の爪痕が残っている…。
しかし、人間が生きていくということは、
煩雑な日常の中に埋もれていくことでもあり、
その中に過去の事件も埋もれ、忘れ去られていく。
歴史資料として残されていても、
それを読み解き、語り継ごうとする人がいなければ、
人々の記憶から消えて行くばかりです。
煩雑な日常の中に埋もれていくことでもあり、
その中に過去の事件も埋もれ、忘れ去られていく。
歴史資料として残されていても、
それを読み解き、語り継ごうとする人がいなければ、
人々の記憶から消えて行くばかりです。
この留萌市海のふるさと館も、
高台から黄金崎と留萌沖を見下ろす眺めの良い場所に立ち、
留萌の歴史や風土を展示している場所なのですが、
入館者が少なく、留萌市も財政難なので廃止しようとしたところ、
廃止すると、ふるさと館改修のために発行した市債を一括償還する必要があり、
留萌市には、その資金的余裕がないので、
廃止せずに、管理委託制度によって細々と開館しているような施設。
高台から黄金崎と留萌沖を見下ろす眺めの良い場所に立ち、
留萌の歴史や風土を展示している場所なのですが、
入館者が少なく、留萌市も財政難なので廃止しようとしたところ、
廃止すると、ふるさと館改修のために発行した市債を一括償還する必要があり、
留萌市には、その資金的余裕がないので、
廃止せずに、管理委託制度によって細々と開館しているような施設。
北海道の自治体は、どこもそんな話ばかりのようです。
じり貧とは、このようなことを言うのでしょう。
じり貧とは、このようなことを言うのでしょう。
海のふるさと館から海岸の黄金崎に降りる道があるので、
降りてみることに。
降りてみることに。
黄金崎は、小さな岩場になっていて、
売店が何軒か並び、岩場では親子連れが磯遊びをしています。
売店が何軒か並び、岩場では親子連れが磯遊びをしています。
君の行く道は~♪ 果てしなく遠い~♫
「若者たち」を作曲した佐藤勝は、留萌の出身らしく、
海のふるさと館のも、この黄金崎にも、
佐藤勝を記念する部屋や碑が置かれているのでした。
「若者たち」を作曲した佐藤勝は、留萌の出身らしく、
海のふるさと館のも、この黄金崎にも、
佐藤勝を記念する部屋や碑が置かれているのでした。
留萌駅に戻り、
駅前通りにある観光案内所兼みやげ物店に入ってみると、
萌えっ子バッジなるものが…。
駅前通りにある観光案内所兼みやげ物店に入ってみると、
萌えっ子バッジなるものが…。
先ほどまで乗ってきた沿岸バスのキャラクターらしいのですが、
ここ留萌の「萌」と「萌え」をかけているようで、
キャラクターの名前は、増毛智恵理・暑寒ななか…と、
ここ留萌の「萌」と「萌え」をかけているようで、
キャラクターの名前は、増毛智恵理・暑寒ななか…と、
地元密着のネーミングです。
さて、留萌本線。
以前は、留萌から増毛まで運行されていたのですが、
その区間はすでに廃止され、
そして、2020年度、この深川-留萌間もついに廃止になります。
その区間はすでに廃止され、
そして、2020年度、この深川-留萌間もついに廃止になります。
留萌港へ石炭や木材を運び、
留萌港からニシンを運び出した頃には、
それなりに重要な路線だったのでしょうが、
現在、貨物輸送は行われておらず、
港への引き込み線もすでにありません。
留萌港からニシンを運び出した頃には、
それなりに重要な路線だったのでしょうが、
現在、貨物輸送は行われておらず、
港への引き込み線もすでにありません。
到着した列車から降りた人数は、10名程度。
昔は行き交う人で賑わったのであろう留萌駅も、
閑散とした趣きで、
それでも駅構内では立ち食い蕎麦屋が営業しているのですが、
駅を利用する旅行客がお客さんというよりも、
駅周辺の住人や勤め人が食堂として利用しているようで、
常連度が半端ない。
閑散とした趣きで、
それでも駅構内では立ち食い蕎麦屋が営業しているのですが、
駅を利用する旅行客がお客さんというよりも、
駅周辺の住人や勤め人が食堂として利用しているようで、
常連度が半端ない。
2両編成の列車を切り離し、
1両にして深川行きとなり、
12時18分出発。乗客は7名。
内、2名が途中駅で降り、5名が乗り込んできました。
数えられてしまう乗客の少なさです。
1両にして深川行きとなり、
12時18分出発。乗客は7名。
内、2名が途中駅で降り、5名が乗り込んできました。
数えられてしまう乗客の少なさです。
留萌本線は、車窓の風景という点では特に見所がなく、
留萌から石狩平野に抜ける峠も、あっさりと抜けてしまいます。
留萌から石狩平野に抜ける峠も、あっさりと抜けてしまいます。
峠を抜けると、恵比島という駅に着くのですが、
この駅、「明日萌・あしもい」という駅名も表示されていて、
後で調べてみたら、NHK連続テレビ小説『すずらん』で、
この駅が「明日萌」駅としてロケ使用されたようです。
でも、見ていなかった私としては、特別感慨も湧きません。
この駅、「明日萌・あしもい」という駅名も表示されていて、
後で調べてみたら、NHK連続テレビ小説『すずらん』で、
この駅が「明日萌」駅としてロケ使用されたようです。
でも、見ていなかった私としては、特別感慨も湧きません。
石狩平野に出ると、
列車は遠くに大雪山系を眺めながら、
一面の田んぼや蕎麦畑の中を走り、
ほどなくして13時13分、深川に到着。
わずか50分程度の留萌本線の旅でした。
列車は遠くに大雪山系を眺めながら、
一面の田んぼや蕎麦畑の中を走り、
ほどなくして13時13分、深川に到着。
わずか50分程度の留萌本線の旅でした。
今日は、ここ深川から札幌に向かい、札幌で宿泊。
明日は札幌から、これもまた廃止の運命にある札沼線に乗ります。
明日は札幌から、これもまた廃止の運命にある札沼線に乗ります。
深川駅前にある深川商工会議所の建物の垂れ幕には、
「守ろう 活かそう JR留萌線」の文字が…。
しかし、その呼びかけが実を結ぶことは、
ついになかったようです。
「守ろう 活かそう JR留萌線」の文字が…。
しかし、その呼びかけが実を結ぶことは、
ついになかったようです。
P.S. 札幌でスープカレーを食べました。
15種類の野菜カレーを注文。
あっさりと調理した
15種類の野菜それ自体は美味しいのですが、
しかし、野菜の味そのものを楽しむのなら、
カレー味にしてしまうより、
ポトフのような料理にした方が楽しめるような気がします。
また、スープ状のカレーソースは、
御飯にかけると、粘り気がないため、
御飯とうまく絡まず、素っ気ない味になります。
スープカレーは、なんかまだ
改良の余地がある料理のように思いました。