次郎は、里見婆ちゃんの仏壇の前に座り、頭を下げた。供え物のシュークリームを仏前に置くと、蝋燭に火をつけた。線香に火をつけようとして、次郎は迷った。

婆ちゃんが、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗、浄土宗ならば線香は一本。天台宗、真言宗なら三本だ。仏壇がきんきら金だから、浄土真宗だと思い、一本の線香を二つに折り、火をつけ寝かせて香炉に置いた。そして、鈴を二回打ち合掌した。

次郎は、公園でネタの練習をしていた。自分の部屋でも練習できるが、人前でやるのとやらないのでは、緊張感が違った。

「太郎、クラスで成績、何番だ？」
「パパ、どうしてそんなこと聞くの？」
「太郎のクラスの人数を知りたかったんだ。」
「パパ、ひどーい。」

近くの小学校に通う謙三が、手に持った木の枝で、地面に大きくバツを描いた。

「ママ、どうしてピーマンを口に咥えているの？」
「料理の本に、ピーマンを加えて炒めるて書いてあるでしょ。」

謙三が、地面に大きくバツを二つ描いた。

「健三君、厳しいな。俺、バイトがあるから、また、明日な。」

そう言うと、次郎は公園を後にした。次郎は高校を出て、パティシエを目指して2年制の調理師専門学校に入った。しかし、入学早々に行き詰った。基本実習のシュークリームの段階で、次郎だけが、シューが上手く膨らまなかった。バナナタルトも焦がしてしまった。

それから、できない子扱いをされるようになり、いじられキャラになった。講師やクラスメートにいじられる度にひょうきんなことをしていたら結構受けた。料理より、お笑いの方が才能あるんじゃないかと思って、土曜日にお笑い学校に通うようになった。

お笑い芸人になることができるのがほんの一握りだと言うことは分かっている。通っているお笑い学校は、芸能プロダクションが経営しているが、卒業後、プロダクションに所属できるのは、100人に1人くらい。その実力があっても、売れるのは奇跡に近い。

シビアな世界だけど、誰にでもチャンスが与えられている。料理人のように下積みがなくても、一躍華やかな世界の主人公になれるアメリカンドリームがある。ひょっとしたら、綾瀬はるかに会うことができるかもしれない。

お笑い学校では、毎週、自分で作ったネタを披露しなければいけない。バイトに行くまでの間、公園でネタの練習をしていると、公園で遊んでいた謙三君が、ネタを聞きにくるようになった。まだ、小学3年生で、一度も笑ったことがないが、地面に三角やバツを描いて、ダメだしをしてくれる。そんなことが三か月続いていた。

あるとき、謙三君がお婆ちゃんを連れてきた。それが、里美婆ちゃんだ。里美婆ちゃんは、若い頃、漫才師の付き人をしていたことがある。孫と遊んでくれいるお礼にといろいろなことを教えてくれた。

昔、漫才師は寄席で落語を引き立てる「色物」と呼ばれていた。70年代の演芸ブームの時に、欽ちゃんのコント55号やドリフターズが人気者になった。

80年代になると、それまでの老若男女を問わず楽しませることから、若者をターゲットに絞ったMANNZAIブームが起こり、ツービート、B&B、ザ・ぼんちが毎日のようにテレビで出るようになった。

81年に「おれたちひょうきん族」でアドリブ混じりのコントが受け、さんま、たけし、紳助が冠番組を持つようになり、お笑い芸人のステータスが上がった。その後、第三世代と呼ばれるダウンタウンやウッチャンナンチャンがスタジオコントで活躍したが、バブルの崩壊で、製作経費がかけられないようになった。

アポなし突然取材の「進め電波少年」や芸人をクレーンで吊り上げたりしてリアクションを引き出す過激ロケの番組が増えたが、視聴者に飽きられるのも早かった。

1999年の「爆笑オンエアバトル」や2003年の「エンタの神様」から、ネタを披露する番組が増え、多くの若手芸人がテレビに出ることができるようになった。そこで求められたのは、短い時間に、如何にインパクト与えることができるかということだった。

テツandトモの「なんでだろ～」、ダンディ坂野の「ゲッツ」、波田陽区の「っていうじゃなーい」、青木さやかの「どこ見てんのよ」。今は、ひな壇芸人として、流れに沿った面白コメントが求められている。

里美婆ちゃんには、漫才の歴史だけでなく、落語に枕とオチがあるように、漫才もフリとオチが大事だと言われた。日記が長くて読むのが面倒くさいと文句を言ってはいけないということだろう。

里美婆ちゃんがネタを聞いてくれて、間が悪いと指導してくれる時もあった。あるとき、婆ちゃんにとっておきのネタを見せろと言われた。

チャカチャカチャンチャンチャ～ン。シュークリームでーす。
この前、旅行に行った時の話なんですけど、ホテルにチェックインしようとしたんですよ。僕は、ファミマのシュークリームが好きなんですけど、ホテルマンの人もシュークリームが好きみたいで、好みを聞いてくるんですよ。
「ツインでいいですか？」
「カスタードが好きです。」
好みが合わないのか、ホテルマンの人が首をかしげるんですよね。
「ダブルでいいですか？」
「カスタードが好きです。」
ホテルマンの人が、また、難しい顔をするんですよ。
「日帰り温泉ですか？マッサージもありますよ。」
「まっちゃあじー!!」

婆ちゃんが、それで終わりかと言った。
「あんたには、目も口もあるけど、鼻がない。」
「・・・・」

婆ちゃんによると、自分には、華がないということだった。芸の世界で生きるには、努力だけはどうにもならない。持って生まれた物が必要だということだった。僕は、納得できないでいたが、婆ちゃんに、「あんた、今まで、女の子に告白されたことがあるか？」と聞かれた。僕は、何も言い返すことができなかった。婆ちゃんは、明日から、調理の勉強に専念しろと言った。

あれから、20年が過ぎた。僕は駅前に小さな洋菓子店を持つことができた。里美婆ちゃんのダメ出しのおかげだった。

僕は、仏壇に向かって一礼すると、鴨井に掛けられた婆ちゃんの遺影に向かって、婆ちゃん、ありがとねと言った。

謙三君に、「保冷剤入れているけど、うちの看板商品、早めに食べてな。小学1年生の宿題や．．．直ぐにとけるでー」と言うと、謙三君は、指先で、畳に大きくバツを描いた。