水と道と町と季節の境目 1
- カテゴリ:タウン
- 2022/05/11 19:20:57
仮想タウンでキラキラを集めました。
2022/05/11
集めた場所 | 個数 |
---|---|
教会広場 | 7 |
ペット海浜公園 | 3 |
四択 デザイン。
(けど、足のサイズも…24.5と25の間ぐらいなので、
(女性で身長のわりに大きい(笑い))ので、これもけっこう大事)
冬から三月まで、やはり頭がすぐれなかった。バイトのことがのしかかっているからだと思っていたが、それだけではなかったらしい。けれども、三月、一年でいちばん好きな季節に心が感知しないのことを、にぶくなった頭で、すくなからずショックをうけていた。これまでは、日差しを感じるだけでも、心が温まったというのに。今年の三月はホトケノザ、つくしんぼう、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、タンポポ、かれらのことも、ほぼ素通りしてしまっていた。つくしんぼうにいたっては、あらかたスギナになってから生えているのに気づいたのだった。ほんの何本か、だいぶ背丈をのばしたつくしんぼうが、そこにいる。かれらはいつも、春の訪れを教えてくれていたのに。きりがない。まだたどたどしいようなウグイスの鳴き声、高いところからシジュウカラが鈴を落とすように鳴く声。
こうしたものたちに、どんなに心をふるわせてきたことだろう。なのに……。
だが、ここ一、二ヶ月で、それでも、すこしずつ、状態を平常にもどしていったようだ。バイト先が一段落ついたということもある。その間中、読んでいた本が、心の平衡を保ってくれていたということもある。
あとは、やはり、季節の移り変わりのおかげなのだ。桜が咲いた。去年までとは感じ方がちがう、にぶいなあと思いながら、それでも今年も桜をみてまわった。そして山梨の桃、あまりにあかるい花たちにひさしぶりに、ときめいた。そうしたことが、徐々に、わたしを戻していってくれたのだろう。
新緑がやさしい色をはなっている。ウグイスの鳴き方がかわった。老鶯というそうだ。バイトに出かける時間、一年のほとんどが真っ暗なのだが、このところ、暗さのなかに明るさが感じられる。それが日々、早くなってゆく。ああ、夏至まではそうだった、夏至がすぎて九月ぐらいまでは、早朝のあの時間もあかるいのだった。それがうれしかった。まだ暗い中、鳥たちの鳴き声があちこちでしている。もう目覚めの時間なのだ。
冬のことはここ数年で、だいぶ苦手ではなくなったつもりだが、それでも、日差しがたりないせいなのか、気分がどこかうつむいた感じなのは、例年のことだ。それもあったのだと、だいぶ明るさをました、この時期になって、ようやく思う。
もうひとつのバイト、ポスティングの仕事は、うちから半径十キロ圏内のどこかで、あちこちの町、何々何丁目と、その時によってちがう。その日に地図をもらって、指定されたエリアに配りに行く。となり町や、ベランダから見えるエリアだったりもあるが、しらない土地も多い。あるいは車で通っただけの場所、そのすぐ裏であるとか。道をはさんでこちらだけは行ったことがある、商店街のこの店までは来たことがあるが、その先はしらない、など。知ったことと知っていることの境目のあたりでうろうろしている感じも楽しい。
それと、町と町の境目について、すこし、発見があり、それが興味深かった。基本、境目は道や川なのだが、道でないところでいきなり隣町になっていたり、となりの家がもはや別の町になっていたり、妙なところがある。先日、くばったところがそうだった。地図でみると、区分けの線がギザギザになっていて、わかりにくい。実際でかけて、私道の行き止まりの一軒だけが別の市になっていたのに驚いた。袋の底だけが別になっている感じだ。けれども、それ以外はなんとなく理由がわかった。そのあたりは今も川が二本流れているのだが、おそらくその二つの川が今と以前とではともに流れ方がかわっているのだ。川のむこうが別の市になっているはずなのに、川むこうにほんの少しだけ、配らなくてはいけない市があるエリアがある。けれども、ギザギザの大半は、細い、まがりくねった道になっている。これが本来の川だったのか、あるいはもうひとつ川があったのか。なんとなく道が川の面影を残している。
また、これはほかのエリアだが、暗渠や緑道になっているところも、町と町の境目になっていて、なんとなく、川をほうふつとさせて、どこか惹かれてしまうのだった。
そうなのだ、子どもの頃から川が好きだった。生まれたところに流れていた川は、汚い川だった。だからよけい水にひかれた。今はその川は、緑道になっている。いつから緑道になったのかわからない。こちらもポスティングの仕事のときに何度か通った。配布終了後に、生まれたところの写真も撮った。現在は小田急電鉄の施設になっていて、あたりはかなり景色が変わっているが、当時から向かいにあったお寺のおかげで場所が特定できたのだった。
小学生のときに住んでいたのは埼玉の坂の上だったが、その坂下に暗渠があった。水の流れる音が、ゴオオとしていたこと、大切にしていたきれいな紙石鹸を落としてしまったことも思い出される。
結局子どもの時に惹かれたものが、後まで残るのだろう。川と聞くと、今も心が騒いでしまう。
(この項目つづきます。)
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