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当時の奇抜が、古典芸能に


1607年(慶長12年)2月20日(旧暦)3月11日(新暦)に出雲阿国(いづものおくに)が
江戸城にて初めてかぶき踊りを披露したとの記録があることにちなんで
今日は『歌舞伎の日』です♪

「歌舞伎」の由来は、古語で「傾く(かぶく)」を名詞化した「かぶき」だといわれています
「かぶき」とは、戦国時代の終わりころから流行した常軌を逸脱した行動や格好を指した言葉で、そういう人を指さして、「かぶき者」とも言ったりしました
「かぶき者」が踊るような「かぶき踊り」が、慶長の年代に、京(現在の京都)で一世を風靡(ふうび)し、これが「かぶき」の語源となっているようです

歌舞伎の元祖は、「かぶき踊」であると言われ、「かふきをとり」という名称は、慶長8年(1603年)の「慶長日件録」に書かれています
「かぶき踊」は大流行して、当時の芸能関係者に広く伝わったようです。その中でも、遊女屋で取り入れられた「遊女歌舞伎」は、一気に全国に広まりました
12歳から17、18歳の少年の役者が演じる歌舞伎は、「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」と呼ばれ、京、大阪(おおさか)、江戸の三都を中心とした都市部で主に広まりました
そしてその後、前述の1607年(慶長12年)2月20日の江戸城披露となります

出雲阿国(いずものおくに)は女性で
女性が、かぶき者(男性)の扮装をしてかぶき踊りをするというのが
当初の歌舞伎だったとされています♪

しかし、遊女や若衆をめぐって武士同士の取り合いによる喧嘩や刃傷沙汰が絶えなかったため、遊女歌舞伎や若衆歌舞伎は幕府により禁止!
そういった背景から、野郎歌舞伎(役者全員が野郎頭の成年男子)へ移行していったのではないかとされています

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