Nicotto Town


およよ・れおポン


運動会だけど運動ではない思い出

運動会に良い思い出の無いわたし。
ってか、学校に良い思い出の無い僕。

そんなことはおいといて。
運動会の話なのに、運動ではない思い出。

学校行事のつきもので、校歌がある。
運動会でも、校歌を歌う。
ということで、運動会の練習の中に、校歌の練習も入っていた。

本来、あまり重要でもなさそうなのだが、教員の中でもたぶん強い立場にいると思われる教師が、学年主任をしていて、その人の教科が音楽だった。
しかも、日常の音楽の授業も、合唱ばかりで、それ以外の知識も、楽器も教えてくれないという、偏った教師だった。

大人になって振り返ってみると、この人なりの主張があって、だから合唱に重点をおいたのだろうと察せられるのだが、やはり昔の僕も、今の自分でも、この教育方針は間違っていると思う。
まあ、これは余話である。

ともかく、この人が、運動会の練習の中で、多くの時間を割いて、校歌の練習をおこなった。

それで、なんどか校歌を歌った後、多少のお小言があるのだが、ある日、
「上手く歌いすぎる」と言った。
「きれいに歌いすぎる、もっと荒々しいぐらいでいいんだ」というようなことを言った。
そして、どうも様子がおかしい。
どうやら、感動していたのだ。
大勢の合唱という声の力に、感動したのだ。

困った人だ、こういうところでひねくれているのだ。

僕は、この思い出を「いい話」にするつもりは無い。

この人が言っていた言葉の意味はわからないでもない。しかし、要するに、合唱に感動するからといって、それを授業のすべてにしてしまうというところが、この人の限界なのだ。

音楽の本質として、「みんなで気持ちをそろえて、一つになる」そういう良さがあることは間違いない。そして、それを最も重要な教育と位置づけるのも、良いと思う。
しかし、それで、過去の音楽家のことも、楽器のことも、楽譜のことも、何も授業を行わなかったのである。

これは独りよがりというものだろう。

そういうことだから、校歌の練習で一人で感動して、涙ぐんでしまうのだ。

生徒の方は、命令だから仕方なく歌ってる子供も多いんだよ。
それが真実だ。

偉人と凡人の、似て非なるところだろうか。

ところで、書くだけ書いてきて、今頃思い出した。
この話、中学校の時のことなのだが、僕が通った中学では「運動会」ではなく「体育大会」だった。

#日記広場:スポーツ

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2009/10/13 22:52
もし、感性豊かな詩人の、国語の先生が居たとして、その人が、国語の授業で、詩ばかり教えるだろうか。
この簡単な問題を、なぜか美術とか音楽の先生は間違えるんだな。

もし一流の芸術家が、学校の授業を行ったら、どんな内容になるだろう。
これは難しい問題だけれども、この難しさの原因の一つは、教師ではなく芸術家だというところ。

重要なことを忘れてしまう人間だから、芸術家にもなれず、教師にもなれない訳だ。
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2009/10/13 11:04
そういえばペーパーテストをしない美術の先生がいたな~
校長にとにかくテストをやれって言われて
体育館に生徒を集めて音楽を聞かせて
この音楽を聴いてインスピレーションで絵を描け!! 
というテストをやったそうなwwww
その後校長が根負けしてテスト無しに落ち着いたそうです^^




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