ジュンチャンと世界を巡る 第23回はグルジア
- カテゴリ:日記
- 2020/10/30 06:45:43
タシケントからコーカサス最初の訪問地となるグルジア共和国のトビリシまでは、約3時間の飛行だった。
時差が2時間あるので、トビリシには午前7時過ぎに到着したようである。
黒海とカスピ海の間に位置する国グルジアとアルメニア、その首都であるトビリシとエレバンへの旅は、僕のソ連旅行のハイライトとなった。
では早速、グルジア共和国(今はジョージアといい、大相撲の栃ノ心はこの国の出身 )の首都トビリシから話を始めよう。
1973年9月17日(月)の朝、僕らのツアーはトビリシ市内に到着した。
資料を見ると、ホテルイベリアに17日(月)と翌日の18日(火)の2日間泊まり、この旅のハイライトとなる一番楽しかった時間がここで続いた。
日程表では、9月17日(月)は午後からトビリシ市内、ルスタヴェリ大通り、ダビデの丘、メチェヒ寺院の観光などとなっている。
ケーブルカーでダビデの丘(標高727m)に上がり、廃墟となった聖ダヴィデ教会を見た。
それから5世紀に新しい町トビリシを守るため創建されたナリカラ要塞に行った。
この日の最後に、僕らのツアーはトビリシの歴史そのものである、クラ川の高台に建つメチェヒ寺院(教会)に行った。
9月18日(火)、トビリシでの2日目はトビリシの北20kmにある古都ムツヘタ(日本でいえば京都)へ行ったようだ。
ムツヘタは、6世紀に首都が現在のトビリシに移されるまで900年間もグルジアの首都であった古い町である。
この旅の参考書として活用した豊田穣の「知られざるソ連」によれば、グルジア人の男は皆スターリンのように髭を生やしており、グルジアの女は鼻筋が通りギリシャ彫刻のように彫りの深い美人が多い。」と書かれていて、実際には髭を生やしていない男もいたが、女は総じて彫りの深い美人が多かった。
ムツヘタから再びトビリシに帰り、噂のグルジアワインを食卓に置きながら大満足の昼食を味わった。
その日の午後、ツアーで仲間になった僕ら3人組は、トビリシに住む若者たち二人とふとしたことで知り合いになった。
クラ川沿いの街を気軽に市内案内してもらったり、若者で賑わっていた地元のダンスホールに行ったりした。
もちろん割り勘ではあったが、僕らは盛り上がっていて、楽しい午後となった。
会話はほぼ英語で通じた。
ただ彼らの目的が僕らのはいているジーンズ欲しさということがわかって、僕等は丁重に申し出をことわって、彼らに別れを告げた。
その後、僕等三人は偶然このツアーで一緒に旅していたご夫婦に遭遇し、再度場所を変えてご夫婦の奢りで、世界的な名産品であるアルメニアコニャックをご馳走になった。
さっき不愉快になった事も簡単に忘れ、僕らはこの旅の無事を祝い乾杯したのである。
皆さんはグルジアと聞いて、何を思い、何処を旅してみたいですか。