私は此の意見に共感する。そして日本人に知らせたい事がある。
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「この悪魔と一緒に暮らせるのか?」ウクライナ代表ジンチェンコの妻が、ロシア兵の略奪と戦利品として受け取る嫁たちを糾弾「子供から奪った物でも…」
マンチェスター・シティに所属するウクライナ代表MFオレクサンドル・ジンチェンコの妻ウラダさんが、母国に軍事侵攻を続けるロシア軍の行為を痛烈に非難した。
ウクライナ・メディア『SPORT』によれば、ウラダさんは、ウクライナの民間人から物を略奪し、戦利品として家族に送っているロシア兵の行動を糾弾。その家族に向けて、こう投げかけた。
「彼らは妻に連絡し、娘に持っていく戦利品、スニーカー、ラップトップを見せびらかす。私はこの母親であり妻に尋ねたい。あなたはこの悪魔とどのように一緒に暮らすつもりなのか? どのように? その戦利品がすべて子供から奪った物でも?」
https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=107917
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◎そして今こそ私は日本人に知って貰いたい事が在る。
其れはロシアが日本が降伏した8月15日から2週間過ぎた後に旧ソビエト兵が北方4島に侵略して来た時の其の時に逃げ延びれた人の証言だ。
其れは今ウクライナのブチャなどで起きている事と同じ事が北方4島で起きていた。
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1945年(昭和20年)8月20日、樺太に住んでいた秋葉薫さん(当時8歳)一家11人は、侵攻してきたソビエト兵に見つからないように、家の押し入れに潜みました。その場面を絵にしました。兵の息づかいや足音が、ふすま越しに聞こえたそうです。兵が去ったあと、一家で逃避しました。途中で目撃した光景も絵にしました。馬や、鞭(むち)を持ったままの男性、そして裸の女性の死体です。兵隊でなく一般住民が犠牲になったことに、気の毒以外にないと語ります。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001200028_00000
1945年(昭和20年)8月22日、樺太からの引き揚げ船が留萌沖でソビエト軍潜水艦の攻撃を受けました。3隻で合わせて1,700人以上の民間人が犠牲になりました。
第2新興丸に乗っていた吉田勇さん(当時9歳)が、攻撃された時の光景を絵にしました。魚雷攻撃を受けて倒れたマストが男性の胸に突き刺さる光景です。助けることができなかったという慚愧(ざんき)の念を今でも抱えています。吉田さんはたくさんの人が命を失った惨状を、後世に伝えていくことが生き残った自分の責務だと考えています。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001200020_00000
【避難民を狙うソ連軍機の機銃掃射】
1945年(昭和20年)8月、原田さんはソ連軍の侵攻からの悲惨な逃避行を体験しました。砲撃を木の下に隠れて生き延び、ソ連軍機の機銃掃射ではすぐそばの人が直撃を受けました。捨てられた子や動けなくなった高齢者が道路の脇に残されているのを目撃しました。22日に終戦を知り、もう逃げなくてよいことに、ほっとしました。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130355_00000
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↑同じです。女性はレイプされた後殺されました。旧ソビエト兵は避難船を攻撃しました。
旧ソビエト兵は避難民を狙って殺しました。