初秋の御朱印廻り第一弾
- カテゴリ:日記
- 2019/09/10 00:30:03
寒川神社 「深大寺」の名称は、仏法を求めて天竺(インド)へ旅した中国僧の玄奘三蔵を守護したとされる水神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に由来していると伝えられている。奈良時代の733年(天平5年)、満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝える。平安時代の859年、天台宗へ改宗する。 本尊は本堂に安置されている阿弥陀三尊像。東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹である。 「深大寺そば」が付近の名物として発達したのも水の恵みと無関係ではない。蕎麦の栽培、そば打ち、釜茹で、晒しに湧水が利用されただけでなく、水車を利用してのそばの製粉も行われてきた。
創建時期は不詳であるが極めて古いとされ、約1600年前の雄略天皇の御代には既に朝廷より幣帛の奉勅があり、延喜式神名帳では、相模国唯一の国幣大社として朝廷の名神祭に預かる名神大社に列格された神社である。
源頼家が誕生した際には、源頼朝より神馬の奉納等があった。
以後も北条氏(鎌倉幕府)から崇敬された。 戦国時代以降、相模国を支配した後北条氏や徳川家康(徳川幕府)より社領を認められた。また、武田信玄が小田原攻めの途中に当社を参拝して戦勝を祈願し、自身の纏っていた兜と太刀を奉納している
深大寺
江戸時代の1646年と1865年に火災に遭い、堂宇の大半を失っている。現在の本堂は大正時代の再建である。
深沙神というと玄奘の兄を食らった(水に沈めた)フィクションを思い出します
深大寺蕎麦 一度食してみたいです