Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー28

要の家出に一番に気づいたのは、梶だった。朝食時に食堂に顔を出さないと思っていたら、命令の10時を過ぎても報告書を提出しに来ない。怒鳴りに部屋まで行くと、確か机にあったはずの軍曹の写真が見当たらないし、よく見ると明らかに引き出しの中身が抜き取られている。
「次から次へと、問題ばかり起こしてくれる。」
梶は苦々しげにつぶやくと、その足で、ボスに報告に行った。石橋は黙ってしばらく窓の外を見つめていたが、やがて梶を振り向いた。
「まぁ いい。暫くしたら戻ってくるだろう。」
梶は、ボスの反応に、片眉をわずかに上げた。しかし、それ以上は何も言わずに一礼して部屋を出て行った。
石橋は大きくため息をついた。ここ半年ほど、何かにつけて反抗的だった要が、事故以来めっきり口数が少なくなり、大人たちを極端に避けているのは石橋も知っていた。多少の差はあっても誰もが通ってくる反抗期、単に要がその時期を迎えただけで、うろたえることなど何もない。石橋はそう自分に言い聞かせようとしていた。
「俺もそうだったではないか。」
石橋は自分の若い頃を思い出した。確か13、4だったか。あの頃親父は負傷兵として戦地から帰還して、本土で教練の教官をしていたのだ。石橋はその親父に指図されるのがとにかく嫌だった。上向けと言われれば、下を向く。右へ行けと言われると、それが間違っていると解かっていても無理やり左へ行ったものだ。それだけではない。青臭い正義感を振り回しては、親父によく楯を突いた。そしてその度に親父に殴られた。
「俺を追い越してから言え。」
それが、親父の口癖だった。
敵わなかった。
そう言えば、家を飛び出した事もあった。何日も知り合いの家を転々として、結局は目的も定まらないまま、しおしおと親の元に戻ってきたものだ。
「一人で生きる覚悟も無いくせに、えらそうな事をしおって。」
大声で怒鳴られたが、あの時親父は俺を殴らなかった。戻った俺にすがり付いて泣く母がいたからだろうか。

そんな親父が家もろとも空襲で燃えた。病床の母を置いていけなかったのだ。
「親父には敵わずじまいだった。結局俺は空周りだったのか。」
死んだ父親の年をすでに20歳以上も越えた今になって、石橋はやっとそう考えることができるようになっていた。今は待つしかない。力でねじ伏せても、要は又逃げていくだろう。
自分の非力に気づけば、戻ってくる。俺がそうだったように。
「バカが、早く帰ってこい。」
石橋はまた窓の外に目を向けるのだった。





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