Nicotto Town



ブッダbot.ー大学公開講座に行ってきました


大学の公開講座に行ってきました\( 'ω')/


AIとこころ…

IT技術が進むにつれ「こころ」が置き去りになっているようで
不安に思う時があります。

公開講座の先生のお話でも
物質的には豊かになっているのに
こころが満たされない人が多い…という事でした。

いろいろな経緯から
AIでブッダを再現することはできないか?と思って
開発されている様子をお話されていました。

結果から言ってしまうと
ブッダを再現する事は無理なんだそうです
ブッダ自身が語った生の言葉が余り残されていない為。

けれど、ブッダbot.は開発できるのではないか?と
試行錯誤されている様です。

そこで気になるのは
「心を誘導されてしまわないか?」という事ですが
そこに気をつけて開発されているそうです。


そうして
アンケートを取ると
大方の人がブッダbot.に好意的だったそうです
きっとそれだけ生きづらさを感じている人が多いんだろうなと思いました。


春先で気候が安定しなくて
私も体調があまり良くなかったのですが
参加して良かったです\( 'ω')/

…まあ、その後寝込みましたが(笑)




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2022/04/27 14:03
ラツィオ❁田吾作さんへ

ご訪問ありがとうございます

そうですね、心を誘導されるのは怖いですね
けれど何かを拠り所にすれば
そういう事が起こりやすくなるので
難しい問題だとも思います(^^;

私も人にやさしくありたいと思います

こちらこそありがとうございます(*^▽^*)

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2022/04/25 04:55
日記広場から参上しました

心を誘導されるのは怖いですね
人に対してやささくありたいといつも思います

貴重な情報ありがとうございました
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2022/04/18 19:42
がぶりえさんへ

ゲーム…というと何だか技術ばかり先行して
どこか冷たいイメージを持っていた私は
がぶりえさんのお話から
とてつもなく哲学的なゲームがある事を知りビックリしました!

今回参加した大学の公開講座でも
ブッダbot.を開発するにあたり
AIの研究者、脳科学の研究者、
そして今回お話しくださった宗教学の研究者の先生たちの共通した思いは
「社会の役に立つものを作りたい」「世界平和に貢献したい」という事だったそうです。

私は、AIやIT技術などと聞くと
技術開発先行で「こころ」は置き去りになっている、ついていけない人は置き去りになっている
と思っていたので、そのお話を聞いて「ホッ」と安心しました。

がぶりえさんのプレイされたゲームの開発者の方達も
やはり「人間として大切な何か」を残したいと思い
そういうサブストーリーを加えられたのかな、だったら嬉しいなと思いました。


ただ、開発側はどのような思いでいても
受け取り手がその思いを受け取れるかはまた別なのだなと…難しい問題なのだなと
がぶりえさんのコメントから思いました…

正直言って、ブッダbot.を依存せず使える事の出来る人は少ないだろうし
使う人の目的が初めからブッダbot.に答えを貰う事の様な気がします…

けれども、とりあえず私は
自分のやっていることを通じて世の中を良くしたいという思いの人が
まだまだこんな所にもいたのだという事を発見して
安心し、嬉しかったです^^


>「イエスの十字架の磔の追体験」
とても難しい問題ですね…
死刑囚と言えども1人の人の命がかかっている事…
その追体験をして何かを悟ったとして、それは自分の体験ではないという事…
死刑囚が祭り上げられるかもしれないけれど、たくさんの罪を犯した人であること…
又は、遊び感覚でVRを捉えられるかもしれないけれど、
人の命とキリスト教というものがあるという事

…などなど少し思っただけでも
答えの出ない問いが沢山浮かんできます

深く考えて行くととてつもない宇宙に放り出されそうです…
けれど…
>「魂をデジタル化できるか?できるとしてデジタル化された魂は、
敬虔な仏教徒の観点からしてそれを『魂』と呼べるのだろうか?」
という問いにもとても興味がある困った私なのでした(^^;
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2022/04/17 19:05
僕のプレイしていたゲームに「イエスのデジタル化」についてのサブストーリーがありました。

ざっくり話すと相当残虐な殺人の罪をたくさん犯した死刑囚が
長い獄中生活の中キリスト教に改心し、自らの罪をあがなうべく、
イエスと同じように自分が十字架に打ち付けられて殺される様そのものを
記録して「デジタル化」し、そのコンテンツをVRのような形で
「痛みも伴う体験=イエスの死の追体験」として体験できるものとして
販売することの是非を問うような内容でした。

プレイヤーとしてはこのコンテンツの制作の手伝いを依頼されるのですが、
依頼そのものを拒否することもできますし、
そこはプレイヤー自身の判断に任されています。

同じゲーム内で「魂をデジタル化できるか?できるとしてデジタル化された魂は、
敬虔な仏教徒の観点からしてそれを『魂』と呼べるのだろうか?」という
サブストーリーもありました。

そのゲームには結論や答えというものは用意されていません。
用意できるような類のものではないですしね。
自らひとりの生きる人間としてそれをどう受け止め、どう生きるか。
そういう問いかけには考えされられました。

ブッダbot.が発する言葉そのものによってその人が何を考えるか、
そういうきっかけになるのであれば、そのbot.の意義はあるでしょうね。
上記ゲームの「イエスの十字架の磔の追体験」については
いまもなお考えされており、極めて難しい重大な問題だなと
自らに問いかけています。
そんなことをしていいのかどうか、と。



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