1676番:仏教日記(3)
- カテゴリ:日記
- 2022/08/20 22:30:02
仏教日記(3)
覚りを得れば、幸せな一生が暮らせるのでしょうか?それは
前世の行ないによりますので、何とも言えません.
サーリプッタと並んでブッダの教えを瞬時に理解した俊才・
モッガラーナの場合、悟りを得ても尚、異教徒たちの謀略に会い
竹杖外道(ちくじょうげどう)の襲撃を受け亡くなりました.
サーリプッタが駆けつけたときすでにモッガラーナは
息絶え絶えでした.「どうしてなのです?君の神通力で、
簡単に逃げることができたじゃないですか?」
とサーリプッタが言うと、「いやいや、私は過去世の罪を、今生
で消滅させたいのです.そう言って息を引き取りました.
迫害はお釈迦様にでも及びます.崖の上から、弟子だったデーバ
ダッタから大きな石を落とされ、すんでのところで、かわして難を
逃れたのですが、そのとき足に怪我を負いました.
覚りを得ることは「苦」からの解脱なのですが、そして「幸福」
を身に付けることなのですが、そう単純なものではない、という
ことなのかも知れません.悪魔はブッダの成道後もブッダにつきま
とったと言われています.
成道後も気を抜かずがんばりましょう、ということのようです.
こんなことを言えば、「じゃどうして仏教にはげむのさ?」
と言われそうですが、どこの誰が、何に励んでも、来るものは
来るし、出て行くものは出て行く.地球は回る.日は登り沈む.
あまり気にせず、やってください.
PS:覚りの境地を旅行に譬えると、地図上で目的地を見つけた、
ということになるのではないでしょうか?
「目的地は見つけたが、現在地は、発見前と同じ地点にいる.
さあ、移動を始めよう.この先も尚、難所は続くかもしれ
ないが…」
ゴタぴょん