ピグの終わりのメッセージ
- カテゴリ:日記
- 2019/11/29 20:18:05
みなさまに思いを伝えたくて書き込みします。
https://ameblo.jp/shinsokkan/entry-12549190164.html
長いあいだピグをしていますが、まともなブログを書くのはこれが初めてとなります。
ピグが終わる前に自分の気持ちをみなさまにお伝えしたくて、ブログに残します。
私がピグを始めたのは「ピグ10周年エリア」によると、どうも2011年の9月らしいです。
初めは何の気も無しに始めたのですが、次第に家にいる時はとりあえずピグにインする状況になりました。
お決まりのイベで放置していて何もしていなくても、別の画面で他のサイトを利用していても、よく会うメンバーと同じイベの空間にいることで、みなさまと繋がっているように感じていたのだと思います。
そこで馴染みになったメンバーがイベを開くとそこも覗きに行ってといった具合で、みなさまをとても馴染みに感じていました。
しがらみが無いから何でも言いあえて、現実世界では通じ合えないかなと思う内容を話しても誰かそれに応じてくれる人がいる。
いま思えば、いろいろバカなやり取りばかりして楽しかったなあ。
10周年のお祝いで今までを懐かしんだ後に、みなさまご存じの通りピグ終了のお知らせがありました。
その時はまだ先のことに思えて、終了までの間にネットサービスに詳しい人の提案か何かで、どこか同様のサービスにピグユーザーのほぼ全員がごっそりと移動するかのように思っていました。
しかし、そんなノアの箱舟のような展開はありませんでした。
ピグの運営は新しいピグパーティへの移行を勧めたいように思えますが、スマホのような小さな画面でちょっとした合間に利用するイメージがして私の性には合いません。
家に帰っての落ち着いた環境でPCの大きな画面を使ってくつろぎたい、プライベートの空間でプライベートの時間をピグのメンバーと過ごしたいのです。
他社のサービスもありましたが、私にはちょっと勝手が違うように思えました。
そうしてる間に時間は過ぎていき11月の後半、ピグの終わる一週間前の週末になると「ピグ終了まで残り一週間」と銘打ったイベントが数多く見られました。
今更ながらそれを見た時に初めて、じんわりとピグが無くなるという実感が湧き初め、その思いが次第に強くなっていきました。
ピグの仲のいいメンバーからは私への慰めだと思いますが「サービスにはいつか終わりが来る」と言われました。
当然、それはそうですし、この移ろいゆく世の中では全てのものに終わりがある…それは私もわかっています。
しかし、心はそう簡単に切り替わらない。
心にもスイッチがあれば楽なのに、心は移ろいゆくものに囚われてそこから簡単に離れはしない。
ピグを始める時は何でもない存在にすぎなかったのに、失うときになって大きな存在になっているのは悲しい不条理にも思えます。
いつの間にか、この空間でみなさまと繋がっていることが、私の中で大きな意味を持つようになっていたのだと思います。
本来なら「いままでありがとう!」と最後に言うのがカッコいいのでしょう。
でも私はカッコ悪くてもこの気持ちを吐き出したい!
馴染みのメンバーとこの同じ空間を共有できなくなるのが苦しい!本当に胸が苦しい!
今の私はどこにも向ける事の出来ない、何とも言いがたい焦燥感に支配されている。
こんな自分もあるんだなと思ったり、過去の自分はあの時も今と同じように苦しかったのか?と思ったり、世の中の悩んで苦しんでる人も同じような苦しみなのかな?と思ったり。
人生は長いのだから何度も落ち込むことがあって、その度にいずれは立ち上がってまた前を向いて歩いていくのでしょう。
どうせ前に進むしかないのなら、落ち込んでいるだけ時間の無駄で馬鹿らしい。
そう思えば落ち込でいる必要なんてないのだけれど、自分で心を支配するのも限界があるようです。
時間がたてば解決するのだろうか?ピグを忘れてしまえば楽になるのだろうか?みなさまのことも忘れてしまうのだろうか?私のことも忘れられてしまうのだろうか?
例えもし、どこかで再び相まみえることがあったとしても、お互いに気づくかどうかを考えてみても悲しいことです。
ほんのわずかですが何かに期待してしまう、その気持ちがさらに苦しみを産んでしまっているのかもしれません。
長くなりましたが本当の最後の最後に、みなさまどうかいつまでも元気でお幸せにいて下さい。
ここでのご縁と思い出と出来事が、全て私とみなさまに良い意味をなし、さらなる成長をもたらしますように。
ピグが終わる前に自分の気持ちをみなさまにお伝えしたくて、ブログに残します。
私がピグを始めたのは「ピグ10周年エリア」によると、どうも2011年の9月らしいです。
初めは何の気も無しに始めたのですが、次第に家にいる時はとりあえずピグにインする状況になりました。
お決まりのイベで放置していて何もしていなくても、別の画面で他のサイトを利用していても、よく会うメンバーと同じイベの空間にいることで、みなさまと繋がっているように感じていたのだと思います。
そこで馴染みになったメンバーがイベを開くとそこも覗きに行ってといった具合で、みなさまをとても馴染みに感じていました。
しがらみが無いから何でも言いあえて、現実世界では通じ合えないかなと思う内容を話しても誰かそれに応じてくれる人がいる。
いま思えば、いろいろバカなやり取りばかりして楽しかったなあ。
10周年のお祝いで今までを懐かしんだ後に、みなさまご存じの通りピグ終了のお知らせがありました。
その時はまだ先のことに思えて、終了までの間にネットサービスに詳しい人の提案か何かで、どこか同様のサービスにピグユーザーのほぼ全員がごっそりと移動するかのように思っていました。
しかし、そんなノアの箱舟のような展開はありませんでした。
ピグの運営は新しいピグパーティへの移行を勧めたいように思えますが、スマホのような小さな画面でちょっとした合間に利用するイメージがして私の性には合いません。
家に帰っての落ち着いた環境でPCの大きな画面を使ってくつろぎたい、プライベートの空間でプライベートの時間をピグのメンバーと過ごしたいのです。
他社のサービスもありましたが、私にはちょっと勝手が違うように思えました。
そうしてる間に時間は過ぎていき11月の後半、ピグの終わる一週間前の週末になると「ピグ終了まで残り一週間」と銘打ったイベントが数多く見られました。
今更ながらそれを見た時に初めて、じんわりとピグが無くなるという実感が湧き初め、その思いが次第に強くなっていきました。
ピグの仲のいいメンバーからは私への慰めだと思いますが「サービスにはいつか終わりが来る」と言われました。
当然、それはそうですし、この移ろいゆく世の中では全てのものに終わりがある…それは私もわかっています。
しかし、心はそう簡単に切り替わらない。
心にもスイッチがあれば楽なのに、心は移ろいゆくものに囚われてそこから簡単に離れはしない。
ピグを始める時は何でもない存在にすぎなかったのに、失うときになって大きな存在になっているのは悲しい不条理にも思えます。
いつの間にか、この空間でみなさまと繋がっていることが、私の中で大きな意味を持つようになっていたのだと思います。
本来なら「いままでありがとう!」と最後に言うのがカッコいいのでしょう。
でも私はカッコ悪くてもこの気持ちを吐き出したい!
馴染みのメンバーとこの同じ空間を共有できなくなるのが苦しい!本当に胸が苦しい!
今の私はどこにも向ける事の出来ない、何とも言いがたい焦燥感に支配されている。
こんな自分もあるんだなと思ったり、過去の自分はあの時も今と同じように苦しかったのか?と思ったり、世の中の悩んで苦しんでる人も同じような苦しみなのかな?と思ったり。
人生は長いのだから何度も落ち込むことがあって、その度にいずれは立ち上がってまた前を向いて歩いていくのでしょう。
どうせ前に進むしかないのなら、落ち込んでいるだけ時間の無駄で馬鹿らしい。
そう思えば落ち込でいる必要なんてないのだけれど、自分で心を支配するのも限界があるようです。
時間がたてば解決するのだろうか?ピグを忘れてしまえば楽になるのだろうか?みなさまのことも忘れてしまうのだろうか?私のことも忘れられてしまうのだろうか?
例えもし、どこかで再び相まみえることがあったとしても、お互いに気づくかどうかを考えてみても悲しいことです。
ほんのわずかですが何かに期待してしまう、その気持ちがさらに苦しみを産んでしまっているのかもしれません。
長くなりましたが本当の最後の最後に、みなさまどうかいつまでも元気でお幸せにいて下さい。
ここでのご縁と思い出と出来事が、全て私とみなさまに良い意味をなし、さらなる成長をもたらしますように。