Nicotto Town



5/6 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2022/05/06
キラキラ
集めた場所 個数
ゲーム広場 4
展望広場 3

4択  「明石家さんま


キラキラ  「ゲーム広場 工事中板 左側

     「展望広場 屋敷側の竹林

4択 好きなお笑い芸人は? → 明石家さんま



明石家さんまって「明石屋」とつくのだから、落語に入門したのだろうか?
改めて調べてみると学生時代からお茶目をして学校の人気者であったらしく「お前吉本に入れや」(面白い人に必ず言う大阪の定型句)と言われまくり、本人もプロになる気持ちが育ってきて、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入りしたらしい。
高座名は「笑福亭さんま」。

内弟子をして半年後、当時付き合っていた女性と上京、東京で一旗あげようとしたが上手くいかず大阪に一時帰った時に師匠に挨拶に行ったら一言も怒ることなく師匠は激励したという。
凄いな、師匠。
お笑いは色々な人生を歩んで入る人がいるからか?
人柄か?
師匠は上方落語界や吉本興業に「さんまが帰ってくるからよろしゅう」と根回しまでしていたという。
なんというできた師匠なんだ!!!
結局、さんまは交際していた女性が他の男と結婚し、大阪に帰り内弟子修行に戻ることを決意。
師匠の楽屋を訪ね、不明を詫びようとした時に師匠は「何もいうな。ついてこい」と初めてさんまと一緒にいったラーメン屋にまた連れていき、食事をしたという。
その後、一度抜けた身で「笑福亭」を名乗るのは罰がわるかろうと「明石屋」という高座名をつけてくれたのだそうだ。
何故「明石屋」かというと、師匠である笑福亭松之助の本名が「明石 徳三(あかし とくぞう)」だったからだ。

・・・・・ずっと第一線でありつづけたさんまも凄いが師匠すごくない??
器がすごくない??

と思って笑福亭松之助のwikiをざっと読んでみると凄い問題児だった。
建築関係の父親にそこらの小学校入学前から建築技術を仕込まれ、小学校卒業と同時に養成工(見習い)として三菱電機に就職するが、仕事をサボって倉庫で寝てるなど態度が悪い。
17歳で父親が死去し、家庭を支えることになると知り合いの医者に偽の病気診断書を書いてもらい会社に提出。長期休暇に入り、健康保険組合から日給7割の療病手当を貰いながらアルバイトをしまくっている。
ある日ふと「好きなことして生きな損や」と思いたち、死んだ時に新聞に名前がでたり、他人に名前を覚えてもらえる芸人になろうと落語の道に入ったという。

実はちゃんと高校を卒業したさんまの方が真面目だった!

「好きなことして生きる」の理念で、落語家になってからも一時落語をやめて喜劇役者になったり、テレビの台本を書いたり色々している。
久米がやっていた「ニュースステーション」の金曜日コメンテーターや中継レポーターもやったらしい。

落語家であった時もどうしても落語をする気にならない時期は酒を飲み続け、高座にでるも「さんまの師匠です」だけいって降りるなど無茶苦茶であった。
でもある日「よし、もうこの生活はやめよう」と一切酒を断ち、落語に邁進している。
なんというか思いつきがすごく強い人なのか?

さんまとはずっと交流を続け、週1の手紙を晩年まで続けたらしい。
恋人かーーーーいい!!

ブログをしたり、若手に混じってS-1バトルに挑戦したりと有意義な晩年だったようだ。
2019年2月。93歳で大往生。
うーーーーーん・・覚えてないというか、仮にニュースみていてもスルーしてるだろうなぁ。

こういう人生もあるんだなーと教えてくれるニコット4択。
私の人生にめちゃ有意義だ!!

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2022/05/06 08:37
さして有意義でもない4択を、有意義にしているのはつつきさんだよ。




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