いちごのショートケーキ
- カテゴリ:自作小説
- 2022/04/10 16:09:54
葛飾にある小さな印刷工場で働いている。年が明けてから、金曜日は、飛び入りの仕事を片付けるために、定時に帰ることができない。寅さんの映画に出てくるタコ社長のように、営業の担当が余計な仕事を引き受けてきて、週初めに立てていた仕事の段取りが狂ってしまう。
映画の中で、博がさくらに、「古いお得意にしがみついているだけなんだよ、社長の営業のやり方は。そういうお得意ってのは、儲かる仕事は大きな工場に出しておいて、手間ばっかりかかってどこも引き受け手のないような仕事をウチに押し付けてくるんだ。今日だってそうなんだ。急ぎの仕事だから割り込ましてくれって、冗談じゃないっていうんだよ。」と言っていたが、博は愚痴を聞いてくれる可愛い奥さんがいるだけましだ。
ペーパーレスに出版不況、ネット印刷の業者が増えて、印刷業界が青色吐息だったところに、コロナでイベントが減り、ポスターやカタログの仕事がなくなった。社長が、うちの会社も終わりだと社員に言っていた頃に比べたら、忙しいと愚痴を言えるようになっただけましなのかもしれない。
バブルの頃、印刷業界の市場は13兆円あったが、今では5兆円に落ち込み、構造不況業種に指定されている。社員8人の小さな印刷屋だが、展覧会のカタログのように美術系の印刷を得意にしていて、他の印刷屋が廃業する中で、コロナまでは、儲からないが堅実な経営をしていた。
印刷は、スミ(クロ)、藍(シアン)、紅(マゼンタ)、黄(イエロー)の4色のインキを組み合わせで表現するが、多彩な絵の具で描かれたオリジナルの作品の質感や色調を完全に再現するのは物理的に不可能だ。オリジナルに色調を合わせなければいけないし、厚みのある絵具を平板のプリントで表現するためには、経験と職人技が必要だった。
去年の春、芸大を出たが、絵描きにも学芸員にもなれなかった。才能がないことには気づいていたので、それは仕方なかったが、就職活動を始めても、コロナが真っ盛りで、採用を抑制していた出版社にも広告代理店にも採用されなかった。教授の紹介で、印刷屋で働きはじめたが、芸大を出たのに工員かよと腐った。その態度から仕事場では孤立していた。
印刷屋を辞めようかと思っていた時に、洋菓子店「Nicotto」に出会った。
梅雨も終わりに近づいた頃、印刷屋の近くの通りにあるバス停で、バスが来るのを待っていた。傘を差していても、横殴り雨が作業服のズボンを濡らしていく。バス停の表示を見ると、次のバスが来るまで30分近くかかる。ポケットからスマホを取り出したが、画面に雨粒が落ちてきたので、ポケットにしまい直した。
行きかう車越しに通りの向こう側を見ると、明かりが消えた店舗が並ぶ中に、一軒だけ、ウィンドーから明かりがこぼれていた。店の前には、紫陽花の植木鉢が置かれ、薄いすみれ色の花弁が店内からこぼれる明かりに照らされていた。紫陽花を近くで見たくて、通りを渡りNicottoに向かった。
紫陽花の花弁は、がくの近くの白色から花びらの先端に向かい徐々に青色に移っていく。水平線の空と海の境界のグラデーションのように感じて、しゃがんで見ようと時に、店内にいた店員と目が合った。バツが悪くなり、店に入ると、壁際の棚には、フィナンシェやマドレーヌと可愛らしい字で書かれたポップが添えられた焼き菓子が籐の籠に入れられ並んでいた。閉店時間に近かったので、ショーケースの中にあったケーキの半分近くが売り切れていたが、ケーキに添えられた果物やベイクドチーズケーキのナパージュが照明を浴びて艶々と輝いていた。
ビスキュイ、バタークリーム、ガナッシュを重ね、チョコレートでコーティングされたオペラ。小さな金箔がアクセントに添えられている。バロックの代表的画家、光と影の魔術師と呼ばれるレンブラントが描いた、暗闇の中でスポットライトを浴びたように人物が浮かび上がる「夜警」をイメージさせる。
クレープ生地とクリームが薄く幾層にも重なったミルクレープ。少し離れて見ると、淡い黄色のクリームイエローとホワイトの境界が曖昧になる。光を反射する水面や水蒸気をたたえた大気の揺らぎを、一筆ごとのタッチの並置で描いたクロード・モネの「淡い日の出」のようだ。
店員に、お決まりになりましたかと聞かれ、慌てて、いちごのショートケーキを言おうとしたが、売り切れていた。純白の生クリームの中に、様々な色彩のオレンジ、ラズベリー、ブルーベリー、キウイ、いちごが宝石のように浮かぶロールケーキを頼んだ。
店員に、ケーキ10個分のスタンプが貯まると、1個ケーキが貰えるので、会員カードを作りませんかと勧められたが、バスの時間があるのでと断った。ケーキを包んでいる間に、名前と住所、生年月日を書いていただければいいですよと言われて、カードに記入した。
店員は、一個だけのロールケーキを紙箱に移し、雨が降っているのでサービスですと言って、レジ袋に入れてくれた。ケーキを受け取るときに、店員のほっそりとした柔らかな指先に触れて、慌ててレジ袋を引き寄せるときに箱が傾いてしまった。白い肌に少し朱に染まった頬、純白のコックコートの下の豊満な体つきは、ルノワールを髣髴させる。それから、毎週金曜日は、自分へのご褒美にケーキを一個だけ買ってから、バスに乗ることにした。
インクの微妙な濃度や湿度や気温で、紙に落ちたインクの高さやエッジの鋭さが異なり、プリントの印象が変わってくる。空気を含みふわふわとしたスポンジ、口の中でとろける滑らかなクリーム、みずみずしく透明感のあるフルーツ、見た瞬間にケーキを食べたいと感じてもらえる印刷をしたくて、色調管理の勉強をしたり古参の工員に聞いたりするようにした。
うちは、レシピ本でなくて美術書の印刷屋だとからかわれたが、職人気質の工員は、技術を教えるのは嬉しいらしく、職場にも溶け込めるようになっていった。金曜日にはケーキを買って帰るというルーチンができたせいか、週末が来るのが待ち遠しく、一週間のメリハリもつくようになったが、Nicottoを訪れるのは、いつも閉店間際になり、いちごのショートはいつも売り切れていた。
昨日も、ショーケースの中にイチゴのショートケーキはなかった。初夏のように暖かくなったので、レアチーズケーキを頼んだ。フェルメールは多彩な色遣いで目を楽しましてくれるが、ホイッスラーは色彩にテーマを持たせた。代表作は、恋人を描いた「白のシンフォニー第1番-白の少女」。白い背景に白いドレスを着た少女。コック服を着た店員が持つレアチーズケーキと似ていると思って、くすっと笑った。
店員にポイントカードを渡すと、ちょうど10こめだった。もう一つ、何にしようかとショーケースの中を見ていたら、店員が奥の冷蔵庫からいちごのショートケーキを取り出してきた。店員は、お客さん、今日、誕生日ですよね、いつも売り切れるので、とっておきましたとほほ笑んだ。
ありがとう、ふくよかなパティシエのおじさん。
既読
中国は、一人っ子政策を続けていたので、そのうち、人口構成の高齢化が進み成長率が鈍化しそうだけど、2050年のGDPは、まだ、中国が世界一位で、インドは2位。その頃、日本は、インドネシア、メキシコ、ブラジルにも追い抜かれている。しかし、2060年くらいになると、自分のような第二次ベビーブーム世代も残り少なくなり、経済規模は小さくとも重荷がとれ、すっきした違う世界になっていて、あずさちゃんの子供が希望の持てる日本になっていると思う。まずは、高校を卒業しないといけません。サクランボもなるかも。
ごめんなさい(m´・ω・`)m ゴメン
さぬどんも素直に受け取りすぎぃ~~~
さくらんぼは、実がなるまで4~5年かかるそうです 園芸の本何冊か漁りました
苗木についてたタグの「自家受粉で翌年5月には実がなる」の記載は何だったんだろう
白状するとね、GWにさぬどんとオフで逢いたいなってずっと思ってました
インドが中国を超えて世界一になる日が来るんじゃないかって思ってます
やっぱり人口が多くないとダメで、日本は長寿国だけど、このままいくと
労働力も経済力も下降線をたどることになるでしょ だから大学行ってやりがいのある仕事に
就いてキャリアを目指すことは素敵だけど、子供が増えて、貧困が無くなることが最重要課題
だと考えます 自分の中では、高校卒業と同時くらいに出産して、子供には兄弟姉妹がいて
そういうのが理想です 学校では言えないけど(^<^)
毎年、海外旅行に行けば、その問題は解決します。妹夫婦は、子供料金が取られるまで、毎年、海外旅行にでかけてました。私は、ふわふわが浮かぶ夢をよく見ていましたが、最近は、見なくなりました.風に乗るとんびというか、風に舞うレジ袋のような感じでしょうか。勝手に、殺人犯に違いないと思っているだけなので、夜中にフラフラしていた、ただのおっさんの可能性も高いです。
私、殺人事件現場に遭遇しないかなぁ~などと「推理小説」大好きなんで思ってたけど・・・考えたら「におい」もしますよねぇ・・・・・それ思い付き、遭遇したいと思うのやめた!
私が行ったツアー東ドイツも西ドイツも行ったはずですが・・・忘れました。
お城と言えば長女の新婚旅行が10年前、フランス・ロワール地方に行きました。
夕食はほぼ毎日白身魚のムニエル・・・そんなにケチ臭いツアーを選んでもないのに・・・と帰ってからブツクサ言ってました。
恋愛結婚ではないので「もっと親しくなった1年後ならもっと海外旅行を楽しめた?」と1年後聞いてみたら「YES」でした。
走っても走っても・・・とか、落ちる!・・・とかの「夢」何度も見ませんか?
・・・???・・・そう言えば私も何度も見る夢・・・あれは子供の頃だけだったのかも・・・どうだったかなぁ~最近は起きたら大抵忘れてしまってます
怖い目に遭ったことは有りませんが、星を見るために群馬の山奥に行ったときには、殺人犯に遭遇しました。詳細は、過去日記まで。
繰り返しの夢を見たことがないのは、短編派で3000文字で完結させようとしているからだと思います.
東欧は、行ってみたいのですが、旧東ドイツの辺りまでです。西欧より、東欧の方が中世のままのところが多く、メルヘンチックで、女性にはピッタリだと思います.旧東ドイツでは、お城に泊まりました.
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そう言う話を聞くとやっぱり男女差はある!女一人で・・・殺されたなんてこともありますからねぇ
別府秘湯女性看護師強盗殺人事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org › wiki › 別府秘湯女性看護師強...
被害女性は、一人旅で、九州内の秘湯を軽自動車でめぐっていた。 事件後、「鍋山の湯」に通じる市道は通行止めとなっていたが、防犯カメラ、街灯、注意看板の設置 ...
男1人旅・・・怖い目にあったことありましたか?
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夢見てて→起こされて→その起こされたってのも夢でした・・・なんて残念な夢←見ます?
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ウクライナ、行ったことあります?
私、チェコなら行ったことがあります・チェコスロバキアと呼ばれてた頃行ったことがありますが、ツアー旅行中ホテルの部屋にバスタブが無かったのはチェコスロバキアだけでした(-.-)
モネの淡い光や霞がかった空気感は、日本人と親和性が高いと思います。私は、ゴヤも好きです。決して、「裸のマヤ」のおっぱいに惹かれているわけではありません。
おじさんの優しさがあったかいですね~
ときめきは無かったけど( *´艸`)
ちなみにモネの絵画は好きです♪
行きつけのお店を持っていた方がいいでしょう。お揚げが大きくなったり、売れ残りそうなちくわ天をサービスしてくれるかもしれません?
笑ったよ。
ふくよかなパティシエのおじさんは、優しいいい人だね。
私も通いたいよ。
予想を外されたことに、作者は満足しています。ワンパターンで、オチがバレ続けているので、二コタ作家生活の危機に陥っていました。次回作も意表をつかさせていただきます。
せっせと有名画家を検索しながら、どんな女性像だろう?( *´艸`)
と想像してたら、まさかのオチ( ,,>З<)ブフ`;:゙
純粋にケーキに魅了されたのね~笑。
面白かったです。
春風堂で、ケーキを買ってあげましょう。かつては、30店舗あったのに、今では、南新町と工場のみ。ペコちゃんに駆逐されたのだろうか。
mさん
Go toを使ったことはありません。マイカーでふらふらして、気の向いたところで、車中泊をしたり、ネカフェで泊まっているのて、使う機会がないのです。
あずさちゃん
干し芋は、食物繊維がたっぷりで、腸内の乳酸菌が元気になります。腸の調子がよければ、お肌の張りも良くなります。お肌を気にする年齢ではないですが、将来、干し芋効果が現れるでしょう。
ろくさん
和田まんじゅうをググってしまった。芸風でなくて、容貌がタイプだとしたら、ろくさんは、人類の味方です。焼肉やシュークリーム好きにとっては、朗報になるでしょう。
今回も嗜好バッチリ合ってます♡
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てっきり妙齢の女性かと・・・思っちまった(-_-)
Gotoトラベルは、税金の無駄遣いじゃないかと思っています。
↑
ん?GOTOトラベル使って経験なし?
暑い日でした、車内温度30℃の表示でびっくり!
干し芋のようにやわらかいのか、芋けんぴのように固いのか、気になるところですが、うどんと違って、柔らかい方が好きです。
オペラは、秋冬限定なのですか。知らなかったです。まるで、しっぽくうどんのようですが、88番札所大窪寺にあるうどん屋八十八庵に行けば、年中、しっぽくうどんを食べることができます。いえ、綾瀬はるかの指は、細いはずです。
あずさちゃん
昨日の焼き鳥屋では、デザートにスイートポテトパフェを頼みましたが、さつま芋クリームの上に、ホイップクリームがのっていて、チュロスが添えられていました。甘くて、甘くて、焼き鳥の味が吹っ飛んでしまいました。イリコ出汁も吹っ飛びそうな気がしてきました、
人類の歴史には詳しくないですが、ケーキの歴史には詳しいです。最近、お風呂で読んだのは、バームクーヘンの歴史考察に関する論文です。しかし、途中で面倒くさくなって捨ててしまいました。もともとは、ひも状の生地を木に巻いて焼いたお供えものでした。
ケーキもインクも詳しいのね
そうです寅さんのことは、何でも聞いてください。タコ社長の印刷屋さんは、「あさひ印刷」ですが、映画の最初の頃は「共栄印刷」だっと思います。博のお父さんは、岡山県の高梁市に住んでいますが、いいところです。
たまちゃん
「高慢と偏見」を愛読書にするたまちゃんにしては、うっかりです。何事も疑ってかからないといけないのは、前作の教訓です。最高級ロールケーキを探そうと検索しましたが、一本か一切れの値段か分からなくなり断念しました。
寧々こさん
ルノアールは、身構える必要はありません。昭和感あふれる懐かしい喫茶店ですので、席に座ってしまえば大丈夫です。煙草が吸えるころに行ったことはありますが、最近、行っていないので、どうなっているか気になります。
オペラが大好きなので食べたくなりました♪
でも秋冬限定ですよね。。
それと…ふっくらタイプの方は、やっぱり手もふっくらなのでは…と
自分のぽってりした手のひらを見ながら思った次第です。。
いつもより短めなのに、読み応えありました。
また楽しみにしてます(´ー`)ノ
これからケーキの値段ももっと上がるのかもしれません
最後の最後に最強の劇的なオチに襲われたじゃないですかー!
吹きましたよ~おじさん最高!
沖人さんの小説だからと言って、店員が女性だと思い込んではいけませんね。
何事も偏見や思い込みはいけません。教訓をありがとうw
しかし、沖人さんは博識ですよね~ (^O^)/