積読(つんどく)も読書?
- カテゴリ:日記
- 2020/05/30 22:12:29
読書とは肉体的な行為である
体の姿勢によって読書は微妙な変化を受ける。立って読む、座って読む、寝そべって読むという姿勢別の三タイプではもちろん立ち読みが最も早い。だから書店での「立ち読み」は速読のトレーニングだ。少なくとも月一度は書店に行き、(僕は週2くらい)新刊書を漁るようにして読み、出版界の動向を知る。新聞広告には乗らない良書もあるし、いずれ買う本の品定めをしておく。
南方熊楠は12歳の時、学校からの帰り道古本屋に積まれていた「太平記」を毎日立ち読みし、急いで家に駆けこんで紙に写すという具合にして、全巻写し取ってしまったそうだ。
声に出すか出さないかによって「音読」と「黙読」がある。昔は基本的に音読をしていたらしい。
『源氏物語』の時代も宮廷サロンの女房達も集まって一人が周りの者に読んで聞かせるという方法を取っていたらしい。本が少ない時代だから当然と言えば当然だが。音読は黙読に比べて時間がかかるし複雑な内容を理解するのに向いていない。明治時代になって社会事情が複雑化されて「黙読」が主流になってきたようだ。
中世のヨーロッパでは「黙読」をしている僧侶は気味悪がられたそうだ。他人の視線を遮断し本に向かっている様は悪魔と無言で取引しているように周りから見られたそうだ。
「黙読」は近代的自我の成立が前提とされるというわけだ。
魂とか霊とか死後の世界とか残念ながら僕は信じていません
ヘルメスはギリシャの神(ゼウスの子でオリンポス12神の一人)ですが
日本の八百万の神と同じように自然神と同じように考えています
一神教の神のように敵対する神に絶対妥協しない寛容さがないのと異なり
他の存在を認め相互に理解しようと努めます
神の存在を信じているように書きましたが意識して何かを信仰しているわけでは
ありません
神社をお参りするからと言って神道を信じているというわけではないのと同じです
魂や霊を信じることによって救われるかもしれませんがそう自信をもって言えないですよね
考えても分からないことですから感覚的にどう感じるか
心が不安から解き放されるか
そんなふうなことを考えてしまいます
「魂でもいいから、そばにいて」
3.11後の霊体験を聞く奥野修司書
ラジオか新聞かで知りました
私は霊とかよくわかりませんが人が亡くなると
宇宙の本部に帰っていくと思っています
だから忘れ物や見守りたい人がいたら少しだけ帰ってこられる
まだ一回しか読んでいないので小説の物語のようでふわふわしています
そして私は認知予防で「音読」実践中です
母が入院してから 止めましたが・・・ 母が家に戻ってきたら また復活しようかと
思っています。 ホント積読がいっぱいあって・・・・ 今はカミュの「ペスト」を
読んでいますが すぐに寝てしまうので なかなかすすみませんが・・・