脳死について3 スピ的に考える…
- カテゴリ:サークル
- 2020/06/25 21:37:00
脳死について、スピ的に日記を書こうとしていたのに、前回の日記は全力で調査になってしまったので、三度目の正直であります(`・ω・´ゞ
またもやiPhoneからの投稿です。
脳死状態
肉体と霊体とを繋ぐ魂の尾は繋がっている、すなわちまだ生きている状態。
脳死という言葉は臓器移植をするためにできた言葉
脳死、周りにとっては大きな学びを与えられた状態。
家族が脳死状態になることによって決めなければならないこと、浮き彫りになってくる家族の問題、色々あると思う。
脳死状態の本人自身も身近な人へカルマ返しのお手伝いをしたり、自分の執着を手放す身辺整理をする時間になるのかもしれない。
臓器提供する側
延命装置を停止して臓器提供するというのは、本人が生前リビングウィルでもって臓器移植をすると決めていた場合をのぞき、カルマになる。自分で決めてきた寿命を断つということ。
臓器提供される側
他者の命を寿命ではないタイミングで断ち、それによって移植を受け、自分の肉体の生を生かすという行為。
スピリチュアルな視点で今まで見ることがなかったので眼から鱗でした。
臓器移植を受ければもっと長生きできるかもしれない。それが小さな我が子となれば人間誰しも一筋の光に希望をかけたい。でも、これは小我の愛、カルマになる…。
限られた命、寿命の中で命の長さ関係なく、そこから何を経験し学ぶか…。
臓器移植を受けるために募金を募るケースをよく目にします。あれもカルマになってしまうのだろう…けど、そこからたくさんの経験と学びを得るんだろうと思う。
大我の愛をいただくこともあるのだろう。
脳死判定をしてもらって臓器提供をすること、カルマになるのだとしても、それを決断するまでの紆余曲折、そこに至るまでの過程、経験があの世に持って帰れる大きな財産にもなる。。
今回脳死・臓器提供をテーマにmariaさんからお話を聞いて、家族で一度ちゃんと話し合っておかなきゃと思いました。