Nicotto Town



5/11 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2022/05/11
キラキラ
集めた場所 個数
ペット海浜公園 3
教会広場 7

4択  「デザイン


キラキラ  「ペット海浜公園 柵の左側

     「教会広場 教会建物 左側

4択 靴選ぶ時のポイントは? → デザイン



気に入ったデザインのを履く→履き心地確認→お値段チェック
の流れかなぁ。

どれだけ気に入っても履き心地がダメだったらだめだ。
あと・・・裏に滑り止めがついてるやつ!!!
超重要!
つるつるしたものは論外!
転ぶだろうがーーーーー!!!

そうやって気をつけて選んでいるのに奈良の展覧会を見に行って2回転んだなぁ。
一回は段差あるのに気づかなくて転げ落ちたからずさーーーとかなりすりむいた。
大人になってから転ぶとなんでこんなに痛いんだろう~。

大仏さんの前であった。
昔もここで転んだ人がいたのだろうなぁ。
大仏の建物や門は何度も作り直されているが、大仏の位置は変わっていない。
だから大仏のある東大寺の前にある道は、寺があった8世紀半にはもうあって、そこを色々な人が歩いたのだろうな~~~とそこに行くといつも思う。
裸足の人、布靴の人、木靴の人、草履の人、革靴、スニーカー、ハイヒール、サンダル。
様々な足元の人が歩いた筈だ。

日本の履物の歴史は実は靴から始まる。
足を包み込む履物をかたどった土器が出土しているのだ。
土偶などに表現される人の足も、何かで包まれた形をしている。
でも素材が何だったのかわからない!
そのものは出土していないのだ。
流石に石でできてないから残らない。
足にあうように石を削り出すとか、誰得??!!の仕事だよ!

正倉院展を何度も見ているが、布や革や木でできた靴が残されている。
ただ残されている物は、大仏を建立した聖武天皇の遺物か、東大寺の大仏開眼の儀式の時に使ったものなので、「一般人が普通に使ったもの」ではないのだ。
大仏の建築に協力した人や、できた大仏を遠目にみようと、あの道を歩いていた一般人は何を履いていたのだろう??

草鞋(わらじ)の歴史は割と古い。
奈良時代にはあったらしい。
中国から藁で作った履物が伝わった、というのだが、中国の履物って靴が多い。
じゃぁ草鞋も最初は靴型だったのか?
雪国で使われる藁で編んだ長靴型の履物があるが、ああいった??
残念ながら・・・藁で編んだものが残ってるわけないーーー!!!
だから最初がどのような形であったのかわらない。
日本で使われた草鞋は最初は楕円形のペラペラなやつに藁で作ったヒモをくっつけて、それを足に結びつけるような形であったと思われる。

ところがどっこい、ここは日本。
家の中では靴を脱ぐ。
ヒモで靴を足に結びつけていたら脱ぎにくい~~~!!

実は家で靴を脱ぐのもいつからなのかはっきりはわからない。
ただ、湿度の高い日本では高床式の家を金持ちは建てていて、一般の人の家も台所などはそのまま土の上だが、色々な物を置く場所は地面直置きではなく、高くなっている板の間になっていたと考えられている。
でないと色々腐っちゃうから!
同じく湿度が高いことが理由で靴は嫌がられたようだ。
足が蒸れるわ!
縄文時代の足を包んだ靴って、草の中を歩き回る狩りをする人が使ってたのでは?と思うが立証できない。しょぼーーーん。
縄文時代は竪穴式住居なので、住居部分は土の上に藁などを敷いたものだ。
藁の上には靴を持っている人も脱いであがっていたと思われる。

靴を頻繁に着脱する必要があったために、平安時代に鼻緒を指先でつまんで固定する草履が作られた。
そこから日本の履物は昭和中期まで草履大活躍だ。

だから大仏の前の道を歩いた人の足元は多くが草履だったんだろうな~~。
靴が多くなったのなんて、ここ100年足らずだよ。
ずっとのんびり草履をみていた大仏さんはいきなり靴がバタバタ増えてきてびっくりしただろうか?
履く物変わっても、着るもの変わっても、大仏さんの国の民だから大丈夫さ!

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2022/05/11 08:41
ダイブツサマ、ソンナコトデハオドロカナ~イ。




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