Nicotto Town



A long time ago

家のすぐ近所にあったデニーズが閉店した。理由は分からないが、普通に考えてコロナでの来客減に耐え切れずの閉店だろう。オープンは1988年のはず。デニーズの日本一号店が1974年開店なので、比較的初期に開店したデニーズだった。


僕がまだ小学生だったころ、いま僕が住んでいるこの家が建っているところは、アメリカだった。ここは、駐留アメリカ軍の将校用の住宅が立ち並ぶ米軍住宅地だった。海岸線沿いのメインストリートには米軍向けの店が立ち並び、街中で普通に米ドルが流通していた。フェンスの向こうにはPXがあり、バカでかいアメ車がたくさん停まっていた。

父親がぼそりと言っていたことがある。敗戦直後、広い芝生の庭で、見たこともない美味しそうな食べ物(たぶんバーベキューだろう)を食べている白人家族を、フェンスの際からこっちは小汚い服を着て眺めている。それはまさに屈辱でしかなかった。戦争に負けるというのはこういうことなのかと、子供ながらに感じていた、と…

それでも、1960年代にはじまり、70年代から80年代にかけて、ある意味でここは時代の最先端だった。いまも語り草になるような、あまりこういう安っぽい言葉は使いたくはないが、まあ世に言う伝説の店、と言った類のバーやレストラン、クラブやディスコ、ライブハウスがそこかしこにあった。

接収時代が終わりを告げたのは、1982年。わずか39年前のこと。それから瞬く間に、ここは日本になった。近隣には、まだわずかばかりの米軍住宅や、陸軍の補給基地などが残ってはいるが、その周辺の街に昔の面影はない。かならずしもそれと、この土地が寂れていく流れとが全てリンクしているわけではないと思うが、やはり駐留米軍が撤収することは大きかっただろう。そして当時の面影を残す店は、2010年代までにあらかた姿を消し、今や数件の昔ながらの店が残るのみ。それらの店のマスターを知ってはいるが、皆もうそこそこに高齢であり、あと10年もしたら全ての店が消えているかもしれない。

何が良いのかはわからない。米軍がいた頃のことを懐かしむ、比較的若い世代(といっても60代)も居れば、なかったことにしたいとすら思っているかもしれない年配の人たちもいる。

閉店してしまったデニーズの話に戻ろう。そのデニーズには、仕事から帰宅してから、日付も変わったころによく食事に出向いていた。港の明かりで夜中でも仄かに明るい空を背に、街道沿い光るデニーズの看板は、どこか80年代の片岡義男の小説の一節のようでもあり、鈴木英人のイラストのようでもあり、僕の大好きなエドワード・ホッパーの絵の「ナイトホーク」のイメージのようでもあった。そういう意味では、本来のこのあたりのイメージとは、ほんとは少し違うのかもしれない。
それにしても、父の様に敗戦直後の屈辱の歴史を知らない僕にとって、やはりアメリカはどこか憧れであったのかもしれない。別にデニーズが閉まったからと言って、どうにもならないほどの生活上のインパクトがあるわけではない。そのデニーズが、接収時代からあったわけではない。しかし、あの黄色い看板が失われた明るい夜空は、どうにも間が抜けている。僕の中で、あの看板がどれほど自分がこの街に住んでいることの象徴として、心の中に大きな位置を占めていたのかと、今更ながら思う。

本当に、寂しい。




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