やれやれ
- カテゴリ:日記
- 2021/05/22 00:43:33
食事を終えて、21時ごろにリビングから自室に戻ったところで、緊急での会議参加の要請があり、そして23時ぐらいに会議が終わり、その後の諸々を処理して先ほど仕事を終えました。今日の夜は自室でウェイトトレーニングの予定だったのに、めんどくさくなって吞み始めてしまいまいたww 意志が弱い。
それにしても…
数年前から生活を変えて仕事をセーブし、確かにQOLは上がったとは思います。
でもね。
それはあくまでも、一般的な意味において。
さっきの会議も、ヤバい仕事の対応をどうするかという話なのですが(緊急会議なんて、もちろんそういうネタなわけですが)、やっぱりどこかで、5分10分の単位でスケジュールを管理しながら、食事や休憩はおろか、トイレに行く1分2分の時間も取れないようなビリビリした状況に身を置く切迫感と緊張感の中で、自分の生きる張り合いを作っていたのは当然わかっていて。そこから解放される帰宅途中の深夜のbar通いや、夜中に海辺まで出向いて釣りをしたり、あるいはひたすら自分を追い込む深夜のランニングという生活が、そのオンオフの極端なまでの区切りの中で、ある意味でわずかなオフの時間の豊かさを生んでいたのも事実。もちろんそれで、体は不健康な状態にはなりましたよ。
でも、いま自分が当時ほどストイックにスポーツに向き合えていない原因は、コロナで在宅が多くなったとか外的な要因では必ずしもなくて、オフを徹底して充実させる意識と覚悟が欠落してしまったことに由来することに、気が付き始めてしまっています。
豊かさってなんでしょうね。
通り一遍の世の中の言葉で語られる人生の豊かさは、わかるけど、どうしてもどこかで薄っぺらさを感じてしまう。限界ギリギリのところで生きる景気を見てきたという意識がある自分としては、世間的に言ってブラックの最果ての様な仕事をこなしてきたからこその、その先に見える豊かさを得てきたという意識もあります。
時間的な余裕を持った今の自分が、ほんとうに豊かな人生後半を送っているのか。焦りにも似た感覚を感じています。
そういう仕事だと思ってそれなりのプライドを持ってやってます
でも励まそうとしてくださったんですよね?
ありがとうございます
一年かかってプロジェクトを完成させる人と比べると
あちこちのプロジェクトを手伝う仕事は完成に対する責任感をあまり感じません
毎日が日曜日w そういう小説がありましたね。城山三郎だったかな。
責任の薄い仕事ってないと思います。責任は自分で作るものかな。コピー取ってきて~、みたいなことだって、やる人の意識で、適当にこなす雑用にもなるし、ちゃんと考えてるな~と感心させられる仕事にだってなるし。
夜の会議が辛いという感覚はないんですけどねか~。良いか悪いかわかりませんが、そういう仕事しかして来ていないのでw 夜に会議どころか、会議開始が夜中とか、仕事が終わるのが明け方で、また普通に朝から仕事始めて、それで2か月休みナシとか、そんなんばっかでした。自分でやりたくてやってた仕事なので、つかれたとか大変とかはあっても、嫌だと思ったことはあんまりないけど。
毎日が日曜日だと日曜日のありがたみはないだろうし
責任の薄い仕事をしていると達成感も薄い(これはわたしw)