Nicotto Town



自作小説倶楽部12月投稿

『最後の仕事』

1,殺し屋の生活に安らぎはない。
2,終わりは突然やってくる。
3, 予想外のトラブルは必然。
4,後始末は投げ出さない。
5, 殺せないと思った時が最後の仕事だ。

俺の師匠は小言も多ければ、格言も多い人だった。
いつか見た映画の影響か、殺し屋なんて無口な存在だと思っていた。標的の背後に立って、バン、と一発。それで終了。台詞なんて必要ない。
もしかすると殺し屋の中には寡黙な奴もいるかもしれない。技術は見て盗め。とか。それはそれで困る。
師匠はおしゃべりな困った殺し屋だった。時には酒場で次の仕事の話をした。最初は冷や冷やしたが、鍛えた身体に軽い口調はどうやら建設業者のインテリに見えるらしく、一度、バイトのバーテンに「どこの工事を請け負っているんですか? 弟が建設会社志望らしいので、楽しそうな仕事してるところを紹介したいんです」と言われたことがある。
今の俺が何者に見えるかわからない。俺が一人立ちしてしばらくして、師匠は連絡を絶ったから聞くこともできない。
俺がひさしぶりに師匠のことを思い出したのは格言その3,予想外のトラブルに遭遇したからだ。
一言も声を発することなく隣のビルの屋上からマンションの一室にいた標的を狙撃して任務完了。撤退、のはずが、俺は「げ、」と声を上げて息を飲んだ。標的が居た部屋の下のベランダに小さな人影があった。白い衣服が今にも雪が降りそうな灰色の景色に紛れて事前に発見できなかったのだ。
双眼鏡で確かめると小さな女の子だった。ベランダの二重ガラス戸は固くしまったままで誰かが薄着の女の子を閉めだしたのだとわかる。しかしその部屋に人の気配は無い。
警察に通報。と常識的なことを考えたが、俺にそれができるのは安全圏まで俺が撤退してからだ。
このまま放置。万が一女の子が助かったら目撃したことを話すかもしれない。確実なのは目撃者も始末することだ。
迷っているうちに女の子の頭が傾いだと思ったらベランダに倒れていた。俺は慌てて仕事道具を収納すると屋上を撤退した。

なかなか進まない渋滞をサウナのように暖房を効かせた車内で見つめているうちに灰色の空から雪がちらつき出す。そろりそろりと進んでいると、渋滞の原因を作りだした検問の警察官にたどり着き、相手が進路をふさぐ仕草をしたので運転席の窓を開けた。
「何かあったんですか?」
「ええ、この先で事件がありましてね。この道はよく通るのですか?」
「いいえ、今日は病気の子供を病院に連れて行った帰りです」
「ドライブレコーダーがあったら提供していただきたいのですが、」
「ありません」
丸顔の穏やかそうな警察官だったが、短い会話の間に開けた窓から覗き込んだ車内を鋭く観察する。仕事は出来るタイプかもしれない。
「可愛らしいお嬢さんですね」
「ええ、妻似ですが、」
警察官が車を離れ、車を発進させると俺は助手席で毛布にくるまって眠る女の子の横顔をちらと見た。
俺が人の子の親に見えるのかねえ。
防犯カメラを潜り抜けてマンションから救出し、知り合いの医者に診せたが、外傷も凍傷も軽度で、服を着てご飯を食べるとそのまま寝てしまった。虐待を受けていたのに案外度胸があるのかもしれない。
もちろん子供を育てられるとは思っていないが、助けた以上、どこかの施設に入るまで見届けねばならない。自分の失敗の後始末だ。

まあ、格言その5,殺せなかったから引退は決定だ。
ほんの少しの間だけこの娘と親子のふりをして南の島にでも住んでみようかと、ありえない妄想をしてみた。



アバター
2023/01/04 03:35
年末にふさわしいお話しですね
アバター
2023/01/02 20:04
やさしい殺し屋さん、
ほっとする終わり方でした。



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