ジュンチャンと世界を巡る 第81回はキリバス
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2022/02/11 06:08:03
キリバスは太平洋上に位置するギルバート諸島(フィジー共和国の北およそ1500kmにある16の環礁)、フェニックス諸島(ギルバート諸島の南東およそ1800kmにある8つの環礁・珊瑚島)、そしてライン諸島(ギルバート諸島の東およそ3300kmにある9つの環礁・島)の一部等を領土とする国家で、イギリス連邦加盟国です。
キリバスは33の環礁からなり、それらは赤道付近に350万km2にもわたって散らばっているので、その結果世界第3位に相当する排他的経済水域を有していて、領土はミクロネシアだけでなく、ポリネシアにも広がっています。
温暖化による海面上昇の影響で将来水没の危機にあると言われているこの国は、また世界で最も早く日付が変わる国でもあります。
国名は1788年、クルーゼンシュテルンらが島を発見したイギリスの水夫、トマス・ギルバートにちなんでいて、キリバス語はg音やl音を欠くため、英語読みの「Gilbert」が転じてキリバスとなったのです。
この国の歴史ですが、先住民は、約2000年前に西方からカヌーに乗ってやってきたミクロネシア系の人々です。
最初に来航したヨーロッパ人はスペイン人航海家で、1537年にクリスマス島(現キリティマティ島で、地球上で最も早く新しい1日が始まる。またここはポリネシアである。))を望見し、1777年にはイギリス人のジェイムズ・クックが来島して、19世紀初めからヨーロッパ人による経済活動が始まりました。
1892年から、ギルバート諸島は隣のエリス諸島と共にギルバート・エリス諸島としてイギリスの保護領となり、1916年には植民地となったのです。
第二次世界大戦中の1941年に、イギリスの植民地政府を放逐した大日本帝国に占領され、後に一部の島は要塞化され、1943年より、アメリカ軍との間にギルバート・マーシャル諸島の戦いといった激しい戦闘が行なわれました。
1956年から1962年に、ライン諸島のクリスマス島がイギリスとアメリカ両国の核実験場とされた歴史もあります。
1979年にキリバスが独立した際、アメリカはほとんど無人のフェニックス諸島および3つの島を除くライン諸島すべての所有権を放棄し、それぞれキリバスの領土となりました。
この国の経済ですが、リン酸塩の鉱床が1979年の独立とちょうど同時に枯渇してしまったので、ナウル共和国など周辺のいくつかの国と同様に、キリバスはほとんど天然資源を持っていません。
現在は、コプラ、観賞用魚や海草が生産および輸出の大半を占めていて、この国の経済は熟練労働者の不足、インフラの未整備、国際市場から遠く離れていることなどで、大きく揺れ動いて苦戦しています。
ここからキリバス観光です。
まず、「クリスマス島」です。
クリスマス島はハワイ島の真南に位置していて、マリンスポーツやその他のアクティビティを楽しむことができます。
イルカやマンタ、海ガメなど多彩な海洋生物が見られることでも知られていて、島内にある3つのダイビングスポットのうちの一つである北東部海岸に位置するベイ・オブ・レックでは、海に潜ってサメやマグロなどの大物にも出逢える場所で、自然のままのサンゴ礁も見ることができます。
次に「Ambo Island」です。
細長い島タラワ環礁に位置するAmbo Islandは、静かなリラックスできる場所として人気のあるスポットで、タラワ環礁というと、ベティオやバイリキといった、ビジネス系の建物や大きな港、郵便局や図書館などの公共施設の多い地域がメインプレイスになっていますが、そんな雑踏の中から離れたところに存在しているのがAmbo Islandなのです。
Ambo Islandではときに現地の人がココナッツの実をとり、ココナッツジュースをふるまってくれることがありますが、ここでは一般的なことです。
また、Ambo Islandではその昔島と島とをつなぐために石を積み上げて作ったとされる、コーズウェイの名残りも見ることができます。
最後に、「Fenua-ura」です。
ここは人気スポットで、キリバス観光に行く際はたいていの人はファニング島の「Fenua-ura」を訪れます。
青い空と透き通ったターコイズブルーの海、そして綺麗なホワイトサンドのビーチ、そんな癒しの景色の中で過ごす時間は最高です。
大自然を感じつつ、どこか素朴な雰囲気を感じるところ。現地の人とはとてもフレンドリーに関われるので、「Fenua-ura」では最大級の居心地のよさを感じることができます。
次回もミクロネシアの国々を紹介しますので、引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )