見えていること、いないこと。
- カテゴリ:人生
- 2022/03/12 21:24:31
なるほど。
学生をやっていた頃。
一人暮らしをさせてもらっていた頃の。
鬱。
という診断すら受ける機会もなかった。
病院になど行かなかった。
頃の。
仕送りと、すぐ辞めていくアルバイトを、ぽつぽつとして。
講義には行かず。
自由自在に、時間を遣っていた頃の。
あの頃と、今。
全然、変ってないやんけー。
っと。
今は、曲がりなりにも働くをできている。
でも。
家に帰ると、同じ。
ただ、大人が、こども部屋を与えられて、自由気儘に過ごしている。
その気儘さの中に、『人との付き合い』は含まれない。
対人。
対面。
の。
家に帰れば、ひとりだ。
姉は、いるけど。
両親も、いるけど。
家族は、別格。
そして、あまり話さない。
食卓を囲む時間が重なれば、何かしらは話す。
それくらい。
ただ、ひとりの時間に、他人はいない。
友人。
交友。
が、根づかないまま大人の年齢になった。
思春期は、隠れてた。
精神が。
精神の、私の『本体』とも呼べるものが。
隠れてた。
育まれなかった、対人、対面。
そのままだ。
それが、ぼく。
今の、ぼく。
そのもの。
あと。
見ない。
見えない。
対人の距離、対面の距離、の相手のことを、よく見ない。
身についていないのだ。
その距離での、『相手を見る』という習慣が。
ほんま。
それは、思う。
話す距離で、話はする。
そして、その人の着ている服が、眼に入らない。
記憶に残らない。
遠くなら、見える。
何かを云った時の、相手の反応。
これだって見てない、私。
身についていないので。
そのまま。
損をしている。
と思う間もなく、知らない。
解ってない。
「そんなものが在るなんて、思ったこともない」。
まーね。
お互い様だろうけど。
私には見えていて、他の誰かには見えてないこと、沢山ある。
ありそう。
解らんけど。




























そう、自分で自分を解る。
そんな時期に入ってきているのだろうとは思います。
ただ、その自分で。
どうしたらいいのでしょう? と嘆く。
癖。
いつも、何かしら気づいてからが『スタート』だと感じている。
その『スタート』を、いつまでも繰り返し、重ねて、人生は繰り広げられていくのか。
もしくは。
ここ止まりで、変らない日々が続いていくのか。
みたいな。
『外』からの客観的な意見を、ありがとうございます。
なるほどなー。
と思うです。
なぜなんだろう?
少し解ったとしても
自分を簡単に変えることはできない
それは仕方のないこと
私自身も性格は簡単に変えられない
自分自身のことが少しでもわかること自体
変化が無くてもそれが力になるのではないでしょうか?
今の自分を肯定し大切にする
そんな事もありかなって思うのですが・・・