文学好きと本好きの分水嶺
- カテゴリ:日記
- 2021/01/07 10:42:07
初夢を数種見た。クリスという名の欧州美女がホームステイしており、
帰国するので土産買うのにアメ横まで付き合ったあと恋愛相談を受けていた。
なぜこんな夢を見たのか、未だに思い当たる節がない。予知夢なのかしら。
学生時代の再現もあった。堀辰雄とサンタナを愛するラリーストMの下宿で、
森鴎外マニアで泥沼の三角関係になっていたA、志賀直哉を愛する遊び人Fと、
私の作った肉ジャガ喰いながら麻雀に興じ、本の話をしてた場面。
志賀直哉は内省ばかりで殻に閉じこもってるトコが嫌いだと私が言うと、
Fが「バカ、そこから出ようとあがいてるのがイイんだろ」と言い返す。
Mは「いやぁ、出ようとしてるのがアカンと思うんだなぁ」とまぜっかえす。
Aは「志賀にあまり殻ってのは感じないなぁ……」と言った後、
「鴎外ってホンマ、女性不信の塊でなぁ、オレ、そこに惹かれる」と呟く。
彼女に二股かけられてたことに気づいた直後だったので皆、静かに頷く。
武者小路と有島の比較で騒いでいるうち、Fがいきなり叫びだす。
「おれたちが文学部入ったのは間違いだ」。なぜだと訊ねると、
「文学が好きなんじゃない、読後グダグダ言い合うのが好きなだけだ」
AとFは考証系といいますか、作家の背後や関連文献もかなり読むタイプ。
Mと私は小林秀雄直伝(笑)印象批評モドキの妄言を垂れ流すタイプ。
Fがそういう発言をするのは意外だったので、少し反論してみた。
精神的孤児であること、ノーベル賞や自殺の件を除いたとしても、
やはり川端の作品は美しい。美の受容は人それぞれである。
それを議論し昇華させ普遍化する試みが、文学の目的じゃねえのか?
少々テキスト原理主義なんてモノに意識が向いてたころだったので、
そんなことを言ったら、Fは部屋にあった『隠された十字架』を手に取り、
「消えた法隆寺みたいに普遍性のある美は雑談からは生まれねえ」と一喝。
Mが「汚ぇ手だなぁ」と笑う。梅原を持ちだした論法を非難したのかと思ったら、
実はスキーで日焼けしたFの手の甲の日焼け跡をそう評しただけだった。
大笑いするうちにまたMが振りこみ、そのうち中島敦の話になり……
……驚いたモンです。40年前の記憶がキチンと残ってて再現された夢。
今思うと確かに文学部に進んだのは間違いであったかもしれません。
だが楽しかった。自分に負けない本好きのバカと知り合えたのだから。
コイツらに議論で勝ちたくて色々読むようになったのも恩恵の一つだな。
議論に勝てた覚えはないけど、哲学書を楽しんで読めるようにはなった。
革労協系活動家のSが経済学の本を色々貸してくれたのも趣味になったし。
文字言語のものすべてを文学だと言い張る気はしませんが、
たかが『本』だと考えると大概のものは楽しく読めるわけです。
惜しむらくは妄言を言い合う相手がいないことか。Mは311後消息不明だ。
クルト・ゲーデルの不完全性定理に大量の注釈がついたのを見つけた。
パラリと広げると、やはり注釈よりも本文のほうにワクワクする。
理解できるからでは断じてない。ワカンナーイ、でもスゲェ! これが本好き。
分かった、乃至は分かったつもりになっちゃうと広げなくなりますね、本って。
美学系評論はだいたいそうなってしまう。役には立つんですけどね。
印象派前後の三派鼎立期とポップミュージック変容の相関関係とか。
おそらく文学好きは答えを求め決して見えぬ頂を目指す努力を厭わぬ人のこと。
本好きは登山口から頂上眺め「アア高イナ、キレイダナ、さて次」と遁走するヤツ。
全ての系に真偽確定不能命題が一つ以上存在するらしい。だから本好きでイイの。
明治以降の代表的国文学を順に読んでくゼミの仲間だったんです。
私に負けぬ突飛な発想と想像力の持ち主で生活力もあり、いつもこんな話ばかりでした。
今あんなゼミやるとしたら、世界の古典を順に読みグダグダ言いあう集まりとかイイなぁ。
前半、大笑いして読みました。
>>「消えた法隆寺みたいに普遍性のある美は雑談からは生まれねえ」
これはないわw
わかる気がします、わたしもわかんないの承知で、
現代思想だ共産趣味だ、と……。