Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー9

ラ・パルフェ・タムールに来て最初の一月あまり、要は夜ベッドへ入るや否や、瞬く間にドロのように寝てしまった。
それから数ヵ月後、要は石橋から祖父が死んだと聞かされた。それを機に、石橋は要を正式に養子にすると言った。要には法律上のことは全く解らない。それでも、自分が孤児になったことは理解できた。身寄りのない6歳児では孤児院以外に行くところはないだろう。まだそんなに世間の知恵もなく、孤児院がどういうところかも知らない子供ではあったが、祖父が自分に、ついていけと命令した石橋を頼るしかないと思うのだった。とにかくここに居れば、衣食住は足りる。訓練は厳しくはあったが、そればかりではない。原田との訓練を組み入れてくれたのも石橋の思いやりだったに違いないとさえ、思えた。
それでも、言いようも無く寂しい時がある。辛い時がある。
「生き残れ。」
そんな時、要は祖父の遺言になったこの言葉を何度となくかみ締めるのだった。

忍び込みの訓練をうけ始めた要は興津の予想通り、半年もたたぬうちに手伝いとして仕事に参加できるまでに上達した。もともとバランス感覚に優れ、すばしっこい少年であったことに加えて、まだ体が小さい要は大人よりも忍び込み易いという利点があったからだ。
身体が大きくなると忍び込みには使えなくなる。その為に早いうちから多方面に使える男に育てる。興津の思いやりとも言えるこの考えどおり、要は10歳になる頃にはいっぱしに梶たちと仕事に出るようになっていた。
盗賊団は小さなナイフ以外武器らしいものは持たない。そのナイフでさえ、使う事はほとんどない。武器を振り回す事態になるようではそのヤマは失敗である。先鋒が先に潜入して仲間を導き入れ、あとを濁さずに音も無くずらかる。それが基本だ。
そのためには完璧なまでに気配を消す事が必須だった。そうすれは無益な戦いをせずに隠れてやり過ごす事ができる。息遣いから汗の匂いまで隠さなくてはならない。もともと日本人だから体臭は少ないのだが、緊張からくる冷や汗や脂汗を止めなければならない。犯罪には物に動じない図太い精神が必要という事らしい。こういった点でも、幼年から訓練を始めたことが要にとっては、有利に働いた。盗賊団の中で、要はその役割をそつなくこなせるようになっていったのだ。

12歳、ようやく大人の中で動いても邪魔にならない背格好になった要はレストランの厨房で使われるようになった。最初は鍋洗い、野菜の皮むきからみじん切りなどの下ごしらえに駆りだされた。レストラン営業中は、トレーナーの梶たちが店に行ってしまい、要はする事が無いからだ。
厨房での仕事は楽しかった。そこには、梯子も、ムチもない。厨房のシェフ、陽気なフランス人達が、要に好意的に接してくれる。育ち盛りの少年に味見と称してはいろいろと食べさせたりもする。何にでも興味を持つ彼に、簡単なレシピを教えたのも彼らだった。石橋は要を料理人にする考えなど全くなかったのだが、要はここで料理とテーブルマナーの基本を習う事になった。それが後々要が開くことになるパスタ屋で役に立つなどとは誰も知る由の無いことだった。

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2023/01/18 19:46
ころねちゃ コメをありがとう^^


メールチェックしてて あれ? あっ 書いてるし~
ということで 新作読んできたよw
ころねちゃらしい筆遣いで面白かったし 続きをはやくお願いしたくなるね(*´艸`)
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2023/01/18 01:39
お話を途中から読み返していたんですが、もう一度最初の方から遡ってまた読みたくなって
ここまで戻ってしまいました(´ω`*)
要君はパスタ屋さんを開くことになるなんて・・・
人生後から振り返るとどこで何が繋がっているのか分からないってこと、ありますね。
私も小さい頃伯父に教わっていたことを後々やったりしていたから
なんとなくこういう感覚がわかります。




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