「火垂るの墓」から
- カテゴリ:日記
- 2022/06/10 15:36:27
蛍の季節になった
「オール讀物」で『火垂るの墓』を読んだとき
途中でやめてしまった
野中の物を書く姿勢が喉につかえた
ジブリのトトロ上映の裏が高畑勲の『火垂るの墓』だと知って
見に行かなかった
トトロを観たいけど
『火垂るの墓』は見たくないというのは
どうして?と自分に問いかける
トトロだけ見て帰ってくればいいじゃない
いや、両方見ないことで言い訳にしている
向き合わなくてはいけない
戦争の現実
自分で自分に言い聞かせて『火垂るの墓』を見たけれど
幽霊と赤い色で、もう駄目だった
高畑め
と人のせいにしてみる
「戦争が終わった」というのは
武器を持つ人々中心の言葉だ
武器を使わなくなった後の「戦争」について語らなければならない
その時代を生きた野中も高畑も
飢えた人間の心も
餓死していった子どもたちの心も
癒されることがあるのか
戦争はいやだ
闘ってはいけない
武器を持ってはならない
非戦を誓う
火垂るの墓の前にも
少年の戦争体験を描いている漫画があるのですが
火垂るの墓が放送禁止になったように
戦争の後遺症に苦しむ人々ばかりか
漫画を見たために傷つく心を癒すことが
必要だと感じることが多々あります
だからといって表現を禁止するのではなく
それは戦争と言うもののむごたらしさや
戦争は国の犯罪なのだと言うことを刻み付ける必要も感じます
小学校の時に近所のお姉さんに借りた漫画だったのです。
漫画雑誌の付録に小冊子が付いていて、それが『火垂るの墓』
今でも忘れたくてもくっきり覚えています。
だから原作も読めないしアニメも見られない^^;
昔のパチンコ屋さん御用達BGMの軍艦マーチは
『火垂るの墓』で先に歌詞だけ知りました。
戦時中、敗戦後の食べ物の話を
直接聞く機会があっても
それを伝える機会はなかったです
赤犬を食べたがおいしかったとか
手造り焼酎で目を失ったとか
なんだか自分の世界の出来事とは思えない
祖父が亡くなる前
団子汁を食べたいというので
叔母が御出汁を上手にひいて
おいしい団子汁を作ったのですが
祖父は「これじゃない」といって
一口しか食べませんでした
きっと、戦時中の「団子汁」が食べたかったのかもしれないと
葬式に集まった皆で話しました
やなせたかしさんの思いが四谷の「アンパンマン館」に詰まっていると思うと
平和な時代っていいなと思います
語っちゃいけないことはないけれど
胸に詰まってしまうものなのだという
経験は大切ですね
やなせたかしさんの戦時中の食糧不足の経験が
アンパンマンを創った理由の1つで・・・と説明を始めたときに、
ふと、戦時中の一般市民の状況を日本人の私が中国人に語るのはどうなんだろう?と
一瞬ですが思ったことがあります。
勝とうが負けようが、どちらも大勢の犠牲者が出るのは事実なので
語っちゃいけないことはないんですけど、若干ブレーキがかかってしまいました。
今は一般市民レベルで国境を越えてつながれる時代だからこそ
国同士での殺し合いがなくなる希望がありそうなのに、そうはならないのが理解しがたいです。