つらつらと雑感:他者と、どのようにしていくか。
- カテゴリ:家庭
- 2022/08/02 21:55:35
うちは。
母親の、私が赤ちゃんの頃の、接し方が、よくなかった。
だけかと思ったら。
違うんだ。
父親。
自分のことは、そりゃするさ。
たのしむさ、仕事もするさ。
でも。
家族に対して、思い遣りを以て接するのが、ぜんぜん。
あかんかったし。
今も、ぜんぜん変わってない。
自分本位。
こどもに対して「そんなんじゃ社会に出たら通用せんぞ」と脅す。
あれは。
中年の頃の父親。
身を以て、己が通用していけてないのを痛感していたのだろう。
その当てつけ。
こどもを見て、己の身の上の八つ当たりをする。
みたいな。
私も、母に。
「こうこう、こうしたほうがいいんじゃないんの? おかーさん」的な。
アドバイスという名の、自分の価値観の押しつけをする。
それだ。
こどもの頃の父親は。
とくに。
まさに、それだっただろう。
今は、父親は。
お前も老いていくんだから。
老いている者に、優しくせんか。
と強いる。
そればっかり。
それしかない。
昔も今も。
変わらん。
自分本位。
もっとなー。
ほんま。
うちの親は、経済面と食事面で、がんばってきたのだろう。
足りないものを、補えもせず。
足りないのは、人間的な習熟だ。
ずっと。
もう、この先。
老いていくに甘える父親で。
それと較べたら母親のが、ずっとマシなんだ。
父親。
老いていく男性は。
謙虚さという習熟を以ているか。
開き直りという自分本位に、のうのうとしているか。
いずれにせよ。
苦悩は、あるのだろう。
人間だもの。
でも、それとこれとは別物だ。
ほんま。
「ああはなりたくない」ような反面教師でしかなかったし。
これからも、ただの他者で。
そんなら、その他者に。
家の内は、そんなんだし。
家から外の人間模様も。
他者しかいない。
価値観の《合わない》者と、どのようにしていくか。
を遅ればせながら私は学んでいかねばならぬ。




























ようになったとは思います。
人は、ほんと違う。
そりゃそう。
たまたま同じくすることがあって、いる。
話す。
話して聴く、互いに。
時間を共有する。
みたいな。
それで、互いを知っていく。
っていうのが、人間なんでしょうねぇ。
他者との。
外へ出て、帰ってこれば、視点も変わるかなー、って。
今日は、外へ出て、人たちと会って話してきたので、思います。
家族とも、そのような距離感の、名残で。
そしたら、ちょっと家族でも、共に過ごしていく感じを、改めて、わかってゆけるかもしれないです。
価値観が同調できる方が少ないかも
逆から見ると自分も変わっていく事もありかと?
難しい問題ですね