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ジュンチャン


ジュンチャンと世界を巡る 第107回はスーダン


 ナイル河を遡上して更にアブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となるが、スーダンは、アラビア語で「黒い人」を意味する。

 もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称で、現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域である。

 人口の構成は

① 北部のアラブ系イスラム教徒 75%

② 西部ダルフール地方のアフリカ系(フール人等)イスラム教徒 17%

③ 南部のアフリカ系(ディンカ人)キリスト教徒 8% 

 となる。

人種的にはスーダンのアラブ系イスラム教徒はネグロイド(黒人)であり、②③の人々と変わりはない。(アラブ人とは、現在はアラビア語を話す人たちのことを言う。)

 スーダンはアフリカの縮図のような国、ここには、貧困や飢餓が日常的にあり、僕等の普段のイメージに似たアフリカの世界が広がる。

 南部にはサッド、地球上で最悪の疫病地帯が広がる。

 西部にはダルフール、アラブ人による、アフリカ系(フール人等)民族に対する集団殺戮、その結果としての大量の難民の間に広がる貧困と飢餓。

 北部には灼熱地獄のヌビア砂漠、そこには、砂に埋もれた幻の古代黒人王国の廃墟が、永遠に停止した時間の中で、残されたまま存在する。

 僕は、この国の首都ハルツームに宿を得た。

 ここを拠点として、東西南北のスーダンに出会う旅が始まる。

 ハルツームはアラビア語でal-Khart??لخرطوم 、意味は象の鼻となる。

 1820年にエジプトのムハンマド・アリー朝による支配の拠点として築かれ、ナイル航路の拠点となり、奴隷貿易の中継地として栄えた。

 人口規模は、近隣の北ハルツームとオムドゥルマンとで都市圏を形成しており、あわせて400万以上の居住者がいる。

 ハルツームは行政や経済の中心地、オムドゥルマンはスーダンの伝統や文化が残る地域。

 やはりオムドゥルマンは歴史的にも興味があり、早速出かけた。

 この街は1885年、イギリスのスーダン植民地化政策に反対するスーダン独立運動の指導者マフディ(本名ムハンマド・アハマド(Muhammad Ahmad 1844-1885、マフディとは正しい道への導者の意味)が都として建設した街。

 1898年のオムドゥルマンの戦いで、街は戦場となり、スーダンの熱狂的なイスラム教徒(神秘主義的修道僧)であるダルウィーシュ軍は破れ、イギリスの殖民地となった。

 スーダン最大のスークや、ラクダ市、マフディの墓など、ここには植民地とされても挫けなかった、スーダン人の不屈の魂が宿っているようだった。

 

 宿で一晩眠り、翌日、僕は北部のヌビア砂漠に向った。

 このスーダンの北部、ヌビア地方に、紀元前9世紀から紀元後4世紀にかけて、クシュ王国といわれた黒人王国があった。(アイーダの末裔の国、この時代は、黒人がアラブ人を支配した。)

 紀元前8世紀にナイル下流に進出して一時エジプト王朝を滅ぼし、最盛期にはアフリカ大陸の4分の1にも及ぶ強大な王国を築いた。

 当時の都、ジュベル・バルカルの遺跡がスーダン北部のナパタ地方に残されている。

 その後、紀元前6世紀に南下してきたアッシリアの勢力に破れたクシュ王国は南部のメロエへ都を移す。(長距離バスに乗せてもらって、ここまでは来た。政府の許可証がいるし、写真を撮るのにも一苦労、独裁軍事政権の国は大変。)

 クシュ王国は紀元後4世紀にエチオピアのアクスム王国に滅ぼされるまで繁栄し、王国が残したロイヤル・シティ(王宮)跡やピラミッドなどの遺跡群は2003年にスーダンで初めての世界遺産に登録された。(炎天下での気温は40度を軽く突破、気分は、いい湯だなという訳にはいかず、じっと我慢するのみだった。)

 

 西へ行くと、そこはダルフール、そして、ダルフール紛争である。

 ダルフール(アラビア語でフール人の国の意味)は幾つかの民族が居住している地域で、大別するとフール人、マサリート、ザガワなどの非アラブ系の諸民族と、バッガーラと呼ばれる13世紀以降にこの地域に移住してきたアラブ系とで構成されている。いずれもムスリムであり、フール人とマサリートは農耕を、ザガワとバッガーラは牧畜を営んでいる。 

非アラブ系のフール人等とアラブ系のバッガーラの間には、長年の緊張関係があった。

 ダルフール紛争は、スーダン政府に支援された「ジャンジャウィード」と呼ばれるアラブ系民兵と、非アラブ系フール人達との間に起きている民族紛争である。

 農耕を営む民と牧畜を営む民の間での水を廻る争いに端を発し、この地に埋もれている豊富な石油資源の利権争いなどが絡み、ダルフール紛争は収拾の見込みも立たない、泥沼の様相となって現在も続いている。

 内戦の激化により、ジャンジャウィードによるフール人達に対する殺人、レイプ、略奪が大規模に行なわれ、20032月の衝突以降、20062月時点での概算で18万人が既に殺害され、その結果、約70万人が国内避難民となり、約20万人が難民となって隣国チャドに逃れた。

 (学校での集団レイプの事例では、女生徒全員を鎖につなぎ、強姦したあと、全員を焼き殺したという事例が報告されている。)

 今後大規模な国際的支援がなければ、2年以内にこの地域の3分の1にあたる約200万人が、飢餓と餓死の危機にさらされるだろうと予測されている。

 

 次回はナイル川を遡って、スーダンの南に位置する南スーダン共和国を紹介します。

 引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )

 

 




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