義を見てせざるは勇無きなり
- カテゴリ:日記
- 2021/11/07 17:00:34
正しいと分かっていながら、行うことができないのは勇気がないからだ!
「論語」孔子先生のお言葉です。 今から2500年も前のこと。
まぁ人の為すこと考えることは昔から変わってないってことですね!?
せっかく座った通勤電車で、じいちゃんばあちゃんに席を譲る。
正しいと分かっていても難しいですよね。
人の行動原理は「欲望と恐怖」なんてことを言います。
したがって他人を動かすには「飴と鞭」だそうで...
アメ:「これからはキャッシュレス、今入会すればポイントもついてお得ですよ」
ムチ:「物騒な世の中、現金持って歩くなんて危険ですよ。いつ襲われても知りませんよ!」
なんて言われると、ついその気になってw
さて、前回の夢の中の私
女学生に声を掛けたいのですが
アメ:「現状に甘んじて、独りぼっちが気楽で好いや」
ムチ:「迷惑かもしれない、イヤな思いをさせたらどうしよう。」「いきなりじゃ驚くだろうな、即嫌われたら落ち込むなぁ」
と恐怖心が心のブレーキをかけるのですね。
トモコさん仰るように、案外彼女もイヤではないかもしれません。
いや、分かりませんがw
声をかけることが正しいかどうかは分かりませんが
恐怖心を抑えて行動を起こすには、理性で衝動(飴と鞭)を制御する力が必要なのでしょうね。
さて、小さな勇気
イヤイヤ「勇気」に大きいも小さいもあるかって気がしてきました。
現状の多数に迎合せず、どれほど自分の信条を通せるか?
それにはどう育ってきたか、またその延長でどう生きていくかの問題ですね。
「最大の悲劇は悪人の暴力ではなく、善人の沈黙と無関心だ」(キング牧師)
正邪を判断する「知」と己の信ずるところを行なう「勇」が、真の人生を創るってことかな?
楽じゃないけど、素晴らしい生涯ですよね。
夢の中じゃ叶わなかったけれど、リアルでは頑張りたいと思ってマス!
お久しぶりです。
「他人の感情に責任を持たない(責任は持てない)」←これイイですわ!
考えてみれば、そうですよね!?
その人が何をどう思うか?はその人の担当領域であって
こちらがそこまで思い巡らせることはないんですよね?
そうだ、それだわ!
さすがKEIさん、ありがとうございます。
相手が何を出すのか、それに対して何を出すのか、でもって相手もそう思ってこれを出すかも、じゃあ・・・とエンドレスな不毛な攻防戦・・・
そんなこんなで疲れ果ててしまうことが激しかった頃に
「他人の感情に責任を持たない(責任は持てない)」と言う言葉を知りました。
自分の言動に対して相手がどう思うのかは、その人の感情であり、責任はないと・・・。
良かれと思ってしたことを後悔する必要はないってことかな。
あくまで「良かれと思ってしたこと」です。
あ~、やっぱコメント下手だわ"(-""-)"
楽器とか、歌とか、普通に楽しむものだったんですね。
確かに今でもこちらの人よく歌ったりしています。
各地方ごとに郷土の歌があります。
楽器はさすがにギターどまりですね。
リュートとかは持ち出さないですね( ´艸`)
鈴木メソッドの鈴木先生の本を読んだことがあるのですが、お母さんは開口一番
「うちの子はものになるでしょうか?」
と聞いて来るんだそうです。子供のバイオリンの学習に対して。
音楽を稼業とする人たちが現れて
から、楽器の世界は楽しむ、たしなむというより、すぐに競争の世界になっていますね。
鈴木先生はお母さんに厳しく言ったそうです、ご自分の子供に対して、ものになりますかとは
どういうことですか?と。
バイオリンを教えるのはものになるとかならないかではなくて情操教育の一環であったということですから。
こちらに居ると「音楽を稼業とする人たち」の演奏を目(耳)にすることがあるのですが、すごいですね。
きいているだけだと、簡単そうに弾くので、私もこんな風に弾けたらな~やってみようかな?とつい勘違いしてしまいます。
残念ながらリュートのコンサートには巡りあったことがないです。
バロックのバイオリン??ビオラ?というのは行ったことがありますが、弓がバロックだけだったとか?
詳しくないのでよくわかりません。
バイオリンや弦の楽器は教会の中で聞くとすごく美しいです。
パイプオルガンとかも。
天使が出てきそうな雰囲気になりますね。
当時は一般教養というか、自分で演奏する楽器だったんですね。
ところが時代が下って、音楽を稼業とする人たちが現れて
曲が難しくなり、演奏するものから聞くものへ変わるにつれ大きな音の出る楽器が好まれるようになって次第に忘れ去られていく運命をたどったんだそうで、
でも今は繊細な音はマイクで拾うことができる訳で
少しずつリュートの優しく懐かしい響きが見直されているようです。
なので古典絵画にはよく登場するのはそのためかと思われます。
しみじみ聞くと、好い響きですよね!?
ギターの音色が好きなので、リュートも好きです。
こちらの演奏家の方、素敵な演奏ですね。
舞踏曲だと、本来はもっとテンポが速かったのでしょうか?
リュートはイタリア絵画でもよく出てきますね。(あっよくかは解りません。)
天使がリュートを弾いている絵画もありますね。
元々は地元に伝わる舞踊曲をレスピーギがオーケストラ用に編曲したようです。
リュートで演奏するとこんな感じでしょうか?
https://youtu.be/xdDjZzXpzuI
牧歌的で物寂しい感じが、しみじみといいですよね!
今はバイオリンですが、リュートだったらどんな感じの曲だったのでしょうね。
シチリアーナというと太陽のもとで元気いっぱいというイメージなのですが、クラッシック音楽の中では物悲しい雰囲気で表現されるんですね。
そうですね。
やらなかった後悔は避けたいものです♪
で、レスピーギ
「リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲」の
「シチリアーナ」が好きです。
ちょっと切なくて物悲しい旋律に、どこか懐かしい温かみがあって
伊、行きたーい!
そうでないと自分の殻の中にひきこもっちゃうから
レスピーギ、また調べてしまいました。
ボローニャ出身の音楽家なのですね。
いくつか聞いてみました。
素敵な楽曲ですね。
「当たって砕けろ」 ハイ、同感です。
砕けるか? 砕けずいくか? はやってみなくちゃ分からないのですから
これまでの勇気のなさを悔いるよりも
とにかく、踏み出してみましょうね!
昨日、こちらの日記拝見させていただいて
奥が深い内容に、お返事が書けませんでした。
う~んとうなりながら何か書かなければと思ってはいたのですが、とりあえずちょっと休んでからと思いつつそのまま寝てしまいました( ´艸`)
孔子、キング牧師のお言葉まで行くとあまりにも究極で
「正しいと分かっていながら、行うことができない」
「最大の悲劇は悪人の暴力ではなく、善人の沈黙と無関心だ」
の言葉はある意味命がけの言葉と解釈しましたが、
これを例の夢の女性に当てはめると、
やはり、行動を起こしたことによるその結果として「命がけ」への恐怖があるのかな?とも思えてきました。
やっぱりちゃんとしたお返事が書けないです。
若いころ誰にでも声をかける男子の友人がいたのですが、
その子曰く「えっ、だって声かけないほうがあの子に対して失礼じゃん」
と言っていましたよ。
声をかけないほうが失礼。
ある意味当ってるかも。
もうこれからは、勇気はあってもなくてももうどっちでもいいので当たって砕けろでいきましょう!!
雲谷斎さん、ごめんなさい、今日はもうまともなお返事が書けません。
失礼します。
嬉しいコメントありがとうございます。
「知」には個人の知と集団知があって、
一人で学ぶことができること、社会集団の中で会得するものとか
一言ではくくれないほど広範なものだと思います。
今は「反知性」の時代なんて言われてますので、急がず慌てず
多様な知を習得してくださいね。
雲さんにはいつもたくさんの気付きや考えるきっかけをもらいます。
正邪を判断する「知」と己の信ずるところを行なう「勇」
私にはまだまだ2つとも足りません。先ずは「知」から頑張りたいと思います!