Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


きらきら、池が接点を…

仮想タウンでキラキラを集めました。

2021/12/05
キラキラ
集めた場所 個数
おしゃべり広場 3
展望広場 10


四択、チワワ。
(わたしは、パグかな。猫が好きだから、実際は一緒には暮らすことが
 ないだろうけれど、あのくしゃくしゃとした、困ったような顔がすき。)


 外をうろうろする仕事で、世田谷の祖師谷五丁目に行った。自転車だ。うちから数キロはなれているだけだが、住宅街というイメージもあり、ほとんど訪れたことがない。仙川が境界線になっているところもあるので、家の近くにもある仙川沿いに向かった。桜の時期に、やはり仙川沿いにある祖師谷公園に行ったことがある。大雑把にいうと、祖師谷公園の手前、東に拡がるのが祖師谷五丁目。さらに東の境界は祖師谷大蔵駅あたりから連なる祖師谷の商店街。こちらは、たまに自転車で出かけているところだが、どうも、それらと、地理的なものが一致しない。桜の公園と、商店街たち。そのあたりに目的の区域はあるらしい。未知と既知がまざった、不思議な迷路のような感覚。
 あたりを自転車でめぐっているうち、バス停が眼に入った。「次はつりがね池公園」。地図は持参してきているし、チェックしているので、なんとなくは把握していたが、それは平面的な情報だった。実際の立体のなかで、それを見たので、すこし、いや、かなり驚いた。「つりがね池公園」は、二、三度来たことがある。水辺が好きなので、住宅地にある湧水の公園ということで興味を持って赴いたのだった。その後で、世田谷区のフリーペーパーの仕事で、つりがね池公園のことを紹介する小さな文章を書いたこともあった。辨天社のある、小さな池。
 バス停はひとつ手前の停留所だった。今いる比較的わかりやすい一本道の奥に、つりがね池公園はあるのだろう。かなりわかりにくい場所にあったはずの、あの公園が。心が騒いだが、仕事中だったので、ひとまずやりすごす。そして、またバス停、今度は「つりがね池公園」が眼に入ってきたが、通り過ぎた。だが、後ろ髪ひかれることおびただしい。結局引き返して、つりがね池公園に向かった。このときは地図はみなかった。バス停までひき返して、奥へ行く道をさがして入った。地図をみないで、わからなかったら諦めようと思っていた。だが、知った光景、池の端にすぐ出てきた。期せずして、わかりにくい道のなかで、いちばんわかりやすい道をたどって、着いてしまったのだった。数年ぶりだ。最後に来たのは早春だったのではないか。いきなりほそながい池が拡がっている。
 ヒヨドリが鳴いていた。名前の由来となったピィーヨという声より、ギーヨといった感じの少しの濁音。この濁音のほうが枯れた冬のなかでは似合っている。
 区の関係の方なのだろう。池に落ちた葉などを取り除く作業が行われている。もうだいぶ色褪せた、盛りを過ぎた紅葉が少し。池からバシャっと比較的大きな音がたった。鯉がはねたようだ。池の周りを一周する。弁天様が祀られている辨天社の小さな祠、さきほどの音とはまるで無関係なように静かな鯉の群れ。そして古くなって、かなり見づらい案内板。
 それによると、この「釣鐘池」は、標高45メートルの武蔵野台地に囲まれた、すぐ近くの仙川に注ぐ湧水池で、台地上には、「縄文時代中期の住居跡が、昭和五十二年(一九七七年)の区教育委員会の発掘調査によって確認されている。」
 とあった。
 縄文時代が好きなので、このことが、心にささった。だが、以前もそれを見て、知っていたはずなのに、ほとんど今回、はじめて見るような気がしているのはなぜなのか。いや、だんだん思い出してきた。以前は、そのことがさして心に刺さらなかったのだ。すこしのやさしいような感触はあったけれども。
 今回はなぜ、琴線にふれるような感触があったのか。武蔵野台地とかはわからないが、そういえば、ここにくるまで、坂を登ってきていた。すこし高くて、近くに水がある場所、というのが、縄文時代に限らずだが、生活しやすい場所だったなと、思い起こす。さらにここよりも下流、うちには近くなる、仙川沿いの砧八丁目採取の、地層の剥ぎ取り標本を世田谷区立郷土資料館で見たことがある。このあたりが海進により、十二万年間に海だったことを示すもので、その頃から人々が生活している証だった。
 そこから数キロ離れているから、いっしょくたにしてはいけないけれど、登ってきた感触と、通ってきたところたちが、つりがね池で重なった。それがやけに心地よかった。
 この湧水はきっと縄文の人たちにとっても大切なものだっただろう。仕事中に、こんなところで。僥倖だと思う。彼らの足跡を感じる。落葉の掃除作業は、一段落したようだ。放っておくと落葉が水の出入り口を塞いでしまうから、大切な作業なのだ。これらのことが重なって、心にやわらかな重さを感じたのだろう。
 池には、ほかに伝説があり、それが由来となっているとある。案内板より抜粋する。「伝説によると、近くにお寺があり、他教との争いのあげく僧が寺の鐘を被ってこの池に身を投げたとか、あるいは、日照りで農民が困ったとき、これを救おうと僧が釣鐘を抱いて池に身を沈めたところ、たちまち大雨が降った、などといいつたえ、それ以来「釣鐘池」と呼ばれるようになったという」。
 つりがね池公園にいたのは、それでも十分ぐらいだったか。名残惜しいが、その場を離れ、仕事に戻った。仕事が終わったのが、午後5時半ぐらいだったか。あたりは真っ暗だ。商店街のほうで終了したので、まっすぐに家へ。仙川を通って帰りたかったが、すこし離れてしまっている。仕方ない。かつてがどこかで繋がっている、そうした感触があったのが、しみたのだろうなと、ぼんやりと、また思う。どちらから帰るにしても、家へは、坂を下ってゆく感じだ。この坂上には、あちこち、遺跡があったのだなと、自転車で、楽に降りつつ、感じていた。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。
はげみになります。
今週もどうぞ、おすこやかにお過ごしくださいますよう。




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