ジュンチャンと世界を巡る 第121回はセネガル
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2022/11/25 05:42:09
西アフリカの国々、最初はセネガルです。
セネガルは、西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制をとる国家で、北東にモーリタニア、東にマリ、南東にギニア、南にギニアビサウと国境を接しています。
また、ガンビア川の岸に沿った細長い国土を持つガンビアとも国境を接し、セネガルは同国を陸上から囲んでいます。
セネガルは旧世界(アフロ・ユーラシア)の大陸部における最西の国、国名の由来は東と北の国境となるセネガル川で、「Senegal」という名前はウォロフ語で「我々の船」を意味する「Sunuu Gaal」に由来します。
かつて支配を受けたフランスとの関係は深く、フランコフォニー国際機関に加盟していて、首都のダカールはかつてのパリ・ダカール・ラリーの終着点として知られています。
旧石器、および新石器時代の遺跡が見つかっており、その頃から人類が居住していたこと分かっている。
セネガル川の中流、下流域は9世紀以降、北アフリカのマグリブ地方のイスラーム王国との交易で栄え、ガーナ王国、テクルール王国、ジョロフ王国が成立しました。
とりわけ、テクルール王国にはアルモラヴィド(ムラービト朝)の影響で11世紀にイスラム教が伝来し、王侯貴族を中心にイスラム化が進み、その後マリ帝国(1240年 - 1473年)の影響の下で、14世紀から16世紀にかけてウォロフ人のジョロフ王国などの勢力が台頭しました。
初めて現在のセネガルに相当する地域に訪れたヨーロッパ人はポルトガル王国のディニス・ディアスで、1444年にこの地を訪れたディニス・ディアスは、訪問先のアフリカ大陸最西端の岬をポルトガル語で「緑の岬」を意味するベルデ岬と名付けました。
その後、ポルトガルに続いてオランダやイギリスの商人がこの地に進出、1659年にフランス王国がセネガル川の中州にサン=ルイ商館を建設してフランスの植民地化が進みました。
第二次世界大戦が終結し、世界的に脱植民地化の流れが加速してきた1958年11月にフランス共同体内の自治国となり、1959年4月にフランス領スーダン(現マリ)とマリ連邦を結成しましたが、1960年4月4日マリ連邦としてフランスから独立し、同年8月20日にはマリ連邦から分離しセネガル共和国として単独国家となったのです。
同年9月6日にネグリチュード運動(黒人の自覚を促す標語、あるいは精神的風土や文化の特質をさす語。おもにフランス領アンティルとフランス語圏アフリカで発祥した文学運動の名称)の文学者であり、セネガル社会党 (PSS) を率いたレオポール・セダール・サンゴールが初代大統領に就任し、アフリカ社会主義を掲げつつもマルクス=レーニン主義からは距離を置いた、親フランスの穏健改革路線を採用して1980年12月31日まで長期政権を維持しました。
サンゴールは、自ら国歌「コラを弾け、バラフォンを叩け」の作詞もしています。
その後、隣国ガンビアとセネガンビア国家連合を発足させたり、て北の隣国モーリタニアとの国境紛争が勃発したりしましたが、大事に至らず現在に至っています。
経済ですが、IMFの推計によると、2013年のセネガルのGDPは148億ドルで、1人当たりのGDPは1047ドルであり、世界平均の約10%の水準です。
農業の生産品目はピーナッツ、トウジンビエ、綿花、米などで、ピーナッツの栽培は、フランスが植民地時代に持ち込んで栽培を奨励したこともあり、1960年代に独立する頃には労働人口の87%が従事する規模となっていました。
漁業は、マグロ、タコ、イカ、カツオ、エビの漁獲が中心であり、これらのほとんどは輸出、2002年のセネガルの総漁獲量は36万トンです。
宗教ですが、セネガルの人口の94%がイスラーム、5%がカトリック教会を主とするキリスト教、1%が在来の伝統宗教となっています。
スポーツですが、セネガル国内でも他のアフリカ諸国同様に、サッカーが最も人気のスポーツとなっていて、FIFAワールドカップにはセネガル旋風を巻き起こしベスト8に進出した2002年日韓大会、日本代表と反則ポイントの差でグループリーグ敗退した2018年ロシア大会、エジプト代表とのPK戦を制して出場を決めた2022年カタール大会と、3度の出場経験をもっています。
また、セネガルの国技としてセネガル相撲があり、サッカーと並ぶ程のポピュラーなスポーツとして国内で親しまれています。
ここからセネガル観光です。
まず、ゴレ島です。
ゴレ島はセネガルの首都ダカールの沖合3kmにある小さな島で、ダカールの港からフェリーでおおよそ20分ほどの沖合にあります。
フェリーは1時間か2時間半ごとに出ていて、島に着くと色鮮やかな建物と砂浜があり観光客と地元の人々でにぎわいを見せています。
ゴレ島が人々を惹きつける理由としては過去に奴隷貿易の拠点であった暗い歴史を残しているからです。
島内にある奴隷の収容や売買がされていた「奴隷の家」と奴隷たちが売り渡される前にくぐる「帰らずの扉」は人類の負の遺産として歴史的に大きな価値を有することから、1978年にゴレ島が世界遺産として登録されました。
次に、ラック・ローズです。
ラック・ローズはセネガルの首都ダカールから北西約40kmにある湖で、正式にはレバト湖と呼ばれていて、湖面の色が鮮やかなピンク色に変化することで知られセネガル国内屈指の観光スポットです。
湖面がピンク色になる原因としては湖に生息している藻類が影響しており、11月から6月の乾期のよく晴れた日差しの強い日に鮮やかなピンク色になります。
また、塩分濃度の高さから死海のようにかんたんに浮くことができます。
最後に、サルーム・デルタ国立公園です。
サルーム・デルタ国立公園はセネガル西部にあるサルーム川河口にあるサルーム・デルタと呼ばれる三角州を含む面積760平方キロメートルに及ぶセネガル最大の国立公園で、サルーム・デルタは汽水路により200以上の小島が形成されており、マングローブ林や海洋環境など美しい景観が広がっています。
サルーム・デルタには越冬のために100種類近くの水鳥が訪れるなど動植物の多様性に加え、200以上の貝塚や墓地遺跡があり古いものは紀元前400年前のものとされ人類の歴史的に重要な証拠としての価値が認めらて2011年に世界遺産となりました。
次回も、西アフリカの国々を紹介します。
引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )