題:「クリスマスプレゼント」2
- カテゴリ:自作小説
- 2019/12/16 15:26:10
五
ある日、母親がカラー粘土を買ってきてくれた事がありました。父親が仕事に行ってる時にお父さんに内緒で遊びなさい。と
しかし、それは粘土だけで髪の毛が伸びる人形のセットではなく、こないだ見た玩具とも違いました。 自分にとって髪の毛のカットができなければ全く意味の無い粘土でしたが、自分は嬉しいふりをして少し遊びその後カチカチにならないようにしっかり蓋をして玩具箱の奥の方に仕舞いました。
次の日その粘土を取り出してみると少し硬くなっており、とうとう3日目にはカチカチで遊ぶことが出来なくなりました。さらに最初は綺麗なカラーの色だったのですが、他の色や手垢が混じり汚い色になり
そこで、「もうカチカチになった。」
っと母親に言うと、また買ってあげるから捨てなさい。と
せっかく父親に内緒で買ってもらった大事な物を捨てる事はとても出来なかったので、玩具箱にそのまま仕舞っておきました。
六
そんな事を忘れていたある日、あるきっかけからその粘土が父親に見つかりました。 自分は、母親が怒鳴られこっぴどく叱られやしないかヒヤヒヤしながらも嘘はつけず、
「これはお母さんに買ってもらった大事な粘土なんだ。」と言うと。
父親は、怒るどころか高笑いし 「やっぱりカチカチになっただろう! お父さんの言うとおりだ。 がははは。」と笑いながら、応接室の方に行きました。
確かに、親父が言ったように粘土は固まった。 でも、これはその商品とは違う粘土なので、もしかしたらあの玩具の粘土は固まらないかも知れ無い。 だけど固まるかどうかを証明する為には友達の誰もあの玩具を持ていないとなれば、唯一の方法はそれを買うしかない。
しかし、絶対買ってくれない商品で確認する事は当時保育園児だった自分には確定的に無理だった。
しかも、もし無理やり駄々を捏ねて(粘土だけに)買ってもらったとして、もしカチカチに固まったとしたら精神的に自我を保っていられるかが解らない。
ここは、もうあきらめるしかないかも ~でも、あれで遊んだらどんなに楽しい事か っと思いながら月日は流れました。
七
それからどれだけの日にち、いや半年か1年か忘れましたが、が経ったある日 なんとその時のヘアーカットの玩具で遊ぶ夢を見たのでした。
レバーを回すと頭から色とりどりの粘土が出てきて髪の毛のように長くのび、それを自分は自在にカットしてその人形にあった髪型や世の中には無いようなセットなど出来上がった髪型は自分の思い描くものより遥かに素晴らしいものばかりで、さらにそのキットの中には玩具屋さんにはおいて無かった、黒人の人形やら西洋の人、南国の人など色々なバリエーションの人達が入っていました。
夢中で遊んでいると、いつのまにかレバーを回さなくても自然に髪が伸びてきて、パーマをかけたりボブにしたりあらゆる髪型を試し ものすごく楽しい時間を過ごす事ができました。
そんなこんなしていると、その中の1体が急にゆっくり動き出しその玩具セットの中を歩き出しました。
そして、その1体は他の人形に声をかけると今までかけられていた呪文が解けるかのごとく一体また一体と動けるようになり、とうとう全部の人形が楽しくおしゃべりなどをしてまるで本当に生きている人のようになりました。
そして、最後に皆(みんな)がこちらを向いて微笑みながら言いました。
「 ありがとう。 ありがとう。 」
令和元年 12月 16日
当時、弟が買ってもらったプレゼントは、MSXシリーズのPC 次はしゃべるPC FM-7 とか
バブルに突入し日本の経済は一気に飛躍しました。
ゲーセンのインベーダーが家のTVで出きる時代が来るなんて思いもよりませんでしたね。
旅館のTVみたいに100円入れなくてもできるなんて! www
ファミコン買うならPC・・・しかも機種選びで情報も無いのにスペック調べて何が出来るのかレポート出さないと買ってくれない親でした・・・
しいてほしかったのは・・・ヤッターマンの秘密基地・・・(^^l)
でもやっちゃいたくなる気持ちは分かります。 人郷供養の時半焼けで炎の中から飛び出てきたリカちゃんがニーグロになってた時は衝撃的でしたが、それ以上かもwww
カットしてしまったのを思い出しました。
最近は毛糸の髪をセットして切るおもちゃもあるみたいですね。
検索してみましたが、粘土のほうが髪が伸びる感が出てて欲しくなるのわかります^^
ああ、今の時代24日や25日の産まれの人は一緒にされるのでかわいそうですね。 当時は元旦や盆生まれの人はちょっと残念だったのでしょうか?#^^)b
七面鳥はすごいですね!
しかし、ケーキはやっぱりバタークリームww まあ今は主流が植物油脂クリームなのであまり変りませんか!?www
うちは、ぼくがイブの生まれなので、当時としてはクリスマスも親は意識していましたね。田舎では珍しい七面鳥を買ってくれたり・・・。ケーキはバタークリームでしたが。
昭和の頃の怖いものは、地震雷火事親父でしたけどねー。
今や父親の家庭内の地位は犬の次になり下りました。(´∀`)
ちなみに沖縄ではその下にシーサーとヤギが来るそうです(爆)
粘土がむに〜っとでてきてカットするの気持ち良さそうです。そんな昔からあれ、あったんですね^^
うちの親父もそんな感じだったなぁ。
有無を言わせぬ父親と、それに従う母親。
年取ったらすっかり丸くなりましたが。
そういえば当時何を買ってもらってたんだろー。
記憶にあるのはリカちゃん人形かな?
欲しいものがすべて手に入っちゃうと、手にした時の喜びを想像する楽しみが無くなっちゃうので買わない方が幸せなのか? 当時買ってもらった方の分岐の人生は、もう2度と選択できませんのでよく分かりませんが 今でもその玩具が手元にあれば、生パスタは簡単に作れそうですね。(爆)
魔法使いマリーさん> そうですね。 「ありがとう」は自分が言う言葉のミラーだったような気がします。(^^) 護ってくれている何者かに対しても
たもじいさん> グリコのおまけ付きキャラメルは懐かしいですねw 1粒で300mも走れちゃいますし!(^^)b
自分の時代は日本も戦後の復興を終え、高度成長期に入りようやく明治後期や大正のような生活がもどって来た時代でした。 なので昭和4年の世界大恐慌の後に産まれ戦中戦後と苦労なさられた方々には、敬意を表します。
なので今思う存分ミルクキャラメル食べまくって下さい。 自分もポポロンやSPIN、つくんこやカリンチョを思う存分食べて・・・いや、もう食べれない?ww
ああ、ドンパッチは大量に食べたくありませんが(^^;
おもちゃどころか駄菓子も無かった。
腹が減ったらどこかの畑に入って野菜を採って生で食べてた(*≧m≦*)ププッ
お菓子は、正月の買い出しに行った時にグリコのおまけ付キャラメルを買ってきてくれたくらいだったかも…。^^
そんな小さな頃から気を使って…(^_^;)
確かに、小さな頃って親の顔色をうかがうような感じは私もありましたね。。。しんどかったです。
確かめたい衝動…わかります!ほんと気になる気になる。。りょうさま夢はホント不思議ですね。護ってくれてますね
当時、担任だった先生方の顔を卒業して小学生になった時に会った時に
誰だっけ?と思うほど それだけ自分に取っては その当時の記憶が曖昧です。
りょうちんさんのお父さんは 昭和の親父さん的な人かなーと思ったりします。
自分のおもちゃに関するちょっと思うようなものはありますが
それはここでは止めておきます。
髪型を自由にできる粘土のおもちゃを想像したのですが トコロテンのようにニュ~と出てきて
出来たてのパスタのようにスパスパと切れるものだったのかなーと想像して見ました。
それならば 男の子も 床屋さん憧れを抱けば そういう玩具を欲しがるかなーと思ったので^-^
実際、自分の中の心の願望が夢で実現しないと 人間はある意味で壊れるではなく
可能性を一つ捨てる生き物になるかなーと少し思ってしまいました。
個人的には心の柔らかい内の事をずっと覚えているのは良いことだと思います。
ただ 基本的に親父さまというものは子供の欲しいものは理解していない生き物ですし
自分などは手でボールを完全に握ることが出来ない内からキャッチボールをさせられましたから(;^_^A
まあ高校に上がった時に キャッチボールが出来ない子がいることに愕然としましたけどね><
まあ野球部にも入らなかったし サッカー部に行ったり 帰宅部になったり(;^_^A
Xmas辺りに お人形がまた夢に出てくるかも知れませんね~
今ならその粘土のおもちゃ 買えるのでは^-^
それでは~