Nicotto Town



「アメリカンドリーム」つづき


「テロ」


大晦日のニューヨークのタイムズスクエアでのカウントダウンイベントには、 
100万人が世界中から集まる。 
ニューイヤーズイヴ ボールが点灯され、ポールを上がっていきます!
One Times Squareビルの上にあるボールは、 
60秒のカウントダウンの始まりと共にドロップする。 
新年と同時に約1tの紙吹雪が舞う。 
新年を迎えたあとで、僕のオリジナルプロジェクションが始まった。 
カウントダウンの 歓声のあともう一度 歓声が上がった。 
ここに集まる100万人の人たちが僕のオリジナルプロジェクション 見て喜んでくれている。 
僕にとっても最高の瞬間だった。 
突然大きなと爆発音が、あちこちで鳴った。 
タイムズスクエアにテロ攻撃、爆発と悲鳴が飛び交っている。 
僕とカーコは、タイムズスクエアを見下ろせるビルの中で 
オリジナルプロジェクションの操作をしていた。 
下にいる観客達は、爆発の勢いで 血まみれで 倒れてる人や走り回ってる人 
大パニックになっている。 
仕掛けられた爆弾が爆発してるのか 、
どこかから 爆発物が 飛んできているのかわからなかった。 
僕の母とカーコの両親がいたあたりでも 多くの人が血を流して倒れていた。 
僕のオリジナルプロジェクションの映像と同時にテロの映像が、世界中に駆け巡った。 
空にはヘリコプターが何台も飛んでいた。 
タイムズスクエアに来ていた多くの人は、死亡かまたは、多くの人が怪我をしていた。 
僕とカーコは、 親の心配と あまりにも悲惨な光景に 体が震え 涙を流していた。 
まだ爆発音は続いている。 
パトカーのサイレン救急車のサイレン、消防車のサイレン、 
ヘリコプターの音で騒然とした現場になっている。 
タイムズスクエア近くのヒルトンホテルで、爆発が起こった。 
僕たちのいるビルにも軍の兵士が来て僕たちを安全な所に連れて行ってくれた。 
親の事が心配だが仕方がなかった。 
計画されたテロ攻撃だった。 
国際的テロ組織Iの仕業だった。 
犯行と同時に声明を出していた。 
時間とともに被害の状況が、わかってきた。 
約20万人が死亡し約50万人がけがをしている。 
そのうち重傷者が35万人いた。 
まさに戦場そのものだった。 

僕の母もカーコのご両親も、
僕のオリジナルプロジェクション 見るためにタイムズスクエア来てくれた。 
それがこんなことになるなんて。 
僕の母もカーコのご両親もこの混乱の中どうなったかわからなかった。
あちこちの病院にけが人が、運ばれて安否の確認ができない状態が続いた。 
一週間後に、3人の無事が確認された。 
3人は、トイレを我慢できなくなったので 会場を離れてビルの中に 移動した。 
その直後に爆発が起こったらしい。 
爆風で窓ガラスが割れて、怪我はしたけど命には別状がなかった。 
親たちの回復を待って僕たちは、日本に帰った。 
僕のオリジナルプロジェクションの映像と同時にテロの映像が、何度も何度も流された。 
アメリカでは、この後もテロ攻撃が続けられた。 
僕は、国際的テロ組織I と戦うことを決めた。 
僕とカーコは、アメリカの大学に戻った。 
カーコの両親は、お父さんが日本勤務に戻ったので 日本で暮らしていた。
彼らの通信手段の インターネットを次々バレないように ハッキングしていた。 
彼らの拠点 武器の入手ルート、命令系統、資金源、指導者 ありとあらゆる情報を入手した。 
アメリカのテロ対策の拠点「国家テロ対策センター」に情報を 匿名で渡した。 
国家テロ対策センター は、アメリカ合衆国の対テロ機関の筆頭機関として、 
テロ情報の分析、対テロ活動の計画、作戦支援を行う組織で 
国土安全保障省・FBI対テロ局・CIA対テロ・センター・国防総省 
から職員が派遣されている。 
国際的テロ組織Iのアメリカ国内の拠点は全て壊滅した。 
僕は彼らの 資金源の銀行を突き止め、そのお金を今回のテロの救済基金に振り込ました。 
通信網破壊し、指導者の潜伏先を 突き止めて
「国家テロ対策センター」に情報を 匿名で情報を流して、 
アメリカ軍によって 次々と 拠点を破壊していった。 
武器の入手ルート先を テロ支援組織として アメリカが認定し制裁を加え、 
事実上武器を売買できなくした。 
国際的テロ組織Iは、組織として 機能しなくなった。 
アメリカ大統領は 全世界に向けて勝利宣言をした。 
その日のセレモニーで僕は再び ホワイトハウスにオリジナルプロジェクションを映し出した。 
この映像と勝利宣言が世界中に 配信された。
5年に渡るテロとの戦いに僕も終止符を打つことにした。 
その間大学と大学院でロボット工学を学んだ。 
ドロシーの性能も数段上がった。 
今回のテロとの戦いも、情報収集においてドロシーの貢献は大きかった。 
ドロシーはコンピューターの中だけでなく
1939年度 に作られた映画「オズの魔法使」 
のドロシー役の女優ジュディ・ガーランドをモデルとして
作ったAndroid として 僕とカーコと一緒に暮らしていた。 

                         つづく




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