Nicotto Town



K・オクターヴィユの『垂直運動』にういて


私は垂直進歩・垂直進化という語を頻繁に使い、この思想を攻撃します。
無限の進化と繁栄を盲信する超人思想じみた誇大妄想だと思ってますが、
現代人はこの病に骨の髄まで侵されてます。SDGsなんてその最たるもの。

垂直進歩という単語はオクターヴィユの著作からの借用です。
61年に刊行され垂直進歩思想の啓蒙に大きな(不可逆の)役割を果たした書ですが、
そこで検索してる貴方、お探しになっても無駄でございますです。

ストルガツキー兄弟の名著『波が風を消す』の中で、
コムコン2の調査員トイヴォ・グルーモアが上司に提出した報告書にある、
ペンギン症候群とフカミ恐怖症との関連で言及された書物の一冊ですから。

三部作と呼ばれる『収容所惑星』『蟻塚の中のかぶと虫』『波が風を消す』、
この三冊で微妙に変容していく主題を私はこのように捉えています。
【不可避/原罪としての進化の結果起こる、回復不能な断絶の悲劇】

説明してみましょう(どうせ散らかるんですが)。
人類は社会というものを発明し自らを社会的存在と規定しておりまして、
【社会】が未来永劫存続し発展することを夢見る大馬鹿で大多数が占められてます。

社会的存在としてのヒューマンビーイングが社会を否定することは不可能。
単純な論理学です。いっぽう【個】としての、本来かけがえのない、
全時空でただ一つのちっぽけな存在である【われ】はこの思想に違和感を抱く。

いわゆる社会性乖離とかいうヤツでしょうか。
社会的存在としての責務や義務、権限や権利を行使する「健全な」自己と、
傲岸不遜で憶病で怠惰で移り気な「かけがえのない」自己は乖離し続ける。

精神疾患に詳しい方々はこのあたりを上手に説明なさり、
治療法やカウンセリングを紹介してくださるんでしょうが……埋めるぞコノヤロウ。
そういう人種も私は軽蔑し嫌悪し、カールマルクスに賛意を示します。

道徳的・倫理的存在である社会的自己と本質的な個としての自己の決定的乖離、
文明病でもなければ、国家が解決すべき諸問題でもありません。
これこそが進化・進歩に内包されているのだというのが三部作のテーマの一つ。

翻って現代、多文化共生、エンパシー、LGBTに環境保護に……
誠にオウツクシイお題目が増えるたびに、価値観がどんどん狭小になっていく。
持続可能な成長社会の実現というのは無限大のピラミッドの頂上を目指す愚行です。

単純化すれば、ポピュリズムの生み出した新世代の全体主義なんでしょうな。
右か左か、保守か革新かなんてどーでもよいのです。
エゴ剝き出しの新民族主義勢力の台頭だって根っこにあるのはコレなんです。

垂直運動と垂直進歩、その先にあったのはまさしく21世紀の現在です。
読んだときに感じた違和感と微かな寒気はこれの予兆だったんだな。
どうすればいいか、ですって? そんなもん、カンタンですよ。

持続可能な成長とか、多文化共生とかが幻想/マガイモノだと理解すること。
分かりあえなくていいの。お互い地球の反対側で暮らし没交渉で生涯終えろ。
社会的弱者を助けるのは『趣味』の領域。国が税を使うべきことじゃない。

かくして私は垂直進歩/進化というものを断固否定し、
場末の呑み屋の店頭の汚いテーブルでたまたま相席になった客同士が、
気候や季節の話で曖昧に微笑む程度の関わりこそ、人類の理想だと信じるのです。

【以下、ストルガツキー兄弟に関して】

SF好きで三部作読んでない人は……不幸だと思うのです。こんな面白いのに。
私はなーんとなく手に取った『蟻塚の中のかぶと虫』を読み、首を傾げ、
何度か読むうちにこりゃスゲェと思うようになり『波が風を消す』も買った。

旧ソ連/東欧圏の事情を揶揄する側面が強いとする識者が多いんですが、
いやいやとんでもない。人類はこうじゃイカンと言ってるんです彼らは。
テーマはレムに通じる部分もあるけど、ミステリ的楽しみ方もできる。

『ストーカー(路傍のピクニック)』『世界終末十億年前』も好きだけど、
『ソラリスの陽のもとに』的にも読める『波が風を消す』が今の一推し。
トイヴォ・グルーモアの辿ったソポクレス的運命悲劇をぜひ堪能してほしい。

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2021/10/07 12:23
>ヘルミーナさん

御来訪感謝。とらやの羊羹と美味しい玉露、そちらにお出ししてあります。
さてエコロジー、日本の源流は四大公害やDDT、人工甘味料攻撃の盛んになった
1960年代後半、幾つかのムーブメントが合流した結果現状を招いたというのが私見です。

砒素ミルク、チクロ、サリドマイド禍、ウーマンリブ、フラワーパワー、公民権運動、ベ平連……
幼少期の体感なんですが、高度成長見直しという機運に一部の大人が浮かれ「かぶれ」すぎた

日本列島改造論がウケたのは、当時の反体制派に対し「保守的良識」が安易に迎合できたためかも。

多極化を容認したうえでの多文化共生は可能か、という問いに対し、
否と答えちゃうのが私の限界であり、人間的狭小の証明なのですが、
そもそもエコロジー根底にある有機的結合と関係性が、性分に合わないだけなのです。

若い世代が半世紀先に抱く明るい展望というものが、
体制や社会に多くを期待しすぎているという個人主義的不信感もありますね。
この世代とマスメディア/IT世代を同一視してるのかなぁ……。


閑話休題、いま日本の古書店で検索してみたらバカ高いですね……。
『波が風を消す』1000円、『収容所惑星』1500円、『かぶと虫』2000円ですって。
数か月に一度、ブックオフの百均コーナーで見るんだけど……せどり屋さんのせいかしら。

個人的には私同様『蟻塚の中のかぶと虫』から読んでいただけると嬉しいです。
三部ともマクシム=カンメラーという人物が主人公/狂言回しとして出てきます。
彼が「ワキ」を務める三幕の能舞台であると捉えても、それなりに整合性があるんです。
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2021/10/07 10:45
不幸な人が通ります。
いやお恥ずかしいことに、ストルガツキー兄弟、『ストーカー』しか読んでおらず。
冗談抜きで三部作読みたいのですが、現在入手困難では?
『ストーカー』でさえ入手困難なのに;;

で、本題ですが、90年代? でしたっけ?
エコロジーという語を「環境保護」という意味にねじまげ、
やたらなんでもエコエコ言い出した動きがあったのは。

全部が全部そうじゃないとは思う(思いたい)のですが、
ユースケ様が攻撃する思想的惑乱は、
大手広告代理店のリードかなぁ、とも思います。



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