「 Viaggiatore」~旅人~第7話
- カテゴリ:恋愛
- 2021/01/13 18:29:25
第7話「母の死」
「母の死」
次にベネチアへ行く予定だったが、母から体調が悪いと連絡があった。
僕達は、急いで日本に帰った。
母は、救急車で運ばれて兵庫医大に入院をしていた。
担当医に病状を聞くと末期の乳がんだった。
3ヶ月は持たないだろうと医者は言った。
入院から1ヶ月で母は亡くなった。
家族だけで葬儀をすませた。
妹の早紀は中学校3年生だったので、
僕の大学がある沖縄で高校に行くか
僕が大学を辞めて こっちに戻って地元の高校に行かせるか悩んだ。
どっちにしても早紀の気持ちを優先しようと思った。
早紀は、「海と一緒ならどっちでもいい」と言った。
あと大学生活が2年残っている。
早紀が、沖縄の高校を卒業するまで、3年ある。
早紀が、中学校卒業するまでの数ヶ月は、地元に帰って世話をしなければいけない。
そうなると、単位が取れないので今年の大学は留年になる。
大学卒業してからのことを考えた。
ふと思い出した。
泉と一緒に東大を目指したが、東大合格の点数が取れなかった時も
将来のことを考えた。
その時は、(僕は会社や組織に縛られず自由に生きたい。
旅人になりたい イタリア語で「Viaggiatore」 )
と考えていた。
この気持ちが今は、一層強くなっている。
早紀が高校を卒業するまでは、
一人旅は封印してアルバイトをしながら沖縄で大学を
卒業するのが 早紀さえよければそれがベストな選択だと僕は思った。
そのことを早紀に言うと 「私も沖縄が好きになったから海につい行く」
躊躇なく言った。
沖縄行って大学に3月までの 休学届を出して、
アルバイト先の ダイビングショップに事情を話した。
「じゃあ春に待ってるよ」
と30代前半の女性のオーナーの太田裕美は、言ってくれた。
オーナーの太田裕美は、「早く結婚しなくっちゃ」と口癖 のようにいつも言っていた。
弟がいて僕をいつも弟のようにかわいがってくれている。
日帰りで地元に実家に帰ってきてから、4月までのアルバイト先を探した。
条件が合うアルバイト先は見つからなかった。
僕は、父親が残していったギターを小さな頃から毎日弾いていた。
自分で歌を作って、ギターを弾いて歌ったりもしていた。
なかなかや必要なお金は、FXで順調に稼いでいた。
母親は、少ない給料の中から、保険に入っていてくれた。
今住んでいる家は、母の両親亡くなったの持ち家だった。
当面お金の心配はなかった。
早紀に、できるだけ寂しい思いをさせたくないので
アルバイトは、あきらめてFXと母がしてたことと、
音楽を作ってYouTubeにアップしたりして家に、いることにした。
次にベネチアへ行く予定だったが、母から体調が悪いと連絡があった。
僕達は、急いで日本に帰った。
母は、救急車で運ばれて兵庫医大に入院をしていた。
担当医に病状を聞くと末期の乳がんだった。
3ヶ月は持たないだろうと医者は言った。
入院から1ヶ月で母は亡くなった。
家族だけで葬儀をすませた。
妹の早紀は中学校3年生だったので、
僕の大学がある沖縄で高校に行くか
僕が大学を辞めて こっちに戻って地元の高校に行かせるか悩んだ。
どっちにしても早紀の気持ちを優先しようと思った。
早紀は、「海と一緒ならどっちでもいい」と言った。
あと大学生活が2年残っている。
早紀が、沖縄の高校を卒業するまで、3年ある。
早紀が、中学校卒業するまでの数ヶ月は、地元に帰って世話をしなければいけない。
そうなると、単位が取れないので今年の大学は留年になる。
大学卒業してからのことを考えた。
ふと思い出した。
泉と一緒に東大を目指したが、東大合格の点数が取れなかった時も
将来のことを考えた。
その時は、(僕は会社や組織に縛られず自由に生きたい。
旅人になりたい イタリア語で「Viaggiatore」 )
と考えていた。
この気持ちが今は、一層強くなっている。
早紀が高校を卒業するまでは、
一人旅は封印してアルバイトをしながら沖縄で大学を
卒業するのが 早紀さえよければそれがベストな選択だと僕は思った。
そのことを早紀に言うと 「私も沖縄が好きになったから海につい行く」
躊躇なく言った。
沖縄行って大学に3月までの 休学届を出して、
アルバイト先の ダイビングショップに事情を話した。
「じゃあ春に待ってるよ」
と30代前半の女性のオーナーの太田裕美は、言ってくれた。
オーナーの太田裕美は、「早く結婚しなくっちゃ」と口癖 のようにいつも言っていた。
弟がいて僕をいつも弟のようにかわいがってくれている。
日帰りで地元に実家に帰ってきてから、4月までのアルバイト先を探した。
条件が合うアルバイト先は見つからなかった。
僕は、父親が残していったギターを小さな頃から毎日弾いていた。
自分で歌を作って、ギターを弾いて歌ったりもしていた。
なかなかや必要なお金は、FXで順調に稼いでいた。
母親は、少ない給料の中から、保険に入っていてくれた。
今住んでいる家は、母の両親亡くなったの持ち家だった。
当面お金の心配はなかった。
早紀に、できるだけ寂しい思いをさせたくないので
アルバイトは、あきらめてFXと母がしてたことと、
音楽を作ってYouTubeにアップしたりして家に、いることにした。