『この世界の さらにいくつもの 片隅に』。
- カテゴリ:映画
- 2020/02/01 19:05:10
仕事が一段落したのを機に、
見ておかなくてはいけない映画を、
一気に見続けています。
映画ファーストディの今日は、
『この世界の さらにいくつもの 片隅に』
を見てきました。
『この世界の片隅に』を見たのは、2016年12月。
その時の安寿の映画評は、こちらです。 ↓
https://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=267501&aid=63290355
この時の映画評でも書いていますが、
前作は、遊郭で働くリンさんとすずさんのエピソードが、
少ししか描かれていなくて、もったいないなと思っていました。
今回の『この世界のさらにいくつもの片隅に』では、
このリンさんとのエピソードが
大幅に追加されていると聞いていたので、
これは見に行かねば…!
そして、なるほど…
確かにこの映画は、
『この世界の片隅に』の長尺版でもなければ、
ディレクターズ・カット版でもないです。
同じ物語を、もっと詳細に、丁寧に描き出してみたというよりも、
まったく印象の異なる…、
少なくても、すずさんの印象はまったく異なる
映画へと仕上がっていたのでした。
でも、こちらの方が、
片渕須直監督が本来描きたかった
『この世界の さらにいくつもの 片隅に』
ではなかったかと思います。
なぜなら、子役の声優は、
成長して声変わりしてしまうことを予想して、
3年前にすでに録音をすませておいたみたいですから。
前作は、ぼんやりしたすずさんが、
それでも戦時下という理不尽な状況を生きていった生活記録。
このような印象だったのですが、
しかし、今作のすずさんは、
追い詰められていくすずさんです。
単に戦時下という状況によって追い詰められていくだけでなく、
リンさんとの出合いによって、
夫・周作との人間関係においても追い詰められていきます。
そして、追い詰められていく自分を自覚している点で、
今作のすずさんは、遙かに大人の女性なのでした。
追い詰められていく人は、
自分が置かれた状況を、
自分が引き受けるべきこととして
捉えていると思うから…。
だからまた、今作のすずさんは、
怒るすずさんです。
いつも優しい周作さんに対して怒るし、
戦時下という状況だけでなく、
周りの人々との関係においても、
追い詰められ、息苦しくなっていく自分に対して
すずさんは苛立っています。
だからまた、
「実家に帰りたい、広島に帰りたい」と我を通す、
すずさんがいますし、
その広島も原爆で失ってしまって、
どこにも行き場がなくなる、すずさんがいます。
正に彼女は、自分の居場所をなくすのです…。
だからこそ、すずさんは、
昭和天皇の玉音放送に、
「(こんな思いをしてきたのに…)納得できん!」
と腹を立てるのですし、
だからこそ、
この世界の片隅に… 自分は存在していていいのだろうか…
という、
このタイトルの意味が、
鮮明になったように思います。
だから、前作のすずさんは、
ぼんやり、のんびりした、
子どものままの、すずさんだったような気がするのですが、
今作のすずさんは、大人のすずさん。
自分がこの世に存在していることの意味を、
問いとして抱き続けている、
大人のすずさんなのでした。
だからまた、
サトウ・ハチロー作詞、加藤和彦作曲、ことりんご唄の
「悲しくて、やりきれない」は、
この世界に生まれてしまった者たちの、
悲しみを呟いているかのようで、
やりきれないです…。