6月の集会について。
- カテゴリ:日記
- 2020/07/17 22:43:02
1日に集会がありました。今回は『脳死』についてのお話でした。
『人魚の眠る家』という映画は脳死をテーマにしています。事前に映画を見ての参加で、見てない方は脳死について調べての参加でした。映画も観ましたが、脳死についても調べてみました。
私が調べたのは1歳になる前の男の子の脳死でした。誤ってベビーカーから落ちてしまい、脳死状態になってしまったのです。脳死と言われてからのご家族の気持ちや、また臓器移植を決断するきっかけになった事など、その流れやその後のご家族の気持ちなどが描かれていました。
男の子の腎臓は15年人工透析と戦っていた50代の男性へ、男の子の心臓弁は、その男の子より小さな女の子に移植されました。
手記を読み、この親御さんの気持ちや考えを知り、総ては動機なのかと思いました。移植を待たれている方がいるのも現実。移植が成功し元気になられる方もいます。
手記を読んだのと映画を観ての感想は、上にも書いたように総ては動機なのかと思ったのと、脳死となった時、その本人は死んだことになってしまうのか、身体とは別に本人の魂の部分はどうなっているのか、と思いました。また、病気になるということはいろいろな原因や背面があり、どれも学びだと思いますが、人生の課題として選んできた病だとしたら、移植も課題としてカリキュラムに含め学ぶことになるのか? 移植も課題としてこの世に持ってきたとし、移植できる環境が揃い命が助かったとする、そうした場合、他人の臓器をいただくということは霊的視点からみてどうなるのか?と疑問も出てきました。
そんな思いを抱いて集会に参加しました。少し遅れての参加で最初の方の会話はわかりませんが、その辺は他の部員さんの日記を読んでいただければと思います。
スピ的解釈として、脳死は死ではない。つまりは魂がつながっている状態ということでした。心臓が止まって初めて死となるそうです。ちなみに、これも初めて知りましたが、臓器移植の手術をする際、脳死の患者さんにはモルヒネが投与されるそうです。でないと、滝のような汗をかいたり、苦悶の顔をされるそうなのです。これは、患者さんに痛みがあるという証拠ですよね、つまりは生きているということになる。お医者さんはそのことを知っているので、臓器移植に反対の方も多いそうです。いっけん移植は美化されますが、隠し事も多いとのこと。。
2009年に改正臓器移植法が施行されたことで、本人の意思が確認できなくても、家族の承諾があれば臓器移植は可能になりました。また、15歳未満の臓器提供も可能となりました。調べによりますと、改正臓器移植法施行後、脳死臓器提供が増加したことに伴い、心臓移植の実施数も増加し、2017年は56件となりました。ちなみに、改正前の数は一桁、多くても10件ほどでした。これからもっと移植しやすくなっていくのかもしれません。。
他人の臓器をいただくということは霊的視点からはどうなるのか?という点では、なんと移植された方もカルマを増やすそうです。なぜかというと、生きたいという欲だから。臓器移植も延命治療のひとつなのです。
中には臓器移植で助かる命もあるけれど、誰かの臓器をいただくということは他社のオーラを持っている霊性を分けるということ。それを分けても上手くいかないことの方が多く、きれいに気持ちよくなんていう保証なんてないということ。移植で助かったところで、その分の葛藤や生き抜かなきゃいけない学びがある。(確かに、白血病での骨髄移植も拒否反応が出る人も多いし、助かったところで、それは顔も知らない誰かがこの世から亡くなったということ、、)
臓器移植をしながら命をつなぐというカリキュラムを持った方だったら、多くのリスクを背負いながら乗り越えて生きながらえるということでした。これも深い学びになりますね。。本人だけではなく、周りの家族にとっても深い学びになることと思いまう。
脳死=死ではない、ということを知り、
もし、私の大切な人が脳死になってしまったら、周りがそれを死と判断したとしても、私は「いや、生きてるんだって!!」ってなるし、人工呼吸器をつけてなんとか命を取り留めたとしても、そのまま維持していける金銭的な問題や、いつか目を覚ますのではないかという思いや、不安や期待、様々な葛藤と戦うのだろうと思います。考えただけで、想像しただけでとてつもなく苦しいです。
今回のお話で、自分自身や家族が脳死状態になった時どうするか、どうしてほしいかを、また延命措置についても一度家族と話してみようと思いました。
ほんとうに難しいテーマだったし、このテーマが出る前にお父さんと話したことがあってね、お父さんの腎臓が悪くなっちゃたら、私の一つあげるねと言ったことがあるんだ。でもさ、移植される側もする側もカルマになると考えたら、しない方がいいのかなと思ってしまったよ。んやちゃんの言う通り、これは永遠のテーマだね。正解なんてあるのかな、とも思ったよ。
人生ってカルマで出来てるんじゃない?ってのもわかる気がする。人との出会いも偶然なんてないものね。
ほんと人生って奥深いね。
でもそれが相手にとってもカルマになるなら遠慮しなきゃいけんかな?とか考えてしまう。
そのカルマを発生させる役目ってのもあるのか?なんて思ったり。
家族だったらどうかな・・・って永遠のテーマじゃない?これ
自分の今世のテーマやカルマ、そんなことを考えてたら 人生ってカルマでできてるんじゃないか?と
思う今日このごろでございます。