3/19 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2021/03/19 02:43:08
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/03/19
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ビーチ広場1 | 6 |
教会広場 | 10 |
4択 「ソニー」
キラキラ 「ビーチ広場」 海の家 入り口
「教会広場」 バス停 前の道
4択 好きな電気メーカーは? → ソニー
我が家の電話機はSANYOだ。
社がなくなってもうどのぐらいたつのだろう。
シャープまでもが実質消えるとは思わなかったなぁ。
ソニーの創始者は盛田昭夫だ。
有名人なのだが、松下の松下幸之助に比べると知名度において劣る。
もうひとり、ソニーの創始になくてはならない人は井深大(いぶか まさる)だが、更に知名度は・・・。
井深は会津藩出身で親戚に白虎隊で自刃した井深茂太郎がいるようだ。
東芝の入社試験を受けて落ちた彼は他社に入り、そこで早稲田大学時代に発明しパリ万博に出品した作品で金賞をとっている。
その後、勤務先の会社の出資を受けて別企業を立ち上げ軍事産業電子機器の開発を行っている時に、盛田昭夫と知り合った。
ケ号爆弾の開発中のことであった。
ケ号爆弾とは、赤外線誘導の対艦徹甲爆弾である。
なんと!
ケ号爆弾は自動で相手の熱源を探し出し、向かって飛んでいくという夢のような爆弾であったが、誘導装置が未熟のために大きな戦艦や空母でなければ探せないし、そもそもその爆弾を投下するための制空権がないという・・・・。
大変残念な爆弾で使用されることはなかった。
既に戦争末期だったのだ。
しかもだ。
1つの爆弾が着弾、爆発するとその熱量に惹かれてしまうため、複数艦にはあたらないという残念性能だ。
まぁ、打ち出した瞬間に爆発するドイツの魚雷や、いつ爆発するかわからないため「赤い悪魔」といわれたイタリア製手榴弾など、残念性能の武器は当時山程あったのでこれぐらいでへこたれてはいけない。
井深は敗戦からたった2ヶ月で新会社を立ち上げ準備に入っている。
それを知った盛田昭夫が合流。
こうして東京通信工業(後のソニー)が誕生したのだ。
日本で初のテープレコーダーを作ったりラジオを作ったりと、その勢いは井深の技術力と盛田の経営力に支えられていた。
それはウォークマンの発売で結実を見る。
今まで「既にあるものを追いかけていた」のに、どこにもないものを作ったのだ。
デジタルになった音楽もプレイヤーの開発はソニーが先んじていたのに官庁の手続きが遅くアップルにしてやられたというのはものすごく残念だ・・・。
もちろん、先に発売していてもダメだったかもしれないのだが、それでも・・・と思ってしまうのはどうしようもない。
中国のファーウェイはその開発データをカナダのノーテル・ネットワークス社からハッキングにより手にいれ、国家安全保障局から予算を引き出し作り上げた会社だ。それで傾いたノーテルから技術者を大量に引き抜き、結局、ノーテル社は倒産する。
2000年には世界最高の売上を誇る通信機器企業がまるごと取られた形になる。
今、コロナで弱っている日本企業も多数目をつけられているという。
中国もバブル崩壊が言われているが、日本もバブルが崩壊してから実際に実感するまでタイムラグがあったし、中国は国の形態が違うのでどういう形になるのか予想がつかない。
願わくば、多くの日本企業がこの先も生き残り、その技術を保つよう。
焦土の中、すぐに立ち上がった井深と盛田に恥じない後輩であることを祈ってやまない。
・・・・あ、私はだめな後輩なんで(おいっ)。
でんきぎょーかいの未来はどこかの誰かに任せよう。
ダメな後輩さんの衣装、可愛いね。
揺れるリボンが誘っているかのよーだ…という誰かにおそわれないよーにね。