アメリカの大学での課題図書ベスト10が凄い!
- カテゴリ:日記
- 2019/08/28 00:11:33
おひさしぶりです。なかなか日記出せぬまま、
昨夏、妙なニイサンにナンパされた日記から、もう一年かあ…早すぎの時の移ろい…
先ほど、カトリーヌさんの日記でコメしたのだけど、、とても興味深い話題だったので、
それをアレンジして、夏休みの宿題がわりの 久々の詩蘭日記に…。
★アメリカの大学で出される課題図書 トップ10 これがスゴイ!
哲学や政治思想の、超古典が、上位を占めています。
★名門大学群(アイビーリーグ)での課題図書トップ10(2016年)。
①国家(プラトン)
②文明の衝突(ハンチントン)
③英語文章ルールブック(W・ストランク・Jr.他)
④リヴァイアサン(ホッブズ)
⑤君主論(マキアヴェリ)
⑥アメリカの民主政治(トクヴィル)
⑦正義論(ジョン・ロールズ)
⑧バーミンガム刑務所からの手紙(ルーサー・キング・Jr.)
⑨自由論(J・S・ミル)
⑩つきあい方の科学(ロバート・アクセルロッド)
★全米の大学全体でのとっぷ10でも似たようなもの。
①英語文章ルールブック(W・ストランク・Jr.他)
②国家(プラトン)
③Biology(Neil Campbell)
④共産党宣言(カール・マルクス)
⑤ニコマコス倫理学(アリストテレス)
⑥君主論(ニッコロ・マキアヴェリ)
⑦リヴァイアサン(T・ホッブズ)
⑧オイディプス(ソフォクレス)
⑨フランケンシュタイン(M・シェリー)
⑩A Manual for Writers of Term Papers…
★ 文書作成ガイド以外、哲学や政治哲学、倫理学中心に、古今の古典名著が林立!
こんなの、日本では、哲学科以外では哲学に深い関心ある人以外、読まないでしょう。
★ 古代ギリシアのプラトンやアリストテレスから、近代初期のホッブズらを経て、マルクスから、今日のリベラリズム倫理学・政治哲学の中心テキストであるロールズまで!
自由主義の帝国 アメリカなのに、マルクスの『共産党宣言』が上位に入っているのも驚き! マルクスを参照して成立した20世紀の社会主義・共産主義国家は、党幹部らの非マルクス的な利己主義で全体主義化し、大失敗だった。
しかし、マルクス自身の理想は、<ホントウに誰もが自由を生きられるための生活基盤の平等な社会と、その上でのみんなの自由>を理想としたもの。
その意味では、本当のマルクス主義は、リベラリズムの理想の極限を求めるものだったし、アメリカでも、誠実な知識人たちはそれを分かっています。
他方、現代リベラリズムの基本文献であるロールズの『正義論』は、フツウにリベラリズムの枠の内において、その自由の基盤の平等を確保する「無知のベール」という思考実験を提示。現代政治哲学の基礎。
しかしこんな古典名著、名門校の学生だって その多くは、置いてけぼりだろうなぁ。
★ ここにあがった哲学~政治思想については、日本語なら、
堀川哲『歴史を動かした哲学者たち』 『世界を変えた哲学者たち』(角川文庫)。
前者は、デカルト、ホッブズなど近世初期からマルクス、ミルなど近代まで、主に政治哲学中心、
後者は、ニーチェ、フロイト、フーコーら20世紀の大スターからロールズ、
そして日本でも大ヒットしたサンデル、ポストモダン系のローティまで、を、それぞれ
とても分かりやすくユーモアや皮肉も交え、少し読書力ある人なら、誰でも読める、
とてもよい解説・導入本です。文庫だし。
まあ今は、欧米語圏でも、マンガで読む哲学史 のような本も、ネット情報も多いから、それらをガイドに…でしょうけど。
★ 詩蘭が10冊選ぶなら、どうするかなぁ。
取り急ぎ、上のリストをベースにするなら、も少し先端的 でも足がかり的なモノとして、
スラヴォイ・ジジェク『事件!』と大澤真幸『社会学史』あたりを加えるかなぁ。
ジジェクと大澤、そして上の二冊については、後に、コメで解説追加…できるかな
(カトリーヌさんの日記へのコメを、加筆修正して掲載)
平安の貴族社会が倒れ、武家が支配する鎌倉時代へ移行した。
今の資本主義のコロナ禍の中、軍事優位の政権が各地で勃興したりせぬことを祈る、だね。
他方、そんな今、世界中でマルクスの新たな捉え返しなども出てきています。
もちろん、ソ連や中国のようなものとは全く違う(あれらはそもそもマルクスの理想も全く裏切っていた)、
他方、技術革新とGDP増大を盲目的に求めた近代とも全く違うもの。
今のままの総生産増大を目指していたら、気候変動も進み、大災害も増え、格差は広がるばかり。
それに対して、普通の人たちのコミュニティの関係を鍛え、
技術革新より自然との共生を大切にする方向、
そのヒントが、マルクスの資本論にはあった。
『NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 』などはその代表です。
今は平安時代末期のように思える (ーー;)
政治家や権力持った人のすることだよね。
彼らの権力や財力は、無数の人たちの苦労や犠牲の上で成り立っているのだから。
それに気づかず、それをできないような権力者は、
自分が権力持っていると分かっていて、その力をふるっていた前近代の王侯貴族より
実ははるかに悪辣だ、ということに みんな気づかなくては。。。
化けると思うが... 現代医療を過信して 医療機関を逆恨み する
人が増え 通院で脱力する事も増えた (-o- )
(-o- ) ← ワシのオコチャマ頃もじゃが 学校で 生活に使える事の学びが
少ない と 思えてる現代のスマホなし原始人
互いに競い合う場がしっかりできている場で、楽しく競い合うのは大好きなのだけど、
市場競争や出世争いのような 生きていることそのものを競わせる、というのは大っ嫌いなんだ。
人は生まれながらに、能力も体力や容姿も家庭の資産なども不平等!
そして、MCさんは身にしみて知っているように、病気や事故や仕事関係でタイヘンな目にも会う。
だからこそ、生きることだけは、どんな人にも保証されることが、何より大切。
その生きることの基盤まで、過酷な競争を強いて、
その成否を、自己責任なんて言葉で言いくるめるなんて、残酷の極みだよね。
80年台頃のレーガン&サッチャー政権時代頃から広まった
社会保障より市場の競争を絶対視する新自由主義は、その意味で、悪魔の思想ですね。
今のパンデミックは、その悪魔性を欧米諸国にもハッキリ突きつけている。
この災禍への反省から、より世界中の人達が、
自分の人生をほんとうの意味でより自由にできるような世の中へ向かって欲しい。
今のワシの感覚 その1 エボラ級じゃなくてヨカッタ、
その2 欧州のペストの歴史 と 近年のサーズ での 学びの
オカゲで 過去の 大型地震2個 と 凶暴台風2個 を 生き延びれて、
感染対策を報道より早めに予想でき 物不足前に備えがデキタ、
その3 ワシを含めて 大阪市民は「 へん 」じゃから、
「ヘンなヤツが増えた」 じゃなく 隠れてたのが「 表面化した 」
だけ じゃから マイペース (-o- ) ←通院危機も昨年回避
でも さっきヨソで 西行のアンドロイド話 見た時は気付かなかった。
高校時代の古典も、こういう話を使ってくれたら、ずっと面白いのにね~。
その意味では、ここの本題、「課題図書」とテーマ的にもしっかり結びついているな。^^
西行のアンドロイドと、それに加えて、西洋と中国の昔話にも、人造人間話があるというブログ記事、
ここにも貼っておきます。
http://denjiha55.blog.fc2.com/blog-entry-657.html
https://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=163987&aid=61242035
でも西の多摩川水系では、上流の多摩方面から下流の世田谷方面まで、氾濫で浸水も多所であった。
東京は、昔は下町方面が浸水多かったのですが、治水整備などで今は多摩や山の手の方が被害が出やすい。
にしても、ほんと 近年、猛暑、強大台風はじめ、気候が乱暴になりましたね。
温暖化対策、原発削減と背反しますが、それでも共に早急に進めないと、どんどんヤバいことになりそうです。
ご心配ありがとうございます。
福島には実家もありますし、知り合いも沢山いますので
関係ないわけじゃないんですよ。
郡山市内とか尋常じゃない水害で、とてもへこんでいます。
須賀川でも、川が氾濫してひどいことになりましたし、
悩ましいですよ、
下に書いたロールズらの他、こうした問題の基本的な古典文献へのコンパクトな概説として
上の本文下の方に 赤字で出した、堀川哲さんの二冊は、哲学など読んだことない人にも分かりやすい良書です。
ただ、それぞれの本についての、堀川さん自身の寸評は、詩蘭としてはしばしば異論もありですが、
そこを注意すれば、類書の中でも、もっともお薦めです。文庫だし。
また、お返事もありがとうございます。
とても楽しく読ませていただきました。勉強になります。
自分のところにも少しだけ返事を書かせていただきました。
「人類が幼年期」いいですね。
常に変わり続けるので、
まだまだできていないことをきちんと自覚して、
時代に合ったやり方を、考え続けなくてはいけないということですよね。
そしてそのやり方は、
「人類の存続に対して建設的」でなければならない。
といったところでしょうか、
つまり、ネットやコンピューターなどの操作では、ずっと <自由>の幅が広いでしょう。
しかし、もっと“自由"に使えちゃう人たちは、その力を乱用したり悪用する可能性もあるよね。
また、悪用するつもりなどなくとも、今の情報技術は、人々の情報を集め、利用することができるし、
それを集約的に活用できる企業や人々は、そしてそれを活用できる国などの権力システムは、
そのことだけで、多くの人々より強い操作可能性の自由度を持ってしまっている。
だからこそ、許可や認可の制度も、必要悪的に不可欠だけれど、
そもそも制度や法というのは、無ければ無いにこしたことはない、必要悪。
そして、その必要悪を狡猾に使いうる力=本の網が掛からない境界線上の自由度、
を持つ一分の人々がいる。
高度な最新テクノロジーの開発が、そうした闇の領域の“自由度"を広げぬよう、
新たな用心も求められますね。
規制が多すぎて動きにくい御時世に化けたなぁ (;´Д`)...
動く前には ナンデモかんでも 許可制 認可制 (;´Д`)...
愚痴っても解決のカケラにもナランけどぉ (;´Д`)...
悪用する人が減ったら 制度を緩める事もデキルと思うけどぉ (;´Д`)...
Windows95の普及前は 日本でも ナンチャッテ微アメリカンDreamモドキの
カケラを体感デキル事も有っても 今では微アメリカンDreamモドキと遭遇するのは
難しいのぉ (;´Д`) ...どころか 今では 頭も老いて 心の目も老いた (;´Д`)
じゃが 愚痴ったり ボヤけるウチは 平和に思える (-o- )
まず、下で描いたような自分の現在の資質や特性を 一旦、すべて不明だと考えてみる。
資産家の育ちなら、その資産やそれで得た学歴などを、あるいは美貌を誇る者はその美貌を、
うまく地位や権力や権威を得た者も、その獲得物を、
どんな特性も、そんなもの 持ってるかどうかが分からない(=自己の特性に無知)、
そうした状態を想定してみる。
これが、「無知のベール」の想定です。
すると、自分が、あるいは貧困家庭の子かもしれない、重篤な病で日々タイヘンな身かもしれない、
つい先日までは順調だった仕事で大失敗し巨大な負債を負った身かもしれない、
最愛の妻子を事故で失ってしまい絶望状態にあるかもしれない……
すると、自分が、どんな状態にあっても、しかしこの身の生存だけは、社会が保証してくれる
そんな社会こそが、最低限の理想状態ではないか?
少なくとも、日々を生きる生存権だけは、何があろうと確保される、
であればこそ、それ以上のことを なんとか挑戦しようという意欲もわき、
どんな状態の人であれ、生存の心配だけはせずに、ホントウに<自由>な挑戦ができるはず。
このロールズの思考実験は、とても説得力のあるものですが、
しかしそれでも、難点は色々考えられますし、以後、批判や論争も出て、今に至っています。
昨今では、このロールズの構想を実現する方策として、
ベーシック・インカムという仕組みも提案されていますが、
それもまた、社会が実装するには無数の問題がある。
ともあれ、人類は、まだまだ、幼年期 なのでしょう。
コメントにある支配欲、この日記本文の課題図書にあるホッブズの『リヴァイアサン』はまさに
人間は、自然な状態においては、互いに優位にたとうとして、
それを放置すると「万人の万人に対する戦い」となってしまう…という仮説を提示しました。
しかし、理性はその危うさを察知することもできる。
そうして、この万人の闘争状態を回避するために、互いの権利を調停する国家という仕組みを共有する。
しかし、国家という仕組み自体が、その権力を委ねられた支配層の、自己の利害に左右されがちとなる。
そこで、以後の、近代の様々な国家論や社会論が探求・提案され、実装や改革が続いた。
上に挙げられた書籍の中でも、ミルの『自由論』、マルクスの『共産党宣言』は、
それぞれ、近代の自由主義、社会主義から共産主義の、代表的な指導書ともなった。
けれど、自由主義、社会主義、共産主義共に様々な不備を露呈し、今なお最善解には程遠いのが現実ですね。
20世紀後半の自由主義の代表的な政治哲学の書であるロールズの『正義論』は、
「無知のベール」という独特の思考実験を提案しました。
簡単に説明してみます。
人は、貧富や資産だけでなく、能力、資質、運など、様々な違いや格差を持っている。
そして、どんなに恵まれた者でも、ある時、病や事故や諸事情で、突然、優位を失うこともある。
そうした様々な特性の束が、それぞれの人の幸不幸や自由の有利不利を枠付けてしまう。
今の自由主義は、そうした枠の格差を無視して、抽象的に、自由を謳っているばかりで、
実は、持って生まれた資質や育ちの過程の運などで、自由の可能性にひどい格差がある。
その中で、ホントウに平等な自由のベースを みなが得るにはどうしたら良いか?
そこで、出されたのが、「無知のベール」という思考実験でした。
次のコメで、その説明してみます。
宗教でもそうであるように、
一部の人間が多数の人間を支配したいという欲望は
およそ全ての人がもっているものなんだろうなとは思います。
言い方を変えれば、自分が楽をして誰かの利益を横取りしたい
という考え方も、おそらくは普通の人間の思いなのではないかと思います。
そのうえで、人が共食いをしすぎると、
利益を得ている一部の人間ですら自分の身を守れなくなるので
宗教や哲学で、ある程度の満足感を持ちながら
利益を供出してくれる人間を作り出し続けているのではないかと
私は思っています。
私は到底、一部の大富豪にはなりえませんし
自分の今を見たうえでどんな生き方が一番自分を幸せにするのかと
考えながら生きていますが、
資本主義の大前提には、「お金」に対する
絶対的な信頼が必要不可欠なことですよね。
これが崩れてしまえば、どれだけのお金を持っていても、
何とも交換できなくなってしまうので、
それこそただの数字であったり、紙だったりと
そうなってしまいます。
例えばアマゾンがどこかの政府より信頼できるとなった場合に
持っている通貨のすべてをアマゾンのポイントに変えて保管する
なんてことも、もしかしたら、この先起こりえるかもしれません。
一部の資本家が、
資金を持ちすぎるということは、
あらゆる国家にとって、そういう危険を生むということを
忘れないことだと思います。
また、哲学も宗教も時代により
正しいとされるものは変わってきて当たり前なので、
常に過去の哲学を踏まえながら、
これからどういう考え方で生きていくのが
多くの人にとっての幸せになるのかを
みんなで考えながら
答えを探し続けることが大切だと思います。
電車の中の八割もの人がちっちゃな板っペラにしがみついている景色なんて見たら、
ぎゃ~なんて不気味な景色! って思ったろうね。
ただ、政治的見解の分断化もネットのせい、というのは、先入観かも、というデータもありますね。
ネット使用率の低い高齢者ほど、政党支持などの分断化・分極化は進んでいる様子。
しかし他方、若い世代は、ネットでの短文応答に慣れ、長文を深く読み込む習慣が薄れている。
それで、状況を深く捉え返す…というような思考が弱まっている…
結果、時代の流れに流されやすくなっている気配はある。
スマホ画面をポチポチ押してる人数が増加中じゃわ...小さい子供が暴れても放置とかぁ,,,
トンデモナイ御時世に化けたなぁ (;´Д`)
病体でも長生きデキタが 見たく無かった情景じゃわ (;´Д`)
ワープロ使うようになってからは、ノートや原稿は手書きじゃないし~。
ただ、構想作りとか、概念や言葉の相互関係を色々考える際は、
紙の上に自由に地図を描くように書き出す方が、思考の運動や考えの変化に即応しますね。
ミステリなどで調査室で、事件の情報をホワイトボードなんかに書き並べて、議論するように。
とはいえ原稿は、今の時代(Windows95以降かな)、手書きで出す人はごく少数だろうね。
さらに最近の高校生や大学生あたりだと、ガキの頃からスマホいじっていて、
レポートなんかもスマホで作るってヤツもいるようですね。
デートの時、二人で店にいても、お互いスマホいじってるような景色もあるもんね。
死ぬまでスマホの鎖つながりなのかなぁ
手書き メッチャ速いじゃろなぁ うらやましい (@@;)
速く書ける人じゃと 電子書類よりも 紙の方が 自由編集がし易いもんなぁ (@@;)
ワシャ オコチャマの頃から 書くのが激遅じゃから PCとインクジェットのプリンタの
普及で 生活がラクになった (^_^;)
いまでも使いまくるWindowsの「めも帳(保存形式テキスト)」と「ペイント」は大活躍 (^_^;)
※ PCでも古いモノで原始的に生息中
保存も複製化も、また、ネット上における広範な参照の利便性などは、電子テキストならではのもの。
ネットも、情報の電子化も、他方の印刷文化も、MCさんの言うとおり、
それぞれの利点を活かした その使い方こそが大切ですね。
印刷テキスト、電子テキスト、それぞれに利点も弱点もあるものね。
もっとも電子テキストは、コピーもアレンジも簡単だから、
学生の課題提出や卒論なども、コピペ&アレンジで一丁上がり、なんてのも、当たり前になっちゃった様子w
若い頃、人の卒論書いてやる、ってバイト、したことあったw
あれは、自分の勉強になり、かつ、とてもよいギャラもらえてよかったなぁw^^
学習とか 資料作りとか 調べモノとか PCの普及前から難しいと思ってたm(_ _)m
電子書類は 残された 知的財産や 文化を 劣化を最小限に保存するのが
最大の目的と思ってねm(_ _)m
保存した電子資料を印刷したら 落書きしまくれるのは 大きな利点と思ってね(^_^;)
電子書類も PCと同じく 有効活用は使う人しだい (^_^)b
哲学や批評でも、概念間の関係を図式化することは、むしろ超得意ですよん。
ただ、テキスト読む時は、文章や言葉を線やマーカーでつないだり、その関係を自分の言葉で書き換えたり、
ページの余白に、図を書いたりとかするし、他のページとペラペラ交互に見比べたりもするけど、
デジタル本だと、そうしたことが自由にできない。
まあしかし、MCさんなどは、デジタル構成自体も色々いじれるだろうけれど、
ソッチのスキルなどは全然持ってない。
随分前に、美術関係のCD-ROMシリーズの監修などはやったけれど、
それはあくまで、文章や絵の解説などの内容の方だったしね。
PCの普及とともに 書式とかぁ フォーマットとかぁ 決め事が多いから
ワシの老いた頭では 変化を受け入れられる隙間が少ない (;´Д`)
詩蘭は、何事につけ、縛られるのがイヤなので、今のネット環境、子供の頃、無くてよかったって思う。
中高生の頃に、ずっとLINEを気にしなくちゃならない、なんて、足に腐り繋がれた囚人みたいだ。
SNSやネットも、自由に、楽に楽しめる……ニコが始まった頃は、まだ、そんな雰囲気だったのになぁ
本とタブレット、詩蘭は、本を読む時、まず、シャーペンで線を引いて、気づいたこと書き込み、
二度目には、マーカー引いて、さらに書き込む…などするので、紙の本じゃないとダメなんです。
すぐにアッチコッチの関連ページにも飛べるしね。
タブレットなどでのマーカーやノートは、これも好きな様にできない縛りがあるので、ダメなんですw
昨年から スマホ タブレットで マンガや小説を読む人が急増中。
本より字がデカく表示してるから 老眼のワシでも近くじゃと見えちゃう、
便利な時代に化けたなぁ。
この3年 紙の取説が読みにくくなり 取説PDFをダウンロードして
読むようになった 老い侵攻中 (;´Д`)
検索ワードが判っていれば PDFは便利 (^_^)
今世紀の始め頃だって、今の電車の中のスマホに繋がれた景色など、想像できなかったのだし。
でも、どう変わるのか? もっと ヤバくなってしまうのか?
ネットが今ほど広まってない時代……たかだか十数年前……までは、
その時間を、他の遊びやTVや読書などに使っていた……その分が、ネットに変わってしまった。
それは、よりアダルトな世代でも、かなり見られるようですしね。
実際、電車の中で本や新聞を読んでいる人は、ごく少なくなってしまった。(詩蘭は本読んでますw)
こないだ本を読む余裕がなくなった…と話してました。。。
星の王子様とピーター・ラビットは詩蘭も好きです…てか、話の展開はもうあまり覚えてないのだが…^^;
ピーター・ラビット柄のカップやお皿も持ってるよ~♪
本を読むことは、しかし、ネット時代になって、大きく減っている様子ですね~。
電車の中でも、たかだか十数年前頃は、新聞や雑誌や本を読んでる人もけっこういたけれど、
今じゃ、7~8割の人が、小さな板っペラに縛り付けられてる風景だしね~。
ニコッとより、ずっと縛りがキツイ、LINEやTwitterの応答で、
生涯のどれだけの時間が取られちゃうのだろう?
赤毛のアン・星の王子様・たのしいムーミン一家・ピーターラビット・・・・
アメリカの大学生にはなれないニャン・・・orz
でも日本の識字力は99%だから、ソレが日本の物づくりの底力になってるけど
英語力は弱いしなぁ~
上の中では、フランケンシュタインとオイディプスの二つは、物語の歴史的傑作。
映画やマンガでも色々なヴァリエーションがある。
リヴァイアサンは、元は旧約聖書に出てくる怪物の名で、中世キリスト教では悪魔ともされた。
ドラマ『スーパーナチュラル』の怪物も、そうした脈絡を背景にしてるのでしょう。
★上で出ているホッブズの『リヴァイアサン』は、そうした背景の上で、
国家のことを その怪物になぞらえた、プラトンの国家論と並ぶ、国家論の古典的名著。
人間は、自然のままでは、誰もが互いに争い合う状態=「万人の万人に対する闘争」にある。
しかし、互いの潰し合いは、誰でもいつ潰されてしまうか分からない。
(今の自由競争の市場社会も同じ)。結局、世の中全体も壊れてしまいかねない。
そこで、好き勝手放題を調整する仕組みを作らなくちゃならない。
その共通の利益(コモンウェルス)を育むために、害となる行動を制限する仕掛け、
それが、国家という権力装置。
この、安全のための仕掛けが、リヴァイアサンという怪物の名で呼ばれるのは、
一方で、政治組織などの権力の仕組みは、
人々が、それに抗ったり違反したら、捕まえ懲罰を与える、という、超巨大な怖い存在、だからでした。
リヴァイサンもタイトルだけで、あれかな?的な(進撃の巨人)とかスパナチュの怪物を想像w
まあ、「読まされてる」ってのが実情でしょうけどねw
でも、大学生が年間に読む本の量、アメリカやフランスやドイツどこも日本の5~10倍というデータも!
日本が、ジャパン・アズ・ナンバーワンってかつて言われた力は、
知的な基礎力というよりも、技術的・職人的な緻密さと、村の同調圧力も支えとした根性や勤勉さ
という側の力だったのかも。
だからこそ、90年代以降、さまざまな停滞の時代になって、
それを根底から考えなおす、創造的な知性が要される時代になると、急にしぼんでしまった。
歴史に残るような本や作品 作ったような人は、そりゃ 変人以外にはありえない。
フツウの感性・知性だったら、人並み外れた芸術や論理や思想など 出てこないからね~。
トランプなんかは、変人ではなく、金持ちのお坊ちゃまが超ヤンキー、
「アメリカ・ファースト」とかって、深く考えない庶民たちの不安感情を引きつけるイメージで
したい放題の権力を引き寄せてるだけ……まあ、それができるのも、ある種の才能ではあるけど、
ここに出ている本などは、一冊も読んでないでしょう。
アメリカの学生さんは、、こんなの読んでるんですかね?
そりゃ、かなわないよね
う~ん 上の二つのベスト10、詩蘭も、熟読したようなのは一つもないのだけど~w ともあれ
プラトンやアリストテレスやホッブズなどは、そのまま今日の政治や倫理の理論とするわけにもいかない。
ということで、専門的に考えるのでもなければ、下の方に挙げた堀川哲の二冊の概論などで十分と思うのだけど、
この堀川の本も、堀川自身の主張の部分は、かなり危うい。 あくまで、自分で考えるための、過去の賢人たちの思想のエッセンス その基本ガイド、という距離感が大切。
★読み物として面白い という点では、ソフォクレスの『オイディプス』かな。
オイディプスって、エディプス・コンプレックスのエディプスですね。
今から二千年も前の 古代ギリシアの王宮における近親相姦から、それによる異様な悲劇の展開。
それが、二千年以上たって、フロイトによって、
「人がオトナになる過程で、抱え込まざるをえない心の屈折のモデル」 として捉え返された。
ちなみに、作者のソフォクレスは、本人が超美少年だったという伝説もある。
同じく超美少年の大天才として有名なのは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチ。
松岡正剛がそこをつなげ、『オイディプス』はレオナルド・ダ・ヴィンチが書いた物語のよう、
って、へんな感想を言っていました(どういうツモリなのか分かるような分からんようなw)
しかし、それらも、冷戦体制崩壊後の、イスラム圏からアジア圏、そして欧米日など先進国含め世界各地で起こった復古主義的な退行…は、想定外だった。
一方で、資本主義システムがグローバル化と共に、マルクスが想定したよりはるかに複雑化しつつ世界を飲み込んだ。レーガン、サッチャー以降欧米中心に日本まで広がった新自由主義=ネオリベラリズムの傾向では、政治も日々の生活も芸術もすべて市場価値が優越し、自由とは、何より市場参加の自由。そこで負けても「自己責任」とされる。
資本主義システムは、儲かることで基盤の資本が増え、資本が増えれば一層、競争で有利になり、勝った者ほどどんどん有利になる優勝劣敗の過酷なシステム。 その点を捉えてマルクスは、そこでの自由は、あくまで形式上=建前上の「自由」にすぎず、市場で勝利し資産にゆとりを得た者以外の自由は減るばかりの、見せかけだけの自由主義にすぎない、と見切った。
では、どうすれば、皆に本当の自由が保証できる社会を作れるか?
その社会構想の点では、マルクスの統制経済システムも、その後の第二次大戦の大きなキッカケともなった大恐慌から戦後不安で出されたケインズの福祉国家も、ロールズのリベラリズムも、サンデルのコミュニタリアニズムも、どれもそれぞれに欠陥が指摘される。昨今は、AIの展開と共に、AIが労働を肩代わりした分を、みなに平等に分配するベーシック・インカム構想も様々に出ているけれど、それもまだ未完の構想。
みなで、良いアイデアを生み出さねばなりませんね。
マルクスの理想は、20世紀、マルクス主義を謳ったソ連や中共などの革命国家が、超管理体制の全体主義国家になってしまったことで、本来の理想とまったく真逆のイメージを広げてしまった。まあ、マルクス自身の構想が、革命後の具体的な政策などでまだまだ未熟だったゆえもあるけれど、にしても、マルクスさん本人は、あの世でがっかりしているでしょうね。
他方、20世紀の、良質な先端的思想は、ソ連や中共などとは別の、未来社会の理想を、どこかでマルクスのアイデアを踏まえて、追求していました。サルトルの実存主義も、それを批判しつつ、欧米から日本でも20世紀末の先端文化を導いた構造主義からポストモダン系の思想も、その社会観においては、マルクスの着眼を、開放された未来社会のベースとして、政治~経済~芸術論へ展開していました。
どこに流れてるか追えば、福祉も充実するのでは?と思われる。
わはは!
ところで、この中でお勧めとかあるの?読んで面白い系
小泉政権で派遣社員を増殖させて生活水準を低下させ
安倍政権のゆとり教育で学力や考える力を低下させますた
その結果 生活がいっぱいいっぱいで政治に構ってる余裕を無くし
組織票と子供手当や学校無償化のバラまきでやりたい放題の安倍が
のさばってると思いまつ(-_-;
子供手当や学校無償化と言っても政治屋の資産から出てる訳じゃなく税金でつからね
親は得した気分かもしれないでつけど それで育った子供はその分の税金を
将来ぶん取られる事になるんでつけどね( ・ _ ・ ;
部分があったと感じるが、バブル以降、小泉政権、安倍政権で
全てぶっ壊された気がする。